文書No.
911218
東京大学教授 三輪芳朗
透明性と情報開示(1) ------------------ 91年12月18日 日本経済新聞 朝刊
もちろん、昔の「透明人間」という映画を思い出して、あまり透明にすると、全く見えなくなるじゃないか、などとヘソマガリなことを言おうとするのではない。 問題が単純ではないことを理解するために、「あなたのすべてが知りたい」と言われた場合に何を用意するかを考えていただきたい。(イ)詳細な履歴書と学校時代の成績証明書(ロ)両親のものを含む所有財産と最近数年間の所得の明細(ハ)レントゲン写真を含む詳細な健康診断書(ニ)精神分析医のものを含む数人の人物による精神状態と性格に関する評価などが即座に浮かぶだろう。過去の恋愛経歴の詳細な報告を求められたと考えるかもしれないし、クリスマスイブに豪華ホテルの部屋を確保することを要求されたと推測するかもしれない。要請主がだれであるかが明らかになれば「すべて」と表現された要請の内容はより限定されたものになるし、具体的にすることを直接求めることができるだろう。もちろん、「聞きたかったことは、好きな食べ物です」と言われて、膨大な「情報開示」作業が徒労に帰する可能性も小さくはないはずである。 「透明性」を額面通りにとって、社会の全構成員のあらゆる要請にこたえる必要があり、要請主のだれからも不満が出ないようにあらかじめ「情報」を開示すべきだとか、短時間に要請にこたえられるように体制を整えるべきだということになれば、膨大なエネルギーと時間がかかるだろう。また、特定の人物、あるいは企業や限られたサークルに対してならともかく、公開することは大きな心理的コストを強いることになるかも知れない。さらにその結果、開示される情報の内容に著しいバイアスがかかるかも知れないから、だれがどのようにしてその信頼度を確保するかという点についても配慮する必要がある。 問題は、何をどこまで「開示」すべきか、「開示」された情報の内容の信頼性をどのようにして確保するか、企業などの自主的な選択に任せた場合にどのような点で「開示 が不足または、過剰となるか、さらに、関連して、政府の果たすべき役割があるとすればなにか、という点なのである。
あらかじめ確認しておくべきことは、企業や産業に関連する情報のうち、政府が収集してつくる「官庁統計」に限定すれば、日本は世界で最も整備された国であり、少なくともそうした国々の一つだという点である。従って、「国際化」のために、このような情報をより一層充実しなければならないという主張は成立しない。 企業情報の開示について検討する際に留意すべきことは、多くの側面について、企業は自発的あるいは自主的に情報を開示するという点である。また、これだけ「透明性」が強調されるのだから、特段の「費用」がかからなければ、情報を開示して透明な存在である点を強調するだろうという点である。 多くの大企業は株式市場に上場し、それに伴う情報の開示義務を好んで受け入れる。また、消費者に訴えるために、広告や販売促進活動に力を注ぎ、工場見学などの申し込みを歓迎する企業も少なからず存在する。マスコミ関係者、証券や銀行のアナリスト、大学の研究者などの面倒な問い合わせに積極的に応じる企業も多い。なかには、特定のライターに情報を提供し、いささか過剰でバイアスがかかっているとさえ思われる開示が、雑誌記事や書物を通して行われることさえ目にする。 このような行動は、多くの場合限定された情報の受け手を想定している。上場に関連した情報開示は潜在的な存在をも含めた株主を受け手とし、広告などは消費者を想定している。資金の出し手である金融機関などを想定したものも、原材料などの供給企業、下請け企業などの取引相手を想定したものもある。より広く、社会全般を想定した活動も少なくないが、それも、よりよい社員の獲得を目指したり、何かのトラブルに巻き込まれた時の社会の好ましい反応を目指しているのかもしれない。 企業が自主的に開示する情報は信用できないとする見方があるだろう。しかし、ゆがめられた情報を開示したツケは、事後的な信用失墜や損害賠償請求によって償わされる可能性があるし、逆に、強制された開示情報なら「正確だ」という保証はない。 重要なことは、方向や程度について改善点があるとしても、企業は情報を自発的に開示して社会の構成員の理解を求める傾向があるという点と、政府はまず、現状の問題点を明らかにし、その是正策を具体的に論じるべきだという点である。また、強制により開示される追加情報が必然的にゆがめられることに対する対策が必要となるが、それに伴う社会全体の利益と費用を明確に示して、開示を強制する範囲と方法を検討する必要がある。
