ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
910705

バブル経済で歪んだ証券市場

    短期利益重視の運用是正を

    91年07月05日 日本経済新聞 朝刊  

(1)「損失保証」や「損失補てん」は、八〇年代後半の“バブル相場”に原因がある。株式市場に大量に流れ込んだ資金は短期間で利益を上げることを要求し、運用担当者は理屈よりは相場の流れに乗ることを優先した大量売買に走った。短期の利益を重視する運用評価体系に問題がある。

(2)「理念なき相場」を改善するには、運用の評価体系の見直しを進めると同時に、預ける側に「株式投資にはリスクがつきもの」という認識を徹底させることが重要である。

(3)証券会社は、経営内容のディスクロージャー(情報の開示)を促進する必要がある。また米国の証券取引委員会(SEC)のような独立した監視機構の設立も検討する時期かもしれない。 編集委員 内田 茂男

 大手四社を中心にした証券業界の不祥事は、日本の株式市場がうさんくさく、株価形成が公正でないことを、国民はもちろん海外にも広く知らせる結果となった。

 一体、株式市場はどうなっているのだろうか。一九八五年のプラザ合意以降の“バブル経済”で顕著になった歪(ゆが)んだ市場構造との関連で問題を考えてみたい。

 株式相場がそれまでのトレンドから離れ始めたのは、八三年からで、特に八六年から急騰した。これを一般的に使われる株価収益率(PER=企業の一株当たり利益に対する株価の倍率)でみると、八二年までは二十倍台で推移していたものが、八三年に三十倍台、八六年には四十七倍、八七、八八年に五十八倍、八九年には六十三倍になった。この年には一時七十倍をつけている。

 このPERというのは、将来得られるであろう配当の原資である一株当たり利益の成長予想が株価に反映するという考え方で、将来の成長が高いとみればそれだけ大きくなる。

 しかし、八〇年代の前半と後半で将来の成長率予想に特別大きな変化はなかった。PERからみれば明らかに株価は高すぎたといえるだろう。

 株価の決定要因としてもう一つ有力なのは、金利と一株当たり利益(いずれも予想)で決まるという考え方である。金利を考慮するのは、それが株以外の代表的な商品と考えられるからだ。

 株価は将来の一株当たり利益を金利で割り引いたものと考えてもよい。当然、一株当たり利益の上昇、金利低下はそれぞれ株価の引き上げ要因であり、逆は逆である。

 この関係を利用した指標としてイールドスプレッド(長期金利からPERの逆数を差し引いた値)や金利修正PER(長期金利にPERを乗じた値)が用いられる。この両者でみても、特に八七年以降は過去の平均(イールドスプレッドで二―三%、金利修正PERで二倍前後)をかなり上回っている。

 以上は八〇年代後半の株価が経済のファンダメンタルズからは説明のできない高い水準にのぼってしまったことを示している。まさに「尺度なき相場」である。

 表は企業の設備投資と、企業への資金のたまり具合をみたものである。現・預金と短期有価証券の増加分をみると、八六年以降資金の蓄積が急速に拡大していることがわかる。この年度に日本の経常収支の黒字がピーク(九百四十一億ドル)をつけ、同時に世界最大の債権大国となった。金融は緩み、株価が上昇していった。

 これを起点に企業への流入資金が二つのルートで急増していった。一つは、円高に伴う交易条件の向上で、企業の利益が増加した。もう一つは、株高を背景にしたエクイティファイナンス(新株発行を伴う資金調達)の急増である。

 エクイティファイナンスは八七年度には前年度の五兆円台から一気に十六兆円にはねあがり、八八、八九年度にはそれぞれ十七兆円、二十四兆円に達した。一方、設備投資はキャッシュフロー(内部留保と減価償却)の増加にほぼ見合っていたから、数字上は株式市場からの調達資金のかなりの部分が企業の手元に残る形となった。

 特定金銭信託・ファンドトラスト(金外信託)の残高は八六年から急増し八九年末には四十二兆円に達している。この特金・ファントラは、税制上既存の保有株の簿価と切り離して新規の売買益を計上できる仕組みである。これは節税効果が大きいだけに、株式を中心にした企業の有価証券投資を促進する主要な装置となった。この特金・ファントラは企業の貸借対照表では現・預金にカウントされる。

