ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
930401b

情報公開と経営

    総合法令 刊 (21世紀へのニュー・マネジメント 第14巻 「情報」の6)

    吉村 光威(日本経済新聞社社友)  

目次
はじめに
(1)最近の情報公開の動き
@国内の動き
(イ)企業情報強化の動き
(ロ)情報公開の効果
(ハ)商品の情報公開
(ニ)政治・行政の情報公開
A海外の動き
(イ)世界の情報公開の潮流
(ロ)ディスクロージャーの国際化
(2)市場経済の理論
@情報公開の理論
Aエージェンシー・コスト・アプローチと銀行
B債券格付けの意義
(3)情報公開を経営に活かす。

はじめに
 1980年代半ば旧ソ連のゴルバチョフ大統領(当時)は政治の民主化・経済の市場化(ペレストロイカ)を行うためまず情報の公開(グラスノチス)を行ったが、米国はそのソ連と新貿易協定を結ぶに際し関係するソ連企業のディスクロージャー(情報の公開)を迫ったというエピソードがある。あの強固な共産主義を崩壊させたのはまさに情報公開であったわけで、それだけに自由企業体制・市場経済体制には情報の公開が必須の条件であることが改めて確認された。米国もすかさず西側のグラスノチス、デスクロージャーを迫るところ、まさに自由競争主義の旗手だけのことはある。

 ところがソ連とイデオロギー論争に終止符を打った米国は自由経済主義の正統性を訴えるかのようにわが国の経済体制の「不透明」、「不公正」を指摘、日米構造協議は「正統性」論議に集中した。このためわが国は系列取引の情報開示やセグメント情報の開示など相次いでデスクロージャーの拡大を図った。しかし日本的経営の基本的問題に関する情報は未だ明確にされたと受け入れられていない。そのうえソ連が解体している頃、わが国の企業は1986年から大量の資金を国内外から調達、設備投資だけでなく証券投資に明け暮れていた。1990年からの株価暴落でいわゆる「バブルの破裂」がはじまると証券の不正取引や銀行の不法融資が相次いで表面化、内外に日本経済のシステムの脆さをさらけ出し信頼性を落としたのは記憶に新しい。世紀末になってわが国の経済のあり方そのものが内外から厳しく批判されている。

 21世紀に羽ばたく経済・経営のシステムはなにか。この問いにわが国の市場も経営も必ずや応えることができると思われるが、そのためには、20世紀末の巨大な市場化の実験の前提の一つ「情報公開」がキーワードになるのだはないか。ディスクロージャーは自由経済主義の原理の一つである。これをテコに世界中から信頼される普遍的経営が望まれる。

「1」最近の情報公開の動き
(1)国内の動き
@企業情報公開の強化
 わが国の情報公開の動きは近年、大変な広がりを見せてきた。もともと情報公開制度は企業が不特定の多数の人々から資本を集めるため内容を公開させ、市場での資本の価値の評価を公正にし、資本の流通を円滑にする制度である。経営者に比べて情報が少ない(情報劣位)投資家を保護しようとするものである。しかし、最近は企業の情報公開に限らず商品そのもの情報開示から、大きくは政治、行政、教育、医療などの面にも情報公開が盛んに叫ばれている。その勢いはまさに留まるところを知らないといっても過言ではない。この潮流は21世紀になってもますます強くなりこそすれ弱まる事は考えられない。また企業・商品の情報開示は勿論、政治・行政の情報公開も企業と無縁でないのでこの分野からも目を離せない。

 戦後、連合国最高司令部(GHQ)はわが国の証券市場再開に際し企業の情報公開(ディスクロージャー)制度を持ち込んだのが情報公開の始まりであるが、その後この制度はあまりにも米国の証券法(1933年法)・証券取引法(1934年法)をそのままに導入したため反動があり、サンフランシスコ講話条約の締結とともに緩和された。経済の復興と成長の過程でいわば”日本流”に翻訳されてきた。

 ところが日本経済がGNPで世界のトップクラスになるとともに貿易面に限らず資本取引でも主導的立場になるとともに企業の情報公開が国際的に恥ずかしくない水準に引き上げざるをえなくなった。それは1976年の連結決算制度の導入であり、1988年の発行開示の簡素化・継続開示の強化であり、そして同年事実上の「ディスクロージャー法」と言われる証取法第2章を「企業内容等の開示」と改められた。これと前後して企業内容の公開制度は整備・強化され、有価証券報告書は格段に詳しくなった。

