〜 株主の視点から見直した経営および投資指標 〜
大和総研 企業調査第一部 企業財務グループ 宇野 健司
1.CCR(キャッシュフロー資本コストレシオ)とは
a.株主の視点の重要性
経営者は、本来、企業活動を通じて、「株主の利益」を高める任務を負っている。「株主の利益」を高めるということは、企業価値を最大化することによって株式の本源的な価値を向上させることである。しかし、日本の企業経営においては、企業規模の拡大や企業ステータスの向上に関心が払われることはあっても、「株主の利益」について強く意識されることはあまり多くなかったように思われる。このような背景としては、次のような要因が考えられる。
まず第一に、戦後の日本経済が全般に高度成長を遂げたことがあげられる。このような環境のもとでは、売上高や利益の成長と共に、株価も上昇した。そのため、取り立てて株主の利益を意識した経営を行わなくとも、株主の期待は満たされ、結果としてそれほど大きな問題は生じなかった。
第二に、投資家自身の意識の問題があげられる。日本の株式市場においては、株価に見合うだけの価値がその株式にあるのかどうかを真剣に検討する投資家はあまり多くなかった。むしろ、どの銘柄が人気化するかにばかり注目する投資家が大多数であったであろう。このような状況においては、経営者も、株主の利益を特別に意識する必要性をあまり感じなかったと思われる。
第三に、経営者に対する株主の発言力の弱さがあげられる。株主構成に占める個人投資家の割合は、以前は現在よりもずっと高い状況にあった。そして、このような個人投資家の大多数は所有株式数も少なく、また、まとまって行動を起こすということもなかったので、株主の経営者に対する交渉力は、非常に弱いものであったと思われる。
しかし、このような状況は大きく変化しつつある。日本経済が成長期から成熟期へと移行するにつれて、企業収益は伸び悩み、株価も思うように上がらなくなり、その結果、株主の経営者を見る眼が一段と厳しくなって来ている。投資家の意識も着実に向上し、また機関投資家化の進展により株主の発言力は日増しに大きくなりつつある。さらに、株主代表訴訟が容易になったことにより、経営に対するプレッシャーも増して来ている。最後に、金融経済のグローバル化により、米国など海外における株主重視の考え方が徐々に浸透する傾向にもある。
このような環境を考えると、今後日本においても「株主の利益」という視点が、企業経営にとって非常に重要になってくると思われる。確かに、このような考え方が一気に広まるという訳ではないであろう。しかし、90年代の重要なトレンドの1つとして、株主利益という考え方は、望むと望まざるとにかかわらず、着実に浸透して行くものと思われる。企業の経営者がこのような視点で評価され、投資家がこのような視点で株式投資をとらえるという動きは、もう既に始まっているし、遅かれ早かれ、今後無視できないものとなって来よう。
b.既存の指標の問題点
以上のような状況を踏まえ、株主の視点から既存の経営および投資指標をとらえ直してみると、どのようなことが言えるであろうか。現在、一般に使用されている代表的な経営指標としては、ROEがあげられる。ROEは、株主資本をもとに、企業がどれだけの利益をあげたかを測定する資本効率の指標である。また、代表的な投資指標としてはPERがある。これは、1株当りの税引き後利益に対して何倍程度の株価が付けられているかを示し、企業の最終利益に対する株価の割高割安を判断する目安となっている。両指標とも、計算が非常に簡単であることもあり、頻繁に使用されているのが現状である。
. ROE = 税引き後利益
. 株主資本
. PER = . 株価 . = 株式時価総額
. 1株当り税引き後利益 税引き後利益
しかし、両指標は、以下の点において、株主の視点を反映する指標としては不完全であり、また客観性に欠ける面もある。(1)株主資本コストの概念を反映していない。(2)企業が株主の期待を満足させるのに必要な収益をあげているのかどうかが明示されない(ROEのみ)。(3)指標にリスクの概念が反映されていない(ROEのみ)。(4)税引き後利益をベースにしているため、有価証券売却益や固定資産売却益などの一時的な益出しによっても指標が左右されてしまう。(5)キャッシュフローでなく、会計上の利益をもとに算出されているため、減価償却の方法など経営者の選択により、利益額が変わってきてしまう。そのため、企業間比較を行う場合に問題を生じる。
