文書No.
910125
NY市立大学 マコービッツ氏
(1)一九五二年に発表したポートフォリオ(資産選択)理論では、個別銘柄ではなく全体としての収益率とリスクに着目し、高い期待収益と低いリスクを持つポートフォリオを選択することを主張した。 (2)ポートフォリオ全体のリスクを考える上でのポイントは銘柄間の収益率の相関関係である。現実への応用では、期待収益率などの推定値、特に相関係数の推定が困難であったが、各種の要因を使って収益率を説明するファクターモデルの登場でこの問題は大きく簡略化された。 (3)相関係数の推定など、手法の評価には慎重なシミュレーションが必要である。しかし、ポートフォリオ全体の収益とリスクを考えるという分析のフレームワークは非常に強固であり、これを覆すことはできない。 五〇年代に私が行ったポートフォリオに関する理論的な研究と、その後の実用化に至るまでの過程について述べたい。 最初に強調したいのはポートフォリオ理論とは、それを使えばだれでも金もうけができる魔法の箱ではないということだ。この理論は投資におけるリスクとリターン(収益)のトレードオフ(二律背反)を理解するための道具である。実用上の疑問もわいてこようが、理論をよく理解して使えば、結局は長く使い続けることになる。 米国の機関投資家の間でポートフォリオ理論が支持され続けているのは、彼らがその効果と問題点の双方をよく理解しているからであろう。 私は、約四十年前にポートフォリオ理論を発表したが、それは、常識を数式に変換したということにすぎない。五二年の論文では縦軸にリスク、横軸に期待収益率をとると、その平面上に曲線が存在することを示した(図1参照)。これは、各リスクレベルで最大の期待収益率を持つようなポートフォリオ(効率的ポートフォリオ)の集まりであり、「効率的フロンティア」と呼ばれる。 私の論文の後、六〇年代に他の研究者が軸を逆転し、現在では収益率を縦軸に、リスクを横軸にとる図が一般化している。 五二年の私の主張は、投資家はポートフォリオ全体の期待収益率とリスクを考えて行動しなければならないということであった。私が強調したのは、ポートフォリオに含まれる個別銘柄の収益率とリスクをバラバラに分析するのではなく「ポートフォリオ全体」で考えるという点である。ここでは、リスクの指標として収益率のばらつきを表す標準偏差という統計量を使用し、また、収益率には銘柄の価格変化のほか、資本移動や配当を含めた。 さて、ポートフォリオ全体の標準偏差(リスク)の式を見ると、個別銘柄の標準偏差と銘柄間の収益率の相関係数に依存していることが分かる。収益率の相関係数は、ある銘柄の収益率が他の銘柄とどの程度一緒に上下するかを示す尺度である。 私がポートフォリオ理論を研究する以前から、すべての卵を一つのカゴに入れておいては危険であるということは広く知られていた。この相関係数は、二つの銘柄がどの程度同じカゴに入っているかを示す目安である。ある銘柄をポートフォリオに組み入れるか否かの判断は、その銘柄の期待収益率、標準偏差だけでなく、他の銘柄との相関係数 にも依存することになる。ポートフォリオ全体を考えるとはこのような意味である。 結局、私の主張は、投資家は高い期待収益率を持ち、全体として収益率のばらつき(リスク)の小さいポートフォリオを選択せよということであった。 しかし、この理論を実用化するためには二つの問題点があった。一つは多数の証券についてどのように効率的フロンティアを計算するかという数学的な問題であり、二つ目は証券の期待収益率、標準偏差、相関係数をどのように推定するかというデータの問題であった。 計算方法については五六年の論文で私が「クリティカル・ライン法」のコンピュータ ・プログラムを発表し解決した。この入力には、銘柄に関する推定値のほかに取引コスト、組み入れ比率の上限、銘柄入れ替えの制限などの制約条件も含まれる。これらの条件によって得られるポートフォリオは変化するので、制約条件は理論を応用する上で重要な要素である。 問題は推定値であった。当時、私はポートフォリオ選択を二段階に分けて考えていた。まず銘柄分析があり、これは証券アナリストが担当する。次がポートフォリオ分析で、ここではアナリストの推定した期待収益率などを入力して効率的フロンティアを計算する。 しかし、当時のアナリストはこの問題にあまり関心を示さなかった。このため、ポートフォリオ分析者が自ら推定の問題を取り上げるようになった。 その後の二十―三十年はこの推定値のために費やされた。なかでもやっかいなのが相関係数である。その理由の一つは推定値の数が非常に多いということだ。