ディスクロージャー研究学会



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文書No.
881230

企業価値創造するM&Aを

    一橋大学助教授 伊藤邦雄

    88年12月30日 日本経済新聞 朝刊  

(1)M&A(企業の合併・買収)について、日米両国の証券市場はどのように反応し、投資家はどう受け止めているか。この点を実証分析によって日米比較した。

(2)その結果、米国と同様、日本でもM&A情報を利用したインサイダー取引(内部情報に基づく不公正取引)が行われている可能性が高いことがわかった。

(3)またM&Aの公表後、日本では被買収企業の株価が下落するのに対し、米国では逆に上昇するという違いも明らかになった。これは、日本の証券市場の効率性の低さを示すもので、今後は企業価値を創造するようなM&A戦略の推進が望まれる。

(4)同時に日本では、インサイダー取引規制の強化に伴って、企業などのディスクロージャー(情報の開示)の後退が指摘されているが、適切なディスクロージャーがない限り、市場は効率的にならないことを十分に理解すべきである。

 米国のウォールストリートのある投資会社は、企業買収に関する内部情報をいち早くキャッチするために、めぼしい企業の会社専用ヘリコプターを追跡することを主な任務とするスタッフを抱えているという。

 まるで映画の中にでも出てきそうなこの話は、そこまでコストをかけ、危険を冒しても、それを上回る利益がインサイダー取引によって得られることを物語っている。

 日本では今年五月、インサイダー取引に絡むいくつかの事件を契機として、改正証券取引法が成立した。また「重要事実」にあたる業績予想の具体的内容や「公表」の仕方についても、やがて政省令として発表される予定である。

 しかし、最近起こった事件が果たして氷山の一角なのか、あるいは特殊な事件だったのかは明らかでない。また、日本でインサイダー取引を行った場合に、市場平均を上回る超過収益が平均してどのくらい得られるのかも定かでない。

 そこで「重要事実」の典型的な項目であるM&Aを取りあげ、日本経済新聞社データバンク局の協力を得て、このことを実証的に分析してみた。

 M&Aは日本でも企業のリストラクチャリング(事業の再構築)との関連で最近目立って増えており、今後の企業の競争力のカギを握っている。従って、それを投資家がどのように受け止め、それに証券市場がどのように反応しているかは重要なポイントである。ここに示す実証結果は、そのことについても重要な事実を示している。

 われわれは、まず日米比較を行った。具体的には、米国の代表的な調査と同じ手法を用いて日本の実態を調べ、その結果を米国と比較することにした。

 日米比較という視点から、調査対象を被買収企業に絞った。これは、米国ではM&Aが買収企業の株主にはほとんど利益を与えないのに対し、被買収企業の株主には平均して約二〇%の利益を与えることが一般に知られているからである。つまり、米証券市場は、買収企業にはあまり注目しないのである。

 この前提に立って日本で調査対象としたのは、一九七一年から現在までのM&Aである。被買収企業の多くは非上場会社であり、株価データが利用できないため、上場会社だけに絞った。さらに公表日などの情報が得られなかった会社を除外し、最終的に二十九の被買収企業をサンプルとした。

 公表日は日本経済新聞に発表された日とし、それをゼロ日とした。調査した期間は、公表日前の百二十日(取引日)間と公表日後の二十九日(取引日)間である。サンプル企業の公表日を含む百五十日間の株価変動のうち、M&Aに固有の部分を抜き出すために、市場モデルを用いた。

 具体的な手順は、対象期間のうち、最初の八十日間の各企業の株価収益率を市場ポートフォリオの株価収益率によって回帰させてベータ(市場リスク)を推定し、それをもとに残差を算出した。この残差が、企業に固有の要因に基づく超過収益である。ここではM&Aの情報(ゼロ日以前であれば内部情報、後であれば公開情報)に基づく超過収益と解してよい。

 このようにして算出した各企業の超過収益を各取引日ごとに平均し、それを百五十日間加えていったものが平均累積超過収益である。これを通常、平均CARと呼ぶ。それを示したのが図1である。