 こうして大量の資金が株式市場に流れ込んだ。八九年末の特金・ファントラの株式組み入れ比率は四割を超え、金額にして十六兆円に及んだ。問題はその運用形態である。 資金を預けた企業や金融機関は、決算期ごとに利益を上げることを要求する。これは企業の財務担当者にすれば当然のことであろう。

 一方預けられた側の運用担当者は、一定期間に利益を上げなければいけないわけだから、腰をすえて、一株当たりの利益成長の見込める銘柄に投資するというよりは、相場の流れにうまく乗ることを考えざるを得ない。

 こうなると、みんな買うから上がる、上がるから買うという「理念なき相場」になる。とにかく上がりそうだという一種の“共同幻想”によって株価が上がったのだから、まさにバブルだったということになろう。

 「ディーリング相場」といわれた大量売買は、こうした図式から生まれた。手数料稼ぎを至上命題とする証券会社が運用のすべてをとりしきるいわゆる営業特金ではこれが極端に出た。しかも、これは短期間に利益を上げることを要求する資金を預けた側、預かった側の両者に共通の評価体系と密接に結びついている。「損失保証」も「損失補てん」もここから出てきたといっていいだろう。

 ここで重要なのは、現在の株式市場には個人投資家があまり参加していないことだ。個人の持ち株比率は八九年度末で二二・六%に過ぎないし、売買高に占める比率も八九年ではわずかに一四%、九〇年でも二五%にとどまっている。外国人投資家の比率も一〇%前後だ。

 本来、株式市場は多様な考え方、投資理念を持った投資家が多数いることによってはじめて機能する。ところが、実際には売買の七割が極端にいえば横並びの投資行動をとる独創性のない機関投資家が支配しているわけだ。

 しかも、今回明らかになったように資金の出し手、運用担当者、証券会社が互いに手をにぎりあっているとすれば、健全な市場とはとてもいえない。

 この構図はバブルがはじけたいまも変わっていないのではないか。ここから教訓を読み取ってみよう。

 まず資金を預ける側に、株式等の有価証券は「リスク商品」だという認識を徹底させることだ。それとともに、短期投資よりは長期投資に力点を移すべきだ。担当者の評価もこの視点から見直す必要がある。

 一方、預けられた側は、投資の理念、哲学を確立することだろう。株式を売る側の証券会社の戦略に乗ってよしとするのでは運用担当者とはいえない。それには、経済や企業の成長力を分析できるアナリストを早急に要請しなければならない。証券会社にアナリストはいるが、信託銀行など肝心の運用側にほとんどいないのが実情である。これでは、理屈にもとづいた運用ができるわけがない。それでは、市場の仲介者である証券会社はどうだろうか。

 証券市場にとってもっとも大事なことは、だれもが自分のリスクを引き取り、抜け駆けは存在しないという信頼感を市場参加者が共通に持っていることであろう。

 証券取引法の改正によってインサイダー取引が厳しく規制され、「五%ルール」が施行されたのも、できるだけ市場を透明にしようという意図からである。

 そのかなめとなるのは市場の仲介者である証券会社であるはずだ。その証券会社が自ら天につばしたのでは話にならない。

 これにはいくつかの構造的要因が指摘できる。二つだけ挙げると、まず、大手の証券会社が引受市場で圧倒的なシェアを持ち、そこで企業が調達した資金を流通市場に引き込み、売買手数料を獲得する強力な機能を持っていることだろう。

 もう一つは、相変わらずフローの手数料稼ぎにしがみつく経営体質であろう。この点は、一部の運用会社にも部分的に共通した問題かもしれない。証券会社へ委託した売買の手数料の一部を運用会社に戻す仕組みが存在するからだ。

 これらに対しては、証券会社の経営内容のディスクロージャーを促進することが一つ の歯止めになろう。これによって外部から証券会社の行動をチェックできるからだ。 行政当局の大蔵省にも問題がある。バブルの進行時点でしっかりした対応ができたはずだ。「自主ルール」の名のもとで行政の一部に大手証券会社を参加させ、一般にはわからない相対の行政指導で監督するやりかたは市場の不透明性を拡大するのではないか。「やってはいけないこと」、つまり市場のルールを明示することが必要だろう。ディスクロージャーを行政の面でも進めなければならない。

 また、ルールに違反した行為の取り締まりを強化する意味で、米国のSECのような独立した組織の検討も必要な時期かもしれない。



お問い合わせ ik8m-ysmr@asahi-net.or.jp


目次に戻る