ディスクロージャー研究学会



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文書No.
910911

証券監視機関のあり方--監視と育成独立保て

    東大教授 若杉敬明

    91年09月11日 日本経済新聞 朝刊  

(1)今回の証券不祥事を通じて、証券業界の自己規律が期待に反して機能しないことと、大蔵省が業界や市場の監視よりも、業界の育成に重点を置いていたことが明らかになった。

(2)新たに設ける証券監視機関については、監視業務と育成業務の独立性を保つチャイニーズウォールをどう構築するかが重要である。

(3)機関投資家の行動のディスクローズ(情報開示)や、取引の少ない銘柄の上場廃止などの措置も必要だ。さらに損失補てんを許容していた日本人全体のビジネス観の転換が最も重要といえる。


 証券不祥事をきっかけに監視機関創設のムードが高まっている。大蔵省の通達にもかかわらず違反を繰り返してきた証券会社は悪質であるので、法律を厳しくし、司法の力を強くする必要があるという発想である。

 極貧の国では、法を厳しくし、罰を重くしても犯罪は減らない。生きるためにはどんなことでもしなければならないので、罪や罰を厳しくするほどむしろ犯罪は増えてしまう。貧しさをなくすことが犯罪を減らす最善の方法なのである。警察の力を強化するためにカネをかけるよりも、経済の発展のために投資をする方が、長期的には、はるかに効果的だ。新たな法律の必要があるとすれば、むしろ経済の振興のためである。

 証券界も事情は同じである。補てんをはじめ不明朗な取引が多いのは、それらを生む構造的な原因があるからだ。それは、証券市場で競争という経済原理が貫徹されていないということである。証券界には、行政的なものにせよ自主的なものにせよ、規制が多く、競争による価格メカニズムが機能しにくい。

 転換社債(CB)は額面発行されるが、つい数年前まで、百円で売り出されたものが流通開始と同時に百五十円、百六十円で売れたのである。本来、その価格で売れるものを、百円に割り引いて売り出したということである。もちろん投資家は短期間で高収益を享受した。これは通常の値引きの範囲をはるかに超えており、明らかに既存の株主の利益を害している。

 CBの主要発行条件は、クーポンレートと転換価格である。クーポンが高ければ社債の性格が強いので転換価格は高くてもよいが、クーポンを低くしようと思えば、株式の性格を強めるために転換価格を低くしなければならない。いずれの組み合わせを選ぶかは発行企業の資金ニーズによるが、わが国の証券界では、転換価格について申し合わせがあり、自由な組み合わせが選べなかったのである。

 企業の財務担当者がCBの性質をよく知らなかったという問題もあるが、専門家であるはずの証券会社のアドバイスが適切でなかったために、クーポンレートの設定が高すぎたため、このような状況が長い間続いた。

 これは、証券界が、証券市場での価格メカニズムにいかに無関心であったかを物語っている。それどころか、今回の証券スキャンダルで明らかになったように、CBが補てんの主要な道具に使われていたことからすると、故意に経済原理を無視してきたと判断されても言い逃れはできない。

 別の例を挙げてみよう。今回の不祥事は大口顧客の優遇ということで大きな問題とされている。しかし、大口優遇はどの世界でも見られることである。大量取引は種々のコストが節約できるので、値引きなどで優遇するのは経済原理に即している。しかし、競争が自由にできるようになっていれば、大量仕入れ・大量販売を得意とする流通業者が現れ、小口の顧客も大口顧客に負けないサービスを受けられる。パソコンをはじめとするOA機器の分野はその好例だ。

 たびたび指摘されているように、手数料に競争制を導入していれば今回のような補てん問題が起こる余地は少なかった。証券業界は、売買委託を主業務とする中小証券会社を守るために手数料は自由化できないといってきた。

 その結果、大口の顧客から利益をあげ過ぎていたわけであるが、そのことを顧客に見透かされ、陰に陽に補てんを要求されたのである。顧客からすれば、払い過ぎの手数料でリスクヘッジのサービスをしてもらったわけで、経済的にきわめて合理的な行為だ。証券界の外からは経済原理貫徹の圧力が働いたのは皮肉である。

 余談であるが、売買手数料固定制の根拠の一つは、証券会社による投資情報サービスがそれに含まれているということである。最近、パソコンでの取引に関心を持つ個人投資家が増えている。それは、証券会社の窓口を訪れると売買を勧められるが、言うとおりにして得したことがない、余計なサービスはいらないという意味だそうである。

 証券界は、業界の秩序を守るという名目で、さまざまの規制を残してきた。結局それが自らの首を絞めてきたのである。経済学に通暁した大蔵省の担当者が、このような問題を知らなかったことはありえない。銀行界に見劣りする業界を育成するという意識が強く、本質を見失っていたと言われてもしかたないであろう。