 小規模企業に対しても情報公開の波は押し寄せた。これは商法によるディスクロージャーが財務諸表など数値的なものに限らず企業のアイデンティティーを示すような定性的項目の公表が義務づけられた。大企業も商法に基づくディスクロージャーを行う義務があるが、上場・公開企業については証取法のディスクロージャーが質・量両面で圧倒的に上回る。

証取法の情報強化の主なものを順を追って列挙すると次の通りである。
一連の企業情報公開強化政策
(A)企業集団状況の開示(1987年)
 親会社、連結子会社、非連結子会社、持分法適用会社の概要など企業集団の内容を開示

(B)資金収支の状況の開示(同)
 これまでの資金繰り状況を改め、主に事業活動にともなう収支、資金調達活動に伴う収支で構成する資金収支の実績と計画(次期上期)を開示。計画が加えられたのが新しい点。

(C)研究開発活動の開示(同)
 事業の概況の中に研究開発活動状況を開示するよう義務付けた。いかなる分野の研究開発をいかなる方法で行っているか明記する

(D)銀行の有価証券報告書の開示の強化(1989年)
 銀行の証取法上の開示は銀行法上の開示(店頭に並べるいわゆるディスクロージャー誌)に比べかなり見劣りするものであった。預金の原価や貸金の利回りを外部から計算可能になる「平均残高」をはじめ国内国際業務部門別粗利益、自己資本比率(BIS=国際決裁銀行=基準)、各種利益率など非監査項目として発表することになった。

(E)インサイダー取引防止規定の実施(同)
 経営者や報道関係者、アナリストなど内部者や第一次情報受  領者が有利な地位を利用してインサイダー取引をしないように次の情報の開示について公表前はもちろん公表後も一定時間取引出来ないなどのルールを設けた。

(a)当該会社の決定事項に関わる事項
 エクイティファイナンス、減資、分割、配当、合併、解散、営業の譲渡(譲り     受け)、新製品・新技術の企業化など

(b)当該会社に関わる発生事項
災害、主要株主の異動、上場廃止の原因となる事項、
(c)決算予想の変化
(F)5%ルールの導入(同)
 上場会社の株式を5%以上取得した者がその旨を取引所に届け出る制度。株式の買収、  株集めが白日のもとにさらけ出される事になった。

(G)保有有価証券の時価情報の開示(1991年)
株式、債券など有価証券の期末の時価と評価損益(貸借対象表価額との差)を開示
(H)セグメント情報の開示(同)
 連結決算に事業分野別の売上、損益を開示。地域別は売上高を開示。総合商社が一セ  グメントで発表し批判をうけるなど

わが国の経営体質を反映して効果が薄くなった。
(I)系列取引の開示(1992年)
 企業集団に関する開示にあらたに子会社(あるいは親会社)との売上(あるいは仕入)  の金額、取引条件などを開示。

(J)「有報」に連結を組み込み連単一冊に(同)
 1992年3月決算から単独の有価証券報告書に連結決算を含む企業集団の開示を加  え一本化した。これの意味するところは連単同時発表で連単同じ扱いとなった。世界  的にみて”連単二元開示”は先進国ではわが国だけだが、これが一冊にまとまり見や  すくなった。


A最近の情報公開の効果
 さてここで若干これらの企業情報公開強化の動きを客観的に評価しておきたい。まず連結決算が証券取引法に導入されたのは、わが国の経営が子会社によるいわゆる「垂直的分社経営」(生産から販売までの一部を子会社化する)が盛んで、子会社を用いて粉飾決算が行われたのでこれを防ぐためであった。ただし、税法や商法の規定ではなくまた独占禁止法上も持株会社は認められていないという条件のもとでの特殊な連結制度であった。連結決算は持株会社の会計といわれるが、持株会社を認めないもとでの連結決算にはそれによるある種の限界は否めない。それが(A)や(I)の情報追加が必要となったともいえる。(H)はももともと「水平的持株会社経営」(業種の異なる会社を株式保有で支配する)のもとで必要な制度であるが、「垂直的」なわが国の企業経営では十分な結果を得られていない。

(A)から(F)はいわゆる「バブル」(泡)が盛んに形成されていた時代と符合するが、(G)などはバブルの後始末的な意味合いは否めない。(E)や(F)がもう少し早く成立しておればバブルの勢いはそれほどでもなかったかも知れない。インサイダー取引防止規定は企業情報を一般投資家より先に知りうる立場にある経営者など内部者の内部情報の取扱いを規制するもの。