以上の議論は、ROEやPERが無価値だと主張している訳ではない。例えば、売上高至上主義に陥っている会社や、利益額のみに固執してそのために投じた資本の効率を考慮しない企業にとって、ROEを意識することは大きな前進であろう。また、例えば割高割安を考えずに短期売買に走ってしまうような個人投資家にとっては、PERも考慮に入れるのは賢明なことかもしれない。さらに、両指標とも極めて簡単な計算で算出できるというメリットもある。本稿の主旨は、両指標の否定ではなく、むしろ上記の問題点を踏まえて、株主の視点からより適した指標を提案するところにある。
c.CCR(キャッシュフロー資本コストレシオ)の考え方
本稿では、ROEやPERに代わる経営・投資指標として、「キャッシュフロー資本コストレシオ」(以下、CCR < Cashflow / Cost of capital Ratio > と略称)という指標を提案したい。CCRは、キャッシュフローを株主資本コスト額で除して算出する。ここで株主資本コスト額とは、株主が企業に対して期待する最低限の収益水準を意味し、キャッシュフローはその企業の実際の収益を示す。つまり、CCRは、株主が企業に要求する収益水準と比して、企業が実際にどの程度の収益をあげたのかを示す指標である。このCCRが100%を超えていれば、企業は株主の期待以上に収益をあげており、一方100%以下であれば株主の期待を満たしていないことになる。
具体的には、CCRは下式のように定義される。株主資本コスト額(下式の分母)は、株主資本に株主資本コストを掛けて税引き後の株主資本コスト額を算出し、これを税引き前に置き直す(実効税率を50%と仮定すれば、1/(1−0.5)=2倍する)ことによって求める。一方、キャッシュフロー(下式の分子)は、営業利益に減価償却費を足し戻して営業キャッシュフローを求め、それに受取利息配当金を加算し、負債コストとして支払利息割引料(これは株主ではなく債権者のリターンになる)を差し引いて計算する(これが負債コストを差し引いた後の残余収益として株主の取り分となる)。このようにCCRは、株主の期待収益(分母)と実際のキャッシュフロー(分子)とを比較することにより、株主の期待がどれだけ実現されているのかを表わす指標である。
. CCR = キャッシュフロー
. 株主資本コスト額
. = 営業利益+減価償却費+受取利息配当金−支払利息割引料
. 株主資本×株主資本コスト×1/(1−実効税率)
上式における株主資本コストを推定する方法としては、CAPM(資本資産評価モデル)を用いる。CAPMは、「無リスク利子率+リスクプレミアム=期待収益率」という式によって表わされ、投資家がリスクに応じてどの程度のリターンを要求するのかを示す。CAPMを使用する理由は、株主資本コストを推計するモデルとして最も一般的であり、データの入手や計算も比較的簡単だからである。CAPM以外にも、APTをもとにしたモデルなどを使用する方法も考えられるだろう。しかし、ここではCCRの概念を簡潔に提示するために、最もよく知られたCAPMを採用する。
本稿においては、このCCRを、経営指標および投資指標の2通りの目的に用いる。以下では、経営指標としてのCCR(経営CCRと略称)と、投資指標としてのCCR(投資CCRと略称)の概念について、それぞれ説明する。
< 経営CCRとROEの概念図 >