 この図は三つの重要な点を示唆している。第一は公表日前二十日ぐらいから平均CARは上昇を始め、公表日の前日までほぼ一貫して上昇を続けていることである。これは、M&A情報をめぐってインサイダー取引が行われていることを示唆する重大な事実といえる。

 第二は、公表日にはCARが反落していることである。第三は、M&A情報の公表後も平均CARが下落を続けていることである。

 このことは、市場のM&A情報に対する反応が緩慢であり、情報の意味内容を即座に株価に織り込んでいないことを意味している。それだけ日本の市場は効率性が低いといえよう。

 こうした日本の発見事項を米国の調査結果と比較すると興味深い。比較する米国の調査は、前述の日本の調査と同じ分析方法によるものである。ただし、対象は七五年から七八年までのM&A百九十四件の被買収企業である。サンプル企業数の差からも、日米のM&Aの事情の違いを知ることができよう。図2は米国の平均CARを表している。

 米国の場合もちょうど日本と同じように公表日前二十日ぐらいからCARが上昇を始めている。米国では、これはインサイダー取引が行われていることを裏づける有力な証拠とみられている。

 第二に、日本と異なり、公表日にCARが大きく上昇している。第三は、公表後は平均CARに変化がみられず、ほとんど超過収益が得られないことである。第二と第三の事実は、米国の株式市場がM&Aの公開情報に対して効率的であることを物語っている。

 さらに日米比較で面白いのは、内部情報を得ることによって獲得できる超過収益が、米国は約二六%であるのに対し、日本では約六%にすぎないことである。加えて米国では、公表日の前日までに平均CARが全体の半分まで上昇し、残りの半分が公表日に上昇している。

 両国の最も顕著な違いは、日本ではM&A情報が開示されると、株価が下落を続けることである。これは、M&Aに対する投資家の受け止め方を反映しているものと解される。

 伝統的に日本ではM&Aを競争戦略の視点からではなく、優勝劣敗の視点からとらえる傾向があり、被買収企業は相手に「のみ込まれる」ととられがちである。つまり、株式市場ではM&Aは被買収企業にとって「バッドニュース」といえる。

 これに対し、米国ではM&Aは被買収企業の株価を押し上げ、企業価値を創造するものとのコンセンサスがある。この調査結果は、M&Aに対する日米の風土の違いを鮮明に描きだしている。

 今後、日本でも被買収企業の価値を創造し、証券市場に積極的なインパクトを与えるようなM&A戦略を推進していく必要があろう。

 今年五月の証取法改正以来、あちこちでディスクロージャーの後退が指摘されてきた。しかしこの原因は、インサイダー取引規制の本来の目的が十分に理解されていないところにある。規制の目的は、インサイダー取引を取り締まることそれ自体にあるのではなく、ディスクロージャーを促進して、公平かつ効率的な証券市場を実現することにある。

 仮にインサイダー取引がなくなっても、ディスクロージャーが適時に行われない限り、市場は効率的とはならない。

 また「公平」な市場を実現するためには、投資家間の「機会の均等」を図らねばならない。この点で、企業業績の大株主説明会を取りやめる会社が増えつつあることは評価できる。やがて「公表」の仕方について大蔵省から発表があるが、「機会の均等」を保証するものであることが期待される。

 今後、企業関係者と規制諸機関も迅速なディスクロージャーを図っていくべきである しかし、解決しなければならない問題も多い。例えば、M&Aの交渉中にそのうわさが市場に流れ、企業の株価が異常な動きをした場合に、どのようにディスクロージャーをすべきか。そのような場合、ニューヨーク証券取引所は、その理由を開示するか、事実無根である旨の声明を発表することを企業に要求している。

 M&Aの交渉は秘密を旨とし、それが開示されると交渉が決裂する危険性が高い。米国では、この問題をめぐり証券取引所と米証券取引委員会(SEC)・裁判所が対立している。

 このように、企業の経済合理的な目的の遂行とディスクロージャーが必ずしも調和しない「ジレンマ」は、M&A以外でも頻発してこよう。

 今後、迅速なディスクロージャーを推し進めながら、こうしたジレンマを解決するよう努力を積み重ねていく必要がある。



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