 しかし、これら企業情報の公開強化にも拘らず1991年、証券会社の大口顧客に対する損失を補填するという公正な証券市場を根底から否定するような事件が発覚した。この事件は1980年代後半の企業の60兆円余をわずか4年で世界中から調達したのと無縁でない。むしろ「無原価資金」という証券会社の勧めで大量の資金を調達、これを株式投資に直接・間接に振り向けたのがバブルであり、「6%から8%の利回りで運用します」という法律違反以前の約束が損失補填の実態であった。ワラント債は株価上昇見込みで1ー2%という「低コスト」でこれを「6ー8%」で運用するというのだから「エクイティファイナンスをやらない会社はない」という風潮さえあった。その後発覚したいわゆる「飛ばし」事件はまさに株価の値上がりを前提とした約束で「利回り保証」ではなく事実上「値上がり保証」であった。具体例は、債券店頭市場で通常の7倍などという異常な価格を付け、売り値の3倍で買い取るというものであった。発行者たる事業会社とアンダーライター、機関投資家の間にはディスクロージャーの精神も情報開示の思想もどこかへ消えていった。企業情報の開示だけでなく証券市場そのものの開示、証券会社の開示(訂正有価証券報告書を後に提出)などもさることながら、制度以前の不公平・不透明の問題が指摘された。

 一方銀行もバブル発生の過程で不法(不正ではない)な偽預金証書を担保に数千億円という巨額な資金が貸し付けられたという例が一つならず、それもわが国を代表するような巨大銀行が密かに行っていたことが発覚した。バブル発生の過程で銀行は企業が借金の返済を大量に行ったため極端な貸付難に陥り、余剰資金を株式・不動産投資(投機?)に大量に振り向けた。銀行法のディスクロージャーも証取法のディスクロージャーでもこれを嘲るようなこれらの行動は証券会社の不正取引と同等の厳しい批判が寄せられた。加えて上記不動産貸付が不動産価格の下落とともに担保不足、不動産会社の行き詰まりが表面化し、この不良貸付の大きさが信用不安を呼びこれのディスクロージャーの必要性が叫ばれるようになった。情報の公開によってかえって市場の信頼を回復しようという考え方が台頭したことは銀行界では画期的なことであった。というのは銀行は経営内容を大蔵省・日銀に報告することで信用秩序を維持してきたのを、市場に情報を公開する事で信用を確保するわけだから。今後は銀行経営者は開示義務のもと無茶な融資は慎むことが期待できる。

B商品の情報公開
 証券の内容、つまり企業の内容の公開と同じく商品の品質に関する情報の開示もまた民間、行政両方から活発になっている。自動車や家庭電器製品の欠陥商品が発見された場合、これを通産省に届けると共に報道機関に発表するよう制度化されている。欠陥家電製品で火災がおきたとすれば、同じような事故はまた起きるのでできるだけ早く広く広報してこれを防ごうというもの。自動車も同じく事故を防ぐため公表し、リコール(回収)させ、欠陥を改善させるもの。しかしメーカーや販売店のなかには「操作ミス」、「原因不明」などと逃げ、現行の「情報公開」制度だけでは被害者の救済にならないとの考えから、市民運動家は「製造物責任法」の制定を訴える運動を進めている。これは現行は欠陥商品で事故が起きたとき消費者がメーカーの故意・過失、欠陥と被害の因果関係を立証しなければならない。これをメーカーに負わせて被害の救済を図ろうというもの。消費者側の要請は上記立証責任のほか商品の安全性に関する企業・官庁の情報公開を強調している点は情報公開の観点から注目される。全国消費団体連絡会に事務局をおいて「消費者のための製造物責任法の制定を求める連絡会」が91年5月に設置された。製造物責任は家電、自動車よりむしろ医薬品に関し適用を望む声が多い。例えば家庭用かびとり剤で喘息になった主婦はメーカーがデータを出さないので製品と病気の因果関係を立証するのが難しかったというケースがあった。薬については医師が何の説明もなく患者に手渡すのは問題だとする声もあがっている。「医者にもらった薬がわかる本」など患者側の涙ぐましい努力もさることながら「商品の品質情報開示」を医師に任せるのでなくメーカーがもっと前向きに取り組むべきとの声もある。商品の品質の情報開示はあれだけのテレビ宣伝をやっているのにこのようになお不足しているのは「本当の宣伝」をやっていないためかも知れない。いずれにしても欠陥商品は出さないように工場段階の品質管理を徹底しなければならないが、それ以上に商品情報を流布しなければならない。また商品の価格についても「標準価格」表示もさることながら需給を反映したより自由な形成が必要である。 