経営CCRは、「株主資本という元手に対する株主の期待リターン(株主資本コスト額)と比較して、実際に企業がどの程度の収益をあげることができたか」を示すものである。ここで問題となるのが、この「元手としての株主資本」をどのようにとらえるかである。本来は、企業の総資産の市場価値から負債を差し引いた金額を、企業の実質的な株主資本としてとらえるのが妥当である。株主は企業の資産を流動化することが理論的には可能であり、そこから負債を差し引いた残額が、その時点での株主の実質的な資産であると考えられるからである。(そして、これを株主に代わって運用するのが経営者である。)しかし、総資産を市場価値に置き直すのは、実際には極めて困難な作業を伴う。株式時価総額を株主資本として用いる方法も考えられるが、これはその時点での資産の市場価値ではなく、企業の将来収益を織り込んだ企業価値であると考えられるために、ここで使用するのは不適切である。そこで、簿価としての株主資本に有価証券含み損益を加えたものを実質的な株主資本として使用するのが現実的であろう。ただし、有価証券含み損益のデータは、近年開示され始めたばかりであるため、本稿における時系列分析(後述)では、簿価としての株主資本を便宜的に利用して経営CCRを算出する。(なお、直近期に関しては、「簿価の株主資本+有価証券含み損益」を実質的な株主資本として計算した経営CCRの業種別ランキングを、各企業のキャッシュフローや株主資本コスト額とともに、参考資料1に掲載したので参照されたい。)
< 投資CCRとPERの概念図 >
一方、投資CCRは、株式時価総額(=株価×株式数)を株主資本とみなして算出する。なぜならば、株式時価総額を使用したCCRは、下記のような算式展開(説明を簡単にするために税率計算は省略)から、理論株価と実際の株価とを比較することを意味するからである。この場合の理論株価とは、現在の1株当りキャッシュフローが将来にわたって一定であると仮定した場合に、その流列を株主資本コストで割り引いて算出した現在価値のことである。この理論株価が実際の株価を上回れば投資CCRは100%以上となり、逆に実際の株価を下回る場合は100%以下となる。投資指標とは、「株価がその投資価値に対して割安なのか割高なのか」を示す尺度である。そこで、この理論株価を株式の本源的な投資価値としてとらえ、これと比較して現在の株価水準が割高なのか割安なのかを判断する。これが投資CCRの基本的な考え方である。(この理論株価に1株当り有価証券含み損益を加えた修正理論株価を使用する方法もあるが、近年のデータしか開示されていないため、直近の分析結果のみ参考資料2に掲載した。なお、ここで、将来の1株当りキャッシュフローを一定と仮定したのは、将来の成長性に関する主観的要因を組み込むと、指標の客観性を損なうからである。この投資CCRに、証券アナリストの企業分析を通じた将来の収益予測を加味すれば、より現実的な投資指標にすることができる。逆に、現在の株価を正当化するには、将来何%の1株当りキャッシュフローの成長が必要となるか(必要成長率)については、定率成長モデルを用いて試算を行なった。投資CCRランキング、理論株価とともに、参考資料2を参照されたい)。
. 投資CCR = . キャッシュフロー .
. 株式時価総額×株主資本コスト
. = キャッシュフロー/株主資本コスト
. 株式時価総額
. = 1株当りキャッシュフロー×株式数/株主資本コスト
. 株価×株式数
. = 1株当りキャッシュフロー/株主資本コスト
. 株価
. = 1株当りキャッシュフローの流列の現在価値
. 株価
. = 理論株価
. 株価
2.経営指標としてのCCR(経営CCR)
前述の通り、株主の視点から経営を考えることは、今後、次第に重要性を増して来るものと思われる。資本の出し手である投資家は、以前とは比べものにならない程、投資価値についてシビアに検討するようになってきているからである。そのような意味で、「提供された資本が株主の期待にかなう適切な収益を産んでいるかどうか」が、非常に重要なポイントとなる。経営CCRによる分析によって、経営者はこのような観点から経営にとって適切な情報を得ることができるし、株主も経営を評価する客観的な基準の1つとして活用できる。「株主から経営者への成績表」として、このような株主の視点からの経営指標が今後浸透して行くことが望まれる。
a.経営CCRの実証分析
本稿では、日経300のうち非製造業を除く176社を対象に、以下の条件において経営CCRを算出し、1980年度から1993年度までの14年間の推移を分析した。
経営CCR = キャッシュフロー
. 株主資本コスト額
. = 営業利益+減価償却費+受取利息配当金−支払利息割引料
. 株主資本×株主資本コスト×1/(1−実効税率)