リベートが日本的取引慣行として話題になる際には、これが「あまりに複雑であって、とりわけ新規に参入する事業者、なかでも外国企業にとっては、この複雑さが実質的な参入障壁として機能している」から、リベートを禁止するか、リベートを支払うルールを開示すべきだなどとされる。このことが日本の取引関係の透明性の確保につながり、同時に日本の消費者の利益につながるというわけである。 外国企業とは何のことか、「外国企業」の製品を外国人だけで販売するわけではない、販売先の取引の仕方を理解するのは当然の企業活動の一環だ、などという「正論」はここでは棚上げにする。 最初に確認すべきことは、リベートの受け手は、リベートの額についてかなり正確な予想を立てることができる点である。そのような予想すら立てられないほど不透明なリベートは、リベートとしての機能を果たさないから、出し手企業はそのような情報を受け手に知らせる誘因を持っている。販売促進のために支払うリベートが、何をすればどれだけのリベートが支払われるかが受け手にわからないことはありえない。 問題は、受け手企業1に対するリベートの与え方を、他の受け手企業2や出し手である企業3の競争相手である企業4も知ることができるという意味で「透明性」を高めることが望ましいか、という点である。 企業1と企業2が競争相手の受け取るリベートについて相互に正確に知ることは、競争相手の実質的な仕入れコスト情報のより正確な把握につながる。また、企業3と企業4が競争相手の支払うリベートの額と方法を相互に正確に知ることは、競争相手の価格戦略などに関する予測可能性を増す。いずれも、競争相手の積極的な行動に対するより迅速な対応を可能にし、価格引き下げなどの積極的な行動から得られる利潤の期待値を小さくするし、さらに、カルテルなどの協調行動の維持をより容易にするだろう。 取引の当事者にとっては、リベートは実質的な取引価格の一環である。それが競争業者に正確にはつかみにくいほど複雑であり、多面的ならば、同業者間での協調行動、そのための相互監視がより困難になるから、その透明性を高めることが、競争を阻害する可能性があるという点に注意しなければならない。半面、かかる費用を負担して社会が獲得する利益はほとんどない。まして、リベートの支払い方法の変更は、事前に開示して「透明性」を高めてから実行することなどということになれば、これが強力なカルテル支援策であることは明白であろう。
理由の公表については、内容の信頼性をだれがどのようにしてチェックするのか、たとえば、「欲しくなかったから」という誤りではないが実質的ではない情報が提示され た場合の対応策をどうするのかなどという疑問があるが、その点は棚上げにしよう。 開示により社会が獲得する利益は何だろうか。社内取引には透明性が必要ないのなら、取引相手との合併が進行し、結果として、親会社をスリムにして分業の利益を徹底して追求するという日本の製造業の高生産性を多少は犠牲にすることになるかもしれない。 重要なことは、強制開示が重要な企業戦略関連情報の開示を伴うから、結果として競争を阻害し、同時に、競争企業の模倣などの対応を容易にすることにより革新的な活動の予想収益率を低下させ、それを妨害する可能性がある点である。 特定企業の製品を購入しない理由が、製品価格の高さならば、購入企業が価格を重視していることと、現在もっと安く調達していることが開示される。品質の特定の側面に不満があれば、注目する側面に関する情報が開示される。将来のモデルチェンジをにらんだ部品の共同開発のパートナーとしての評価を含むとすれば、その点に対する重要な情報を競争業者に開示することになる。このような情報は、前述した(3)や(2)のケースだけでなく、(1)を強制する場合にも実質的に含まれる可能性のあることに注目する必要がある。従来の重要な取引相手との取引を削って他との取引を増加させるという事実は、関連情報を豊富に蓄積する競争相手にとってはとりわけ貴重な情報かもしれない。 リベートや系列取引に限らず、「重要な情報」の開示は、企業間の競争関係に重大な影響を与える可能性がある。また、研究開発、人材の育成、新規分野への進出、広告、販売経路政策などという企業の基本的な戦略にも決定的な影響を与えるだろう。 筆者のような研究者にとっては、開示は多ければ多いほどありがたいが、この点は無視しよう。開示を迫る側には直接計算できるコストは大きくは見えないかもしれない。しかし、以上のように考え、さらに、強制的に開示させることにより企業が直接負担する心理的なものと内容を正確にさせるために必要な実質的な「費用」が少なくない点にも注目すれば、これに伴う負担が膨大なことは明白である。半面、開示を求める情報の内容を慎重に吟味したとしても、そのことにより得られる利益はあまり大きくはないだろう。