 現在の証券市場制度は、戦後間もなくできたものであるが、三本の柱で支えられている。ディスクロージャー、業界の自己規律および大蔵省の監督である。

 証券市場を構成するのは証券発行企業と多数の投資家であるが、発行企業は強者であるのに対して個人投資家は弱者である。そこで投資家保護の観点から、発行企業に情報を開示させ、投資家がだまされたりすることのないようにするというのが第一の柱である。両者の間に立つ証券会社の質に関して一定の水準を確保するために免許制をとり、その代わり業界の運営は自由競争に任せる。その実現には、業界の自己規律に期待し、その先導役を取引所と証券業協会にゆだねる。これが第二の支えである。

 第三は大蔵省による業界運営の監督である。金融業は、結局は情報という目に見えないものへの投資であるから、どうしても不正に弱い。業界の自己規律にも限界があるので、大蔵省が国民全体の立場から証券市場を監視するという思想である。

 今回の不祥事で明るみに出たのは、業界が自己規律の期待に反していたこと、そして大蔵省が本来の役目をなおざりにし、むしろ業界の育成の方に目が向いていたということだ。第二、第三の柱が機能していなかったのである。

 大蔵省には、他の省庁同様、業界の育成という役割も課されていた。本来、監督と育成とはまったく違った活動であり、利害が相反することも少なくない。大蔵省はこの二つの役目を演じ分けられず、育成の方に振り回されてしまったのである。

 証券監視機関の設置構想が、臨時行政改革推進審議会(第三次行革審)の議論で一気に現実味を帯びてきた。大蔵省は当初から、省内の組織改革で乗り切ろうとしている。しかし、監督と育成の演じ分けに現実に失敗してきた。改めて利益相反の業務を引き受けようというのであれば、チャイニーズウォール(監督、育成各業務の独立性を保つ隔壁)の構築も含めて、よほどしっかりした構想を打ち出さなければ説得力を持てないであろう。

 最後に、最近の論議で欠けているのは、証券市場の第一の柱に関してである。多数の投資家がいて取引所で競争的に売買する。しかも投資家は弱い保護されるべき個人投資家であるという前提である。現実には保有の面でも売買の面でも個人のウエートは下がり、機関投資家のウエートが高まっている。つまり、強い投資家が市場を支配しつつあるのである。その結果、価格形成がゆがめられているおそれがある。

 機関投資家は巨額の資金を持っているのでその売買額も大きく、価格形成への影響力が大きい。市場の一部は寡占的になっており、このような状況では、投資家の行動をディスクローズするのが有効であることが、理論的に知られている。継続的なディスクロージャーにより投資家の行動原理が明らかにされれば、それなりに合理的な価格形成がなされるというのである。五%ルールや裁定取引の開示など、最近さまざまの市場対策がとられているが、正しい方向を目指したものとして評価できる。

 さらに、上場銘柄の中に取引量が極端に少なく、競争売買による価格形成の前提に反するものが少なくない。確かに、株主数などの上場基準は満たしているが、上場制度の精神に反していることは明らかである。

 これを株式持ち合いによる浮動株の減少のせいにする批判があるが、持ち合いが行われていても取引量が多い銘柄も多数ある。持ち合いは単に売買をしない株主数を増やすだけなので、現在、売買の少ない銘柄は、持ち合いが行われていなくても状況は変わらないはずである。

 確かに、持ち合いによる株主数の増加は、そのような銘柄の上場を可能にする。しかし、持ち合い自体が悪いのではなく、本来取引の少ない銘柄の上場を可能にする上場基準に問題がある。たとえば、上場後の取引量をチェックし、それが少ない銘柄は上場廃止にするというような措置が必要であろう。

 前述のCBは、一般投資家にはほとんど売り出されずに、証券会社が特定の顧客への利益供与に使っていたことは、この世界では周知であった。もちろん、大蔵省も当然知っていたはずである。それを放置していた大蔵省の責任は重い。さらに一般の人々も、日本のビジネスなんてそんなものと許容していたのである。その意味で、今回の証券スキャンダルは、証券界だけの責任に帰すことはできない。日本人全体のビジネス観を反映しているのである。

 公正取引委員会は競争制度の監視機関としてそれなりの成果をあげてきているが、基本的には強い業界の利害に押し切られているというのがわれわれの偽らざる印象である。それでいながら公取委を批判するわれわれの動きは必ずしも強くないのは、われわれがこのような体制を容認しているからだ。われわれの支持があれば公取委ももっと強力な活動が可能であろう。新しい監督機関ができても、われわれ日本人ひとりひとりにそれを支える気持ちがなければ、何の成果もあげ得ない。

 損するのも得するのも同じ日本人という状況では、従来の方法でも弊害は少ないかもしれない。しかし、自由経済のリーダーとして開かれた経済を目指す現在のわが国では、国民がそれに見合うビジネス観を持つ必要がある。




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