株主資本コスト:CAPMの算式「 株主資本コスト = Rf + β(RmーRf)」において、
. Rfには現先1ヶ月物の金利、
. Rmには過去15年間の東証1・2部全銘柄の加重平均投資収益率、
. βは過去15年間の東証1・2部全銘柄に対する当該銘柄のベータ値を使用した。
. 実効税率 :50%と仮定して計算した。
グラフ1から、80年代においては、86年の円高不況時を除き、経営CCRの平均は100%を常に上回ってきたことが見て取れる。これは簿価ベースで見ると、企業が投資家の期待リターン以上に収益をあげてきたことを示している。
しかし、90年代に入ると経営CCRの平均は4年連続して100%以下に低迷している。80年代の経営CCRの平均116.4%に比較すると、90年代の4年間の平均は91.6%と約25ポイントもの低下となっている。
経営CCRが悪化した要因としては、株主資本の増加に伴う資本コスト負担の増大に比して、収益の伸びが思わしくなかったことがあげられる。80年代を通じて176社の株主資本の総額は、エクイティ・ファイナンスなどにより、15兆円から43兆円へと約3倍に膨れあがっている。このような株主資本の増大に伴い、それに対する株主資本コストの総額も、同期間に約3倍となっている。このことは裏を返せば、キャッシュフローを以前の約3倍以上の水準に維持し続けない限り、経営CCRは下落してしまうことを意味している。しかし、実際に実現されたキャッシュフローは90年代に入ってこの水準を下回る結果となり、それが経営CCRの下落の原因となった。
このことは、企業が株主資本を拡充する際には、それに見合った収益の増加が見込めなければならないし、またその収益水準を中・長期的にも維持することができなければならないことを意味している。さもなければ、経営CCRの低下を招き、株主の期待に背くことになる。経営CCRは、その計算式からも明らかな通り、(1)キャッシュフロー、(2)株主資本、(3)株主資本コスト、(4)実効税率、の4つの要因で決定される。仮に、(3)と(4)を一定とすれば、経営CCRを維持するには、株主資本の増加率と同水準のキャッシュフローの伸びが必要である。例えば、株主資本1
000億円の企業が、100億円のエクイティファイナンスにより株主資本を10%拡充する場合、現在の経営CCR(仮に100%とする)を維持するには、キャッシュフローも同様に10%増加させなければならない。この企業のファイナンス前のキャッシュフローが200億円であったとすれば、20億円(=200億円×10%)のキャッシュフローの増加が必要となるのである。この20億円が、100億円のエクイティファイナンスにかかる税引前の株主資本コストである。
このように考えると、株主資本にかかる資本コストの負担は、決して軽いものではない。上記の例で、企業の配当負担だけをとらえると、仮に配当利回り1%として、100億円の調達に対して税引き前で2億円(=100億円×1%×1/0.5)にとどまる。しかし、2億円だけで投資家が満足しているわけではない。投資家はこれに加えて、隠れた18億円(=20億円−2億円)の収益を要求しているのである。今まではこの隠れた18億円に対する株主の要求はあまり顕在化して来なかった。しかし、前述の通り、今後はこのような状況は大きく変わって来る可能性がある。エクイティファイナンスを安上がりな方法だと認識するのは危険である。資本コストを意識し、資本を株主のために有効に活用することが、今後一層重要な課題になってくると思われる。
b.経営CCRのROEに対する優位性
経営CCRは、少なくとも以下の3点において、ROEより経営指標として優れている。
(1)経営目標としての明確性
経営CCRは、株主の期待リターンに適合する収益水準のメドとして100%がボーダーラインとなる。経営者は、経営CCR100%を経営目標の最低ラインと考え、その上で、いかに中・長期的にその水準を引き上げて行くかを経営の一つの目標として掲げることが出来る。これに対してROEは、どの程度の水準を経営目標のメドにすれば良いかが曖昧である。ROEの目標を長期金利以上としているケースが見受けられるが、この場合も、投資家からみて満足出来る水準がどの程度なのか依然不明瞭である上、リスクの調整がなされていないため直接長期金利と比較するのは難しい。このような経営目標として不明瞭性は、ROEに資本コストの概念が反映されていないことに由来する。経営CCRが株主の期待収益に対して実際にどの程度の収益をあげたかを示すのに対し、ROEは単に株主資本に対する税引後利益の比率を計算しているに過ぎない(3ページの図を参照)。そのため、ROEは高い方が好ましいということは明らかであっても、どの程度まで高めれば投資家の要求にかなうのかが不明確である。