日本の政府の意思決定の仕方や内容、政府と民間企業の関係は、外国人や外国企業の経営者にとってのみならず、多くの日本人や日本企業の経営者にとってもはなはだ分かりにくく、不透明である。 最近の例として、十一月十二日の日経新聞朝刊の一面トップを飾った「輸入・現地調達拡大 輸出四十社に計画要請 通産省方針 三年間の目標明記」という記事をとり上げよう。通産省が、貿易・投資の対外不均衡を是正するため、売上高五千億円以上でかつ年間輸出額が十億ドル以上の四十社に対し、国際交流プランを十二月までに作成するよう要請し、輸入拡大と現地調達拡大の二計画については三年間の目標値の明記を求めるというものである。 分かりにくく不透明だというのは、たとえば次のような一連の疑問を持つからである。(1)企業が要請に応じなかった場合はどうなるのか(2)目標値を明記すればよいのか(3)最低水準があらかじめ示されるのなら、その決め方はどのようなものか。その水準を拒否したらどうなるのか(4)明記した水準を達成しなかった場合に何が起きるのか(5)そもそも要請は何に基づくのか(6)要請に従うとすれば、その理由は何か(7)要請に従わせることが可能なら、なぜこれまで行使しなかったのか(8)これにより実現しようとする目標額はどれだけか(9)目標額の妥当性はだれがチェックしたのか(10)どの程度の効果をあげたら成功とするのか。具体的な目標値を明示せずに政策の効果の評価が可能か、それともそもそも評価しないのか――。 私は、多くの経済学者と同様、これを早急に是正すべき不均衡とは考えていないが、この問題を別にして考えると、通産省が強力な権限と実行力を持つと考える人々は、これによって不均衡が大幅に是正されると期待するから、かりに期待が実現しなかった場合には、有言不実行だとして通産省を非難するだろう。通産省がそのような力を持たないと考える人々は、例によってビジョンと称してアドバルーンを上げただけだと考え、何も期待しない。中間に位置する人々は、さまざまな形で協力を迫るからいやでも多少は実行するだろうが、画期的な成果は上がらないと考えるだろう。 いずれの結果となるかは、ここでの問題ではない。この政策は右に見た多面的な不透明性に取り囲まれており、これが三年後になっても解消しそうにない点が問題なのであ 日本政府の意思決定の仕方、政策の内容、政府と民間企業の関係の周囲には、幾重にも不透明な膜があり、外国人のみならず日本人にも不透明なのである。このような不透明性を解消するための最小限の説明が行われることが期待できないだけでなく、たとえ ば十年後になれば、政策の妥当性と効果の評価が開示されることさえ期待できない。
最近大銀行の担当者から話しを聞いた際の会話の一部である。話題の「通達」を含む行政指導の中には文書になっていないものが多数あり、透明性を高めるために行政指導などの内容の書面化とその内容の開示を求める声が大きくなっている点は周知の通りである。 民間企業と異なり、政府には特定の行為に伴う経済全体が負担する費用をできるだけ少なくしようとする誘因がない。また、企業の製品ならば、気に入らなければ他の製品を選択することにより不満を表明することができるが、政府の行為にはそのような選択の余地がない。このような状況にある消費者、すなわち国民が、よりよい状況を実現するためには、前提として政府の行為に関連する情報が開示され、透明性が高められるこ が必要である。しかし、民間企業のケースとは異なり、政府には自主的に開示する誘因が乏しい。強制的に情報を開示することが必要なのは、民間企業よりはむしろ政府なのである。 一連の「証券不祥事」に関連して、株式の委託手数料の自由化が近い将来に実現しそうな雲行きである。多くの経済学者と同様、私もこれを当然の選択だと考える。透明性との関連でこのことに言及するのは次の理由による。 長い年月をかけた慎重な審議の結果、昨年六月に作成された証券取引審議会の報告は「基本的には現在の固定手数料を維持しつつ、その水準については引き続き、国際的水準の動向を勘案し、機動的、弾力的に見直しを行っていくことが必要である」として、現行体制の維持を確認した。その審議会が、一年しかたたない時期に、自由化を答申す るのであれば、その間に何が起きたのかを明確に説明するのが透明性というものだ。 事実判断が誤っていたのであれば、その内容を具体的に説明する必要があるし、誤りを犯した原因を明示しなければならない。また、同じメンバーがつくった報告書の他の部分は妥当であることと、今回の結論は誤りではない保証がどこにあるかを示す必要がある。そもそも、現行の審議会方式では、だれが、どのようにして内容を実質的に決定し、責任をどのように負うのかも明確ではない。透明ではないシステム下での決定が続けば、正当な要求さえも反対する側からは「ゴリオシ」だと非難される可能性がある。 行政に関連する、以上のような点の透明性を高めることは、外国人や外国企業のために行わなければならないのではないし、いわば「国際化」のために甘受しなければならないコストでもない。なによりも、日本で活動する人々や企業にとって、より住みよい、より開かれた社会を実現するために一刻も早く実現すべき国民的課題なのである。
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