C政治・行政の情報公開
 情報公開の流れはなにも企業情報に限ったことではない。情報の公開が民主主義の原理であることから国政をはじめ地方自治体の行政に至るまで情報公開の潮流は留まるところを知らない。閣僚の資産公開が定着したのをはじめ国政レベルでも「政府の情報公開に関する連絡会議」(各省庁の文書課長らで構成)が「行政情報公開基準」をまとめた(91年12月11日)。これは決裁手続きの終わった閣議、人事、予算、国有財産、公共事業、補助金など書類だけでなく図画、写真、フィルム、磁気テープを見る事ができるようにするもの。ただし個人の権利や利益を侵害するものや国の安全にかかわるものは除外しているほか、企業の競争に不利益になるもの財産権にかかるものも除いてある。ただ政治資金規制法関係では政治資金の「透明度3%」(91年度)と言う低い水準で、金がかかり過ぎるといわれながら全く政治の情報公開は不徹底である。ある意味では民主主義の危機といえる。

 地方自治体の情報公開は自治体が持っている予算、事業のほか各種の情報を公開するもの。わが国の地方自治体のうち住民の知る権利を保証する「情報公開条例・要綱」を制定したのが100を越えたのは1987年のことだったが、その後もこの動きは留まっていない。東京、大阪などの主要都道府県がいち早く対応しておりまもなく全国を覆う事になる。この条例により市民から要請し、公開された情報は苦情の多い企業名、首長の交際費の使途、霊感商法の被害実態、盗聴事件に関係した警察官の氏名などであった(朝日新聞88年1月6日朝刊より)。

 わが国は国政レベルでは情報公開法はまだ制定されていない。地方段階で最初に情報公開条例を設けたのは山形県金山町で1982年のことであった。その後続々とこれに続く自治体が現れたのは先に述べた通りであるが、国の動きがいま一つにぶいことと自治体レベルの情報公開は、学校教育における「内申書の公開」など先に述べたような次元のものばかりである。総務庁が設置した「情報問題研究会」は90年、6年がかりの報告書をまとめたが、公開の促進よりむしろ公開の弊害が強調され、利点・公用の視点がなかったのは象徴的であった。野党は国政段階の情報公開法の制定を要求しており、この動きはますます強くなるだろう。

 同じ国政レベルとはいえちょっと次元が異なるが、経済統計の公表が”制度化”されつつある。GNP統計をはじめ雇用、物価、金利など証券・金融市場の価格を左右するようなものは公平に市場関係者全員にゆき渡るよう立ち会い時間外に一斉に報道機関に公表するなど「管理」されるようになった。これは国債、株価指数、金利、外国為替の先物・オプション取引が行われるようになり、これら取引はマクロ経済指標の動きに直接影響を受けて価格が動くためである。

(2)海外の動き
@情報公開の潮流
 20世紀を通じて世界の最大のテーマは「資本主義か共産主義か」の選択であり、このイデオロギーの闘いが第二次世界対戦後「東西冷戦構造」をつくり長らく世界を支配してきた。しかし、一方の共産主義が1990年前後に崩壊し、資本主義が世界を覆うようになった。この過程で明らかになったことは共産主義の独裁制と計画経済は結局成り立たないことと、これを民主的に改革(ペレスロトイカ)するには情報公開(グラスノスチ)が決め手であることが旧ソ連が実証したことである。民主主義の政治や市場経済は体制の情報公開が前提であることを改めて確認させた。同時に資本主義側ではより明確で「純粋」な民主主義と自由経済を追求し、「正統派」を主張するようになった。とくにわが国にたいしては米国から日米構造協議の場で日本市場の閉鎖性、なかでもいわゆる「系列取引」の不透明性を指摘した。これがわが国上場会社の有価証券報告書にセグメント情報や関連当事者との取引情報が追加されることになったのは前述の通りである。わが国にとっては”同盟国”からの正統性批判のほうがこたえた。