例えば、二百銘柄のポートフォリオを考えると、期待収益率と標準偏差はそれぞれ二百ずつだが、銘柄間の相関係数は一万九千九百もある。 五九年に私は著書の中でこの点に触れ、現在でいうところのシングルファクターモデルにより相関関係を簡略化できる可能性を示唆した。 当時大学院生だったウィリアム・シャープ氏は、このシングルファクターモデルを研究し、収益率の相関関係をモデル化することに成功した。彼はこの業績でノーベル賞を受賞したわけではないが、これは彼の博士論文であり、重要な業績であった。 シングルファクターモデルを理解するには次のような図を考える(図2参照)。縦軸に証券の収益率、横軸に市場を代表する指数、例えば日経平均の変化率をとり、過去の六十期について証券の収益率と指数の変化率のペアをプロットする。次にこれらの点を最もよく説明するような直線を引く。この直線の傾きがいわゆるベータである。 収益率の大半は価格の変化によるので、ベータとは市場(指数)が一%変化する時、その証券の価格がどれだけ変化するかを表していると考えてもよい。シングルファクターモデルでは銘柄の収益率はベータによって説明されるので、その相関もベータという一つの要因で説明される。言い換えれば、銘柄Aと銘柄Bに相関があるのは、この二銘柄が市場との間に相関を持つからである。 このモデルはその後、約十年にわたって米国証券界で標準的なモデルであった。メリルリンチなど証券会社もベータの推定値を機関投資家に提供し、もし相場全体が上がると思うならばベータの高い銘柄を組み入れなさいと助言していた。 ところが、七〇年代中ごろに状況が変化してきた。この時期には、S&P五〇〇指数でみた相場全体は上昇していたにもかかわらず、ベータの高い銘柄は下げていたのだ。この結果、より複雑なモデルが必要であるという認識が生まれた。 そのころ大学院博士課程に在学中だったバー・ローゼンバーグ氏はマルチファクターモデルを考案し、その後これが業界標準となっている。彼はバーラ社を設立し、相関関係のモデルを提供すると同時に、米国の資産運用者の教育にも努めた。 このほか、スティーブ・ロス氏はローゼンバーグ氏とは違った方法で複数のファクターを使うモデルを作成。ニルス・ハカンソン氏らはモデルを用いず、過去の数値から相関係数を推定してもかなり良い結果が得られるという論文を発表している。 このように、相関係数などの推定には数々の方法がある。最終的には、これらの手法が将来どの程度うまく働くかが評価の対象となるが、それはだれにも分からない。そのため過去のデータを使ったバックテスト(シミュレーション)によって手法を評価することになる。 バックテストでは注意すべき点がいくつかある。例えば、取引コストにどのような仮定を用いているかだ。取引コストには手数料のほかに、市場に対する取引の影響も考慮すべきである。統計的な誤差のため、テスト期間はかなり長くなければならない。また、バックテストは過去のデータを使うので、テスト時点で存在した情報のみを使わなければならない。 評価では、作成されたポートフォリオの平均収益率の高低だけでなく、その変動性、成長率、指数からのかい離、シャープの尺度「(収益率―短期金利)÷リスク」などで多角的に判断することが重要である。 しかし、バックテストの結果が良くてもそれだけで安心するわけにはいかない。一般にこのようなテストでは、条件を変化させて何回も繰り返すと、都合のよい結果が得られることが多い。結果の解釈では、数値だけでなく、その経済的意味を考えることも重要となる。 注意すべき点ばかり述べてきたが、悲観的になることはない。ポートフォリオ全体のリスクと収益に目を向けなければならないという基本的なアプローチは強力な理論であり、このフレームワークが崩れることはあり得ないからである。
(11/18)発行年月日 91年01月14日媒体(紙誌) 日経金融新聞紙面 1
マーコビッツ教授は一つのバスケットに卵を全部入れてしまう場合の危険性の高さを例を挙げて、投資の場合にも危険分散が必要なこと、ポートフォリオ理論に基づく投資が米国の機関投資家に受け入れられているのはその有用性が高く評価されているためだ、と指摘した。 その上で、ポートフォリオ理論は(個別銘柄ではなく)、ポートフォリオ全体としてのリスクとリターンの両方を全体として考えることにあり、これさえ納得すれば、後は数学的な作業が残るだけである、と説明した。 しかし、同時にポートフォリオ理論は魔法の箱では決してなく、これを使えば一人だけが簡単に金もうけができるという性格のものではないとして、投資家は理論の中身を十分に理解した上で活用して欲しいと要望した。
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