文書No.
901023
一橋大学教授 今井賢一・伊藤邦雄
(1)日米間には、M&A(企業の合併・買収)に関して極端な非対称がある。しかし単純に、それを同じレベルにすべきだという議論は適切ではない。 (2)企業をめぐる制度は、市場と組織の相互作用の中で進化的に形成されるもので、問題の歴史的局面をみることが重要である。米国における最近のM&Aは、市場の圧力から離れた企業の多角化に対する市場の反撃という性質を持っている。 (3)日本でも、M&Aの売り注文が増大し、友好的なM&A市場が育ちつつある。敵対的な買収に関しては、株式の持ち合いを禁止するという強制的な方法はとるべきでない。持ち合いの過剰な部分をそぎながら、組織と市場との間に動的な関係を築くため に、企業はIR(投資家向け広報)活動を積極的に行っていくことが不可欠である。一橋大学教授 今井 賢一助教授 伊藤 邦雄 M&Aにどう対処するかは、これからの株式会社制度の根幹にかかわる問題であると同時に、企業組織と金融資本市場の関係にかかわる市場経済の型を左右する重要な問題である。 この問題が具体的な「摩擦」という形で表面化したのが先の日米構造協議だといえる。日米構造協議でのM&Aをめぐる議論の背景になっている具体的事実はきわめて明快である。 すなわち、日本の企業が米国の企業を買収する件数が一九八一年の三十三件から八九年の百九十件と急増しているのに対して、米企業による日本企業の買収は八一年にわずか五件、八九年でも依然七件で、一向に増大していない。 従って、米国流にいえば、日米間に企業買収についての極端な非対称がある。日本企 業が米国でやっていることを米企業はなぜ日本でできないのか、ということになる。 この課題に対して日本がどのような政策スタンスをとるべきかを検討するために、昨年の十一月、研究情報基金(大蔵省系のシンクタンク)に国際的企業買収問題研究会が設置された。同研究会は、最近その成果として「国際的企業買収の展開と日本市場の将来」と題する報告書を公表した。 筆者らはそれぞれ研究会の座長(今井)と主査(伊藤)を務めたものとして、若干の私見を交え、われわれの基本的な論点を述べてみたい。 先の米側の主張は、一見もっともで、理にかなっているようにみえる。しかしそれは、本質的な論点、すなわち企業にかかわる制度は、市場の発達との動的な相互作用の中で進化的に形成され、そこでは歴史的な時間が決定的な重要性を持っていることを無視した議論である。 米国はこれまでに四次にわたるM&Aのブームを経験してきた。一八九〇年代の終わりからの第一次ブームのときは企業が大規模化の効率性を求める水平的合併が主体であった。しかし企業は鉄道網などの急速な発展に乗って、市場を占拠しすぎてしまった。そのため政府の力を借りた市場の反撃が生まれ、独禁法の規制が課されて水平的合併のブームは終えんした。このため次のブームでは垂直的M&Aが主流となった。 この過程で注目すべきことは、M&Aや企業成長が株式の発行を伴った結果、いわゆる所有と経営の分離が成立したことである。企業経営は所有者以外の専門家にゆだねられ、ちょうどいまの日本企業のように市場の長期をみて積極的な設備投資ができるようになった。この時のM&Aは、所有と経営の分離、株式の分散と結びつくことによって、市場の良さを引き出す側面を持っていたのである。 ところが、そうした企業の成長は、企業内に巨大な内部留保をもたらし、それによって経営者たちは次第に市場の圧力から遠ざかっていった。その結果、おのずと企業の巨大化によるパワーの獲得自体を目的とした多角化投資を行うようになった。これがコングロマリット(複合企業)化に象徴される第三次M&Aブームの本質であった。 企業のトップは事業組織の長期的な発展を重視するよりはむしろ、自分に与えられたストック・オプション(株式買い取り請求権)に目を向け、その時々の企業の株価に神経質になり、自己の評価と所得を上昇させるという「合理的」行動をとったのである。 このような市場の使われ方には、市場自体が反撃する。一九八〇年代に起きた「メガマージャー(超大型M&A)」と呼ばれた第四次M&Aブームは、市場から離れたところにいる経営者や所有者から企業の意思決定権を奪い、ウォールストリートの専門家や、企業経営の専門家の手にそれを取り戻し、市場の風圧を企業経営に直接にあてようとする反撃だったのである。 しかし、そうした反撃が行き過ぎ、今度は市場がジャンクボンド(信用度の低い高利回り債券)の崩壊とともに、自らその種の過剰な部分を取り除こうとした。その結果、第四次ブームは終えんに向かいつつある。 このようにM&Aは、企業組織と市場が過剰な反応と反撃を行うという動的な相互作用の中で、経営資源の形成とその再構築の戦略的な手段として生成してきた。