 「資本主義対資本主義」(ミシェル・アルベール著小池はるひ訳、竹内書店新社刊)は現代資本主義を英米型とスイス、ドイツ、オランダのライン川流域型に分け興味ある議論を展開している。日本は「アルプスに富士山も見える」というわけでライン型に組み入れられている。いわば日本は企業が「運命共同体」であり、アングロサクソン型は完全な「利益追求集団」と解釈できる。ドイツの例でも明らかなように金融は「ユニバーサルバンキング」制で証券は銀行の一部門で完全な間接金融型。銀行は産業界・会社の事情に詳しく、改めて情報を公開して貰う事はないほど。これに対する英米型は証券を核とする直接金融型。「隣は何をしているかわからない」社会。間接金融か直接金融か、情報の公開という考え方からみると大きな違いがある。間接金融ももちろんそれなりに情報の公開が必要だが、直接金融は政治の直接民主主義にも匹敵して情報が広く、早く、正確に直接流布されねばならない。会社の資金調達の募集に応募するのは最終的に一般大衆だから。資本市場はこの英米流の情報公開の考えが主流であり、事実米国主導でことは運んでいる。

Aディスクロージャーの国際化
 1988年11月米SECのルーダー委員長はIOSCO(国際証券監督者会議)の場で証券取引の国際化に鑑み国際取引の為の情報・決裁システム作り、不正取引摘発の国際協力網作りに加えディスクロージャーの国際調整を主張し、こてが情報公開制度の国際化を促進させる大きな力となったのは間違いがない。ディスクロージャーの国際化はその中心的な存在である会計制度の標準化でありもう一つは定性情報や公表の手順などの問題である。会計の国際化はIASC(国際会計基準委員会)が1975年以来進めている。会計方針の開示のあり方から始まって、連結財務諸表の作成の基準、研究・開発費の開示、リースの会計処理、銀行の財務諸表の開示基準(貸出金の損失を開示するよう求めている)、そして比較可能性など30数項目に及んでいる。

 しかし世界の会計基準統一化の動きは迂回の方向に傾いている。というのは米国がまずお互いに母国のディスクロージャーを認め合い(=ミュウチュアルリコグニション、相互承認制)、例えば英国の企業が米国でファイナンスする場合英国の会計方法でよいというもの。わが国もこれに参加しており、これまでの「現地主義」から転換する。このため輸出主力の20社がこれまで作成していたSEC方式の連結決算は1996年から日本方式に変更する事になっている。

 各国で経済・経営の風土が異なるので会計の方法もそれを反映して異なる。税制が異なるし配当の制度も考え方が違う。関西学院大学の平松一夫教授によると日本のある会社が日米両方式で連結決算を作成したところ、日本方式では利益20億円、米国方式30億円と大きく食い違う結果となった。これはこの会社の特別なケースか、あるいはこの決算期の特異な例かは問われる問題だが、それでも「日本方式は保守的、米国方式は派手」との見方は専門家の間で強い。このことを見てもわかるように「相互承認主義」は「標準化」とは無縁の、むしろ相反する考え方といえる。従ってやはり国際的標準化が大同であろう。相互主義は「覇権主義」の色彩が濃厚である。ただし「エスペランドが世界の標準言語にならなかった」という例があるのでこの轍を踏まないことが肝要。

 制度の歩み寄りもさることながらむしろ比較可能性を明確にし職業的アナリストが「読み変え」を行うよにしてはどうか。すでにこの動きは日本経済新聞社(データバンク局)の「日経国際標準財務データ」(日米欧の企業財務データを日本式の連結に合わせ、同時に為替換算を行う、1985年完成)や米英データベース会社による「グローバルバンテージ」(1989年完成、英エクステル社・米S&Pコンピュスタット社の共同開発)がある。外部者がこのような比較分析がより可能性を高めるため各国の会計の特殊性をもっと明らかにしたほうがよい。その意味でIASCが行っている「財務諸表の比較可能性」の検討は有意義である。

(2)市場経済の理論
@情報公開の理論
 第一章では近年における内外の情報公開の動きを概観した。内外とも情報公開は促進されこそすれ後退はないのは明かだが、ではなぜ市場経済や自由企業にとって情報公開が必要なのか。その考え方を整理しておかねばならないだろう。情報公開は「覗き見趣味」を満足させるためにやっているのではないのだから。情報公開の考え方はもともとスエーデンで19世紀の後半、法制化されたのが始まり。米国では約一世紀後「ブルースカイ法」として法制化された。ブルースカイというのはまさに青空のことであり、考え方は「何事も青空のもとにさらけ出し虫干ししよう」というもの。太陽の光によって悪い部分は殺菌され、つまり大勢の人々の目に曝し批判を受けて、それに耐えて初めて健全になるというわけだ。以上は政治や行政の面での考え方だが、経済の面ではどうか。米国で企業情報の公開制度を確立したのは1933・34年の証取法。1929年のウオール街の株価大暴落とその後の大混乱を正常化するため制定されたもので、市場原理以前の詐欺・横領の防止であった。