(2)経営指標としての信頼性
経営CCRは、有価証券売却益や特別損益などの一時的な要因に影響されずに、企業の経常的な収益をもとに経営効率が測定できる。収益環境が思わしくない場合に、日本企業はしばしば有価証券売却益に代表される一時的な「益出し」を行なう傾向がある。確かに、これらは最終的に株主に帰するものではあるが、経営指標として時系列分析や企業間比較を行う場合、このような要因は情報の適切性を歪めることになる。経営CCRは、このような一時的要因を排除し、企業の本源的な収益をベースに算出される。一方、ROEは税引き後利益をベースとしているため、例えば有価証券売却益の計上によって、いくらでも指標を操作することができてしまう。そのため、ROEは、経営指標としての信頼性に欠ける面がある。
(3)経営指標としての比較性
経営CCRは、企業間比較を行う上での比較性にも優れている。これは経営CCRがキャッシュフローをベースにしているため、減価償却方法の違いなどに影響されず、各企業を同じ土俵で比較できるからである。一方、ROEは会計上の利益を使用しているため、減価償却方法に定率法を採用している企業と、定額法を採用している企業とを同列で比較してしまうことになる。長期的には、両方法の差異は解消されるが、ある一時点において企業間比較を行う場合には、ROEは比較性の面で問題が残る。また、減価償却方法の変更によって、経営者が意図的に利益を増減させることが可能であるという点でも、ROEは経営を評価するための指標として、客観性に欠けると思われる。
3.投資指標としてのCCR(投資CCR)
投資CCRの特性としては、(1)投資指標としての適合性、(2)モデルの簡便性、(3)株価との連動性、の3点があげらる。投資CCRは、単に1株当り当期利益や1株当り純資産と株価を比較したものと異なり、理論株価と株価を比較することにより、株価の割高割安を直接的に判断できる。また、投資CCRは、キャッシュフロー割引モデルに代表されるシミュレーション型モデルに比べて、過去のデータのみで算出できるという点でモデルの簡便性に優れ、また、将来予測に伴う主観的要因によって指標が左右されることもない。さらに、代表的な投資指標であるPERと比較して、株価との連動性に秀でている(後述)という点にも特徴がある。
.投資CCR = . 理論株価 .
. 株価
. = 将来の1株当りキャッシュフローの現在価値
. 株価
. = 将来の1株当りキャッシュフローの現在価値×株式数
. 株価×株式数
. = 将来のキャッシュフローの現在価値
. 株式時価総額
投資CCRは、理論株価と実際の株価を比較したものであり、それは将来のキャッシュフローの現在価値と株式時価総額を比較するのと等しくなる(上式参照)。グラフ2は、日経300のうちの非製造業を除く176社における平均投資CCRの推移と、その要因をキャッシュフローの現在価値と株式時価総額とに分解したものを示している。投資CCRは、80年代を通じて大きく低下し、89年3月末には23%と最低値をつけた。これは、株価がファンダメンタル以上に上昇し、いわゆる「バブル」が発生したことを示している。すなわち、株式時価総額が、キャッシュフローの現在価値を大幅に上回るペースで膨張したため、投資CCRが急激に低下したのである。その後、90年1月からの株式市場の急落とともに投資CCRは上昇に転じた。しかし、92年3月末からは、キャッシュフローの低下および株価の上昇により、投資CCRは再び下落傾向となっている。
a.投資CCRに基づく投資手法
