ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
910701

ベンチャー・ファイナンス

    京都産業大学教授 堀内俊洋

    91年07月01日 日本経済新聞 朝刊  

 個人にとって企業の準公開制度はいかなる意味を持っているだろうか。個人投資家は、山林投資と同じように、新規企業やベンチャー企業に長期に投資する。それ自身に当然のリスクはあるが、個人投資家のリスク分散にはなっている。これが従業員持ち株制との大きな差である。従業員持ち株制では、労働者は労働所得と株式からもたらされる資本所得との間でリスク分散ができない。

 しかし、一方で投資家は投資先企業との間でリスクを分担している関係にある。新規企業がビジネスに失敗すれば、銀行預金の方が良かったということはもちろん結果的にありうる。また逆に、企業家能力がないと思う者も準企業家の体験を持つことができ、 さらに相当な成果も一定の確率で期待できる。個人株主が息を吹き返すわけである。 われわれは投資家と企業家との利害対立の可能性を意図的に議論してこなかった。この点を最後にみておこう。利害対立の多くは、ビジネスのスタート時点では企業家にとって資金の価値が高いのに対し、成功とともに価値は低下し、逆に株主の経営コントロールを恐れ、できる限りこのような株主のシェアを低めようとすることから生じてくる。資金コストはこのような傾向をすべて盛り込むことはできないのである。そのため、企業家のこのような機会主義的行動は避けられなくなる。そもそも、企業経営者と個人投資家は既に対等の関係ではないともいえる。個人投資家がリスクを負担したことに対して十分な成果を得られない場合のことである。

 しかし、このようなケースは、投資家と企業家を引き合わせる金融機関によってある程度は防止できる。このような金融仲介機関はコンピューター処理技術と膨大な情報ストックを活用すれば、投資金額の小さいファイナンスをもアレンジし、販売することが可能になるはずである。

 準公開ゆえに、このような投資銀行を介することを義務付け、銀行への誘因を与えるとともに、銀行の信用を利用することによって分配問題をも緩和しようというわけである。これには副作用もあり、準公開への希望者が減ってくるかもしれない。だが、準公開であることが企業の高い信用力のシグナルになるような工夫があれば、企業のこの制度への反応も変わってくる。

 いずれにしても、この準公開制は、一般の大衆投資家に新しい投資機会を与えるとともに、それを通じて企業家精神という希少資源を企業創造につなげていくものである。両者の間に仲介者として登場する金融機関も投資銀行の役割が強く要求され、金融機関自身にもベンチャー的発想が必要となるだろう。

 スタートアップ・ファイナンスは、今後の金融機関の変化次第で発展もすれば、現状とほとんど変わらないといったものにもなってしまう可能性もある。金融自由化への金融機関の取り組みはますます重要な意味を持ち、日本経済の活力の行方を大きく左右することになる。



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