 企業金融と情報の関係を理論的に最初に説明したのは1950年代のM・M理論(モジリアニー=ミラーの企業金融の理論)だろう。この理論は税金など他の条件が一定なら企業の価値は資本構成が資本であろうと負債であろうと無差別であるというもの。資本市場が効率的なら設備投資資金を例えば債券で調達しようが、株式でしようが同じ、ただし市場に情報が完全に行きわたり、十分競争的でなければ、株式が有利になったり債券が不利になったりする。情報の開示が自由競争をもたらし資本市場を完全なものにする。情報の遍在は価格をゆがめ非効率をもたらす。いかにもアメリカ的な完全均衡主義の理論的世界であるが、さらに1970年「情報の対称性」理論が登場し磨きがかかった。これはジョージA・アカロフの有名な論文「レモンマーケットの原理」が指摘したもので、商品も証券もそれの品質に関する情報が売り手と買い手の間で対称的になるまで開示されなければ商品の選択を間違え、市場はやがて崩壊するというもの。レモンはなかが腐っていても外からわからないが、米国ではその意味から欠陥車を指す。中古車の買い手は売り手がいくら補修して車を持ち込んできてもこれまでの経験から一定の欠陥車を前提に価格を付ける。これではせっかく整備した車を持ち込んだ売り手は逃げていく。そして市場は段々欠陥車が増え、やがて欠陥車ばかりになって市場は崩壊する。中古車の品質に関する情報がこの場合売り手側にあり、買い手とのあいだで「非対称」であったためである。証券の取引でも企業の情報公開が不十分だったら銘柄選択に失敗し(逆選択)、「よい銘柄」は市場から逃避、市場は「悪い銘柄」が蔓延し市場は行き詰まる。この考え方は価格は需給で決まるという伝統的なミクロ理論に情報という要素を取り入れた点で画期的であった。

Bエージェンシー・コスト・アプローチと銀行
 この理論はその後発展して新たに「エージェンシー・コスト・アプローチ」が1970年代芽生えた。この理論は資本と経営が分離している現代、エージェントつまり例えば経営者は経営を委託した株主(委任者=プリンシパル)に経営内容をきちっと報告させることで間違った方向に会社をもっていいかせないようにしようとするもので、ここでも経営情報の開示がキーポイントになる。エージェンシー・コストとは抽象的な概念で例えば経営者が自己の利益のためリスクの大きい設備投資をやったとすると利益分配権のある株主はリスクに見合った高いリターンを享受できるかも知れないが、予め利息が決められている社債権者はリスクだけ被らされる。もう一方のプリンシパルである社債権者にとって「エージェンシー・コストが高まった」という。逆にエージェンシー・コストが高まらないように経営者を監視(モニタリングという)しなければならないし、そのために経営者も情報を絶えず提供していかなければならない(シグナリングという)。この相互のやりとりは経営者の誤った判断や行動(モラルハザード)を防ぐ。

 上記のケースでは経営者、株主のほか社債権者(いずれも直接金融)が登場したが、これは米国ならではのモデルであり、わが国ではさしずめ社債権者の代わりにこの位置には銀行、つまり借入金(間接金融)が登場する。金融仲介機関たる銀行は貸付金がリスクにさらされるのを黙って見逃さない。会社から逐一報告を受け(私的シグナリングとでもいおうか)て経営に口出しをしようとする。つまり銀行による「モニタリング」機能である。銀行自身が一般大衆から金を集めているという「社会的」存在から、貸付金の保全について強い関心を持つのは当然かも知れないが、株式を保有する投資家と貸付金の原始資金提供者(預金者)が同じレベルで経営者に対し「情報の対称性」が確保されなければならない。米国の市場理論は直接金融型が前提で成り立っているがわが国は1980年代後半のあの「大直接金融期間」まで銀行を通じた間接金融中心であった。銀行に情報が集まり、株主は有価証券報告書一冊だった。あのころ企業の借金返済の動きをいち早く察知したのは銀行であり、この余剰資金を株式や不動産に振り向けたのも銀行である。情報の遍在が資本市場の価格形成を歪めてきたといえよう。例えば、メインバンクには事前に決算内容を説明し、経営計画を見せてきた。インサイダー取引防止のためこの「銀行げの事前説明」封じたのはこのためである。銀行内の貸付部門と株式投資部門に「チャイニーズウオール」(万里の長城のような隔壁)がまず必要であるの勿論である。