それはまた、同時に企業の国際的進出の手段ともなってきた。しかし、外国企業によるM&Aが受け入れ国でさまざまな反撃に遭うのは、歴史が証明している。 例えば、一九六〇年代におけるゼネラル・エレクトリック(GE)によるマシン・ブルの買収が「ヤンキー・ゴーホーム」というような強い反撃に遭ったのは有名な話である。米企業も、欧州において政治的、市場的な反撃に遭いながら、時間をかけて進出していったのである。さて、以上の歴史をふまえて、はじめに提出した問題にどう答えるべきか。 日本国内のM&Aについて今回の調査でわかったことは、日本企業においても後継者難などの理由から企業を売りたいという希望が着実に増加してきており、仲介機関には買いの注文よりも売りの注文が多く、かつその規模は年々拡大してきているということである。従って、年初来の株価の低下とも相まって、日本企業の友好的買収の市場が形成される条件が整いつつあるといえる。 問題は敵対的な買収にどう対処するかである。いまのところ日本の企業は激しい競争を行っている。従って、財・サービスの市場に関しては米国の場合のように市場の圧力から解放された自己権力拡大の投資が行われる可能性は一般的には乏しい。しかし、世界市場での地位を確立した日本企業には、十分すぎる内部留保を持つ企業も多くなってきた。銀行と企業の結びつきが、市場の圧力を遮断しているケースも多い。これらについてはすでに市場の反撃が始まろうとしている。 ここで想起すべきは、企業をめぐる制度を考えるにあたって、歴史的な時間の順序が大事だという前述の論点である。M&Aを何らかの市場圧力を作用させる方法だとみたとき、銀行ローンあるいは負債の市場を通じて圧力を及ぼそうとするか、それとも株式市場を通ずるかについて、日本と米国では時間的順序の入れ違った対応をしているとみることができる。 つまり、米国で流行しているレバレッジド・バイアウト(LBO=買収先企業の資産を担保とした借金による買収)なども、銀行ローンや債券などの負債市場から経営者に圧力をかけようとする動きだと見ることもできる。ジェンセン教授などは、これを「負債による規律」と称して、米企業が活力を復活させるための重要な活動だと指摘している。 日本では銀行の影響力は十分に大きい。その結果、むしろ銀行と企業の組み合わせが経営者の自律性を高めすぎる危険が表れてきている。そうだとすれば、日本では株主の力を強めて、株式市場からの圧力を企業経営に及ぼして行くというルートが求められる。敵対的なM&Aはその強力な圧力源となりうる。 このように日本と米国は企業組織と市場との関係において、異なる進化のステージに立っていることになる。 しかし、敵対的な買収には何らかの防衛手段が必要である。なぜその必要があるかの本質的な理由は、企業の経営資源というものは歴史的な時間の中で累積的に形成されるもので、金融資産の場合のようにいつでも清算して中身を組み替えられるものではないからである。 従って、企業を売買するという金融的取引と、企業組織にコミットしてそれを育てるという実物投資との間には、前者が後者を破壊してしまうことがないような、何らかの防波堤が必要なのである。日本の場合には企業間の株式の持ち合いがその防波堤になっている。 しかし、この防波堤が強力である場合には、敵対的買収による潜在的市場圧力さえもかからない恐れがある。だからといって、持ち合いを一律に禁止したり規制するというハードランディング的な方法をとるべきではないであろう。持ち合いにも合理性があり、従って、その過剰な部分をそいでいくという接近法が望ましい。 同時に、株式持ち合いのために企業経営への市場圧力がかかりにくくなっており、その意味で組織と市場との間に動的関係が生成しにくい状況を何らかの方法で埋め合わせることが、日本ではいま特に必要とされる。 そうした方法として期待されるのが、企業のIR(インベスター・リレーションズ)活動である。IRとは、経営者が法律などで決められた報告を単に免責のために消極的に行うのではなく、自社の理念や戦略、そして経営業績などにかかわる情報を主体的・積極的に投資家に開示する活動をいう。 企業はIRによって、なぜ株式の持ち合いを行っているのか、またその得失はどうなっているかを投資家に示して行かねばならない。こうしたことが、組織と市場との動的関係を築くための必須条件といえる。 M&Aという窓から企業の諸制度を考えることは、日本の株式会社制度を、歴史的経過と現在の国際的諸条件をふまえて、二十一世紀のモデルとして再構築して行く絶好の機会を提供するものである。
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