 エージェンシー・コスト・アプローチから銀行の活動を(預金者に)「委託された監視者」としてエージェンシー・コストを引き下げる機能を強調し、特にメインバンクは企業と長期的・総合的関係を維持しており株主でもある事から債権者の代理人だけでなく(外部)株主の代理人でもあると考えられている。これを前提にするとメインバンクの機能は「企業が資本市場から資金調達

 を行う場合も投資家を安心させ、有利な調達条件を得ることができるという点で企業にとって必要なことであり続ける」ーーというような「偉大な万能」の存在になる。その結果が株・土地のバブル発生とその崩壊による行き詰まりの救済ではやりきれないが、

 わが国の場合は銀行の存在があまりにも強大な存在にも拘らず国内外で「それ以上の大きな」活動をしたため、銀行自身のエージェンシー・コストが異常に高まったといえよう。銀行がモラルハザードを起こしたのである。ただわが国の企業の株式持ち合い構造からみてバブルは銀行だけが演出したのでなく、企業経営者と共に一緒になって形成したことは確かである。BIS(国際決裁銀行)の自己資本比率規制は銀行の過大な成長政策を適正なものに自主的に抑える役割を与えたものである。この結果1992年には株価の下落で自己資本比率が低下し、メインバンクのなかには逆に「カネを貸せない」状態に陥るところもでてきた。「社債でも発行して外部で資金を調達してくれ」というメインバンクもでており企業側も「手持ちの銀行株を売る」という対抗手段をとるところもでている。メインバンク制が根本から問い直されているが、これは基本的問題であり、株式持ち合い構造との関係も含め別途論じなければならない。

 とにかくバブル形成段階で銀行の経営者に対するモニタリング機能が不足していたと考えられる。急いでやらねばならない監視機能は二つある。一つは銀行のディスクロジャーの強化である。経営が行き詰まるほどの大量の貸付や勝手な株式投資は情報開示によって預金者・株主が監視すればそのような無茶は経営者は行わないだろう。預金引き出しや株式売却で対応するわけだ。もう一つはそもそもエージェンシ・コスト・アプローチが前提としている自由金利体制である。預金金利も貸付金利も市場で自由に決定されなければ、資本は自由に移動しないから効率的に配分されない。金利自由化とディスクロージャーは表裏一体で進めなければならない。

C債券格付けの意義 
 つけ加えていうならば銀行が昭和恐慌以来すすめてきた担保金融(有担原則)はバブル形成の過程でも崩壊の過程でも間違っていたことが判明した。特に不法な偽預金証書を担保とする金融は「一時の誤り」かもしれないが、企業金融の土地を担保とする「土地担保金融」は構造的問題を提起し、崩壊した。これは担保の評価も貸付そのものも、また金利も相対取引で情報が公開されていないためである。自由金利のもとでは相対取引はありえない。市場取引が前提だ。価格(金利)が公開されねばならない。企業金融は企業の将来の元利払い能力を基準としたものに移行しなければならないし、徐々にそれは進みつつある。それが社債である。これを支えているのが格付け制度である。債券の格付けは元利払い能力のランク付けを行うことによって、これに基づき市場で利回りが形成されこれが企業の発行利回りを決定する。「安全な企業によりコストの安い資金が集まる」ことで国民経済的に資金の効率的配分がもたらされる。格付けが銀行のエージェンシー・コストを下回っている限り自由経済体制は間違いなく維持・発展する。企業金融は昭和恐慌を契機に日本は社債浄化運動を経て「有担原則主義」を選び、米国は社債の格付けが真価を発揮し定着した。わが国が金利自由化を含め経済の市場化をさらに進めるなら、「格付け主義」を推し進めるしかない。この場合格付機関が銀行(債券受託機関)や証券会社(引き受け機関)とは独立した存在でなければならないし、格付機関間の自由競争が企業のエージェンシー・コストを抑えるように機能することが必要である。格付機関は専門的アナリストの集団を形成し、企業のリスク動向を評価し、監視しなければならない。

 わが国は社債の発行は商法で制限されており、起債に際してもかつての社債浄化時代の名残や戦後の資金配分思想(身長体重方式といわれる規模・実績主義)が残っているが、商法の改正によって社債発行枠は撤廃され、身長体重方式も格付け中心に移行する。遅くても今世紀中には完全な自由化が行われる。そのため社債のディスクロージャーをさらに徹底することと格付機関の独立制を確立し、市場がこれをもとに価格を形成する事が必要。格付機関は格付けに際し経済・金融のグローバル化をふまえ世界的視野(国際的比較可能性の原則)で経済・産業の構造的変化をつかみ(構造分析の原則)、債券の発行体の元利支払能力を長期的視点(長期的分析の原則)で予測し、できるだけ多くの銘柄(網羅性制の原則=多ければ多いほど格付けの体系が理解される)の格付け行い、償還期限まで発行体がエージェンシー・コストを上げないよう監視(監視の原則)しなければならない。筆者はこれを「格付け五原則」と呼んでいる。格付機関そのものの原則はは独立性の原則が最も重要であるが米国ではNRSRO(=ナショナリー・リコグナイズド・スタティスチカル・レーティング・オーガニゼーション=公認格付機関)指定基準として格付機関は名声(レピュテイション)、範囲(カバレッジ)と利益相反(コンフリクト オブ インタレスト)がないことを上げている。利益相反は独立性と同じ意味で名声は市場での認知度だが、さすが市場を大切に考える国だけあって市場での評価を最も重視する。範囲は「網羅性の原則」と同じく「沢山格付けすればするほど格付機関がなにを考えているかわかる」というもの。カバレッジが高いことが指定の条件となる。名声や範囲の裏には決定した格付けをすべて正確に公表している、つまり格付機関はディスクロージャー機関であることを条件としていることを示しており、わが国でも、インサイダー取引防止上、アナリストは勿論格付機関は内部情報を知り得る立場にあり、格付の決定・発表を含めこの規制の対象になる。

(3)情報公開を経営に活かす
@情報公開のシステム
 情報公開は制度的には「ディスクロージャー法」に基づくマンデトリー(強制的)デスクロージャーがあるが、これは上場・公開企業の最低限の情報開示水準を呈示しているに過ぎないと考え

 られる。証取法の情報開示規定以外に、たとえば随時・適時の情報開示がない限り、証券の円滑・公正な取引は成り立たない。ある会社に重要な事件が起きた場合取引所は情報の真偽を確かめるとともに情報が周知されるまで取引を停止するシステムになっているのはこのためだが、これでも規制上のディスクロージャーだけでは必ず情報が不足するためである。「情報の対称性」がディスクロージャーの大前提であることはさきに述べたが、「生き物」の企業の情報は不足するし、経営者のモラルハザードを抑えるための監視ができない。エージェンシー・コストが発生するのは例えば経営者の「資産選択」の場合だが、これがリスクの高いものを選択するならそれを知らせてもらはねばならない。したがってデスクロージャーには自発的(ボランタリー)な情報開示が必要。

・強制的ディスクロージャー・・・法制上
・(マンデトリー)       形式的
 情報開示 ・ 最低水準

 システム ・ 過去のもの

・自発的ディスクロージャー・・・任意的
(ボランタリー) 意味的
効率的
未来のもの
情報開示のシステムは整理すると上記のようになるが、ここで
 強制的ディスクロージャーが「形式的」なのはまさに法律に基づくためであり、自発的ディスクロージャーが「意味的」なのは「意味、内容が豊富」とういう意味で、またそうあるべきだということである。また強制的なものは形式的なので、過去に発生したものが重きにおかれているが自発的なものは計画など未来に目指すものを開示できるので効率的である。強制的ディスクロージャーは規制の通り運用されるが、自発的ディスクロージャーはどのように勧めればよいか。これがインベスター・リレーションズ(IR)である。日本では「投資家向け財務広報」と訳されている。株主を含め一般投資家向けに企業の財務内容、財務戦略、配当政策、投資政策などを直接・間接に自発的に説明し、情報を開示するもの。PRが商品の広報・宣伝ならこちらは企業そのもののマーケッティングといわれる。IRによって資本市場での企業価値を最大にしその結果資金調達コストを最小にしようというもの。「情報の対称性」の確保が投資家側の要請なので地道な努力が必要である。

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