本稿では、投資CCRの投資尺度としての有効性を検証するために、日経300のうちの非製造業を除く17業種176社を対象に、1980年度から93年度までの14年間のデータを用いて実証分析を行った。具体的には、以下の条件で、各銘柄の年度別投資CCRを算出し、各業種で投資CCRが最高値(および最低値)を示した17銘柄に毎年均等投資した場合の次年度の投資収益率を、全社平均の投資収益率と比較した。業種に分けて投資CCRを比較したのは、業種により事業の特性が異なるため、同業種の企業同士で対比させる方が適当であると考えたからである。
.投資CCR = 営業利益+減価償却費+受取利息配当金−支払利息割引料
. 株式時価総額×株主資本コスト×1/(1−実効税率)
. 株式時価総額 :当該年度末における株価と株式数の積
. 株主資本コスト:「株主資本コスト=Rf+β(RmーRf)」において、Rfには現先1ヶ月物の金利、
. Rmには過去15年間の東証1・2部全銘柄の加重平均投資収益率、
. βには過去15年間の東証1・2部全銘柄に対する当該銘柄のベータ値を使用した。
. 実効税率 :50%と仮定して計算した。
まず、投資CCRと投資収益率の相関係数を業種別に計算してみると、全業種平均で0.14となり、17業種中15業種において相関関係がプラスとなった(表1参照)。これを対象社数6社以上の11業種に限定すると、相関係数は0.19に上昇し、11業種すべてにおいて、プラスの相関関係が見られた。(対象社数6社以上の業界に限定して計算を試みたのは、対象社数が少ない業種では、得られる数値の信頼性が比較的低いと思われるからである。)
各業種において最高の投資CCRを示した17銘柄に均等投資した場合の14年間の幾何平均投資収益率は、19.8%という結果が得られた。これは全社に均等投資した場合の平均を7.5ポイント上回っている。対象社数6社以上の11業種(153銘柄)に限定すれば、平均投資収益率は21.6%となり、全社平均を9.3ポイント上回ることになる。
また、同様に各業種で最低の投資CCRを示した17銘柄に毎年均等投資した場合は、同期間の幾何平均投資収益率は6.6%となり、全社平均を5.7ポイント下回る結果が得られた。対象社数6社以上の11業種に限定すると、平均投資収益率は5.4%となり、153社の平均を6.9ポイント下回ることになる。
以上の分析結果から判断すると、投資CCRは投資指標として有効に機能すると言えよう。投資CCRの高い銘柄群に投資した場合の投資収益率は全社平均を大きく上回り、逆に投資CCRの低い銘柄群に投資した場合の投資収益率は全社平均を大きく下回っている。また、投資CCRと投資収益率の相関係数も、おおむね正の関係を示している。
b.投資CCRのPERに対する優位性
同様のシミュレーションを、PER(以下では、PERの逆数の「株価益回り」を使用する)を用いて行った場合は、どのような結果が得られるであろうか。本稿では、株価益回りを以下の算式で計算し、各業種でその数値が最高値(および最低値)を示した17銘柄に毎年均等投資した場合の次年度の投資収益率を、投資CCRを使用した場合および全社平均の投資収益率と比較した。
. 株価益回り = 1株当り税引後利益
. 株価
. 株価:当該年度末における株価
まず、株価益回りと投資収益率との相関係数は、全業種平均で0.11となり、投資CCRの場合の0.14を下回った(表1参照)。これを11業種に限定すると、相関係数は0.06に下落し、投資CCRの場合の0.19をさらに大きく下回ることになる。
各業種で最高の株価益回りを示した17銘柄に毎年均等投資した場合の14年間の幾何平均投資収益率は、17.3%となった。これは全社平均の12.3%を5.0ポイント上回るが、投資CCRの高い銘柄によるポートフォリオの19.8%に対しては、2.5ポイント下回ることになる。対象社数6社以上の11業種に限定すれば、平均投資収益率は17.7%となり、全社平均の12.3%に対しては5.4ポイント上回るが、投資CCRの高い銘柄によるポートフォリオの21.6%に対しては3.9ポイント下回る。
また、同様に各業種で最低の株価益回りを示した17銘柄に均等投資した場合については、幾何平均投資収益率が12.5%と、全社平均を逆に0.2ポイント上回ってしまい、また投資CCRの低い銘柄によるポートフォリオの6.6%に対しても5.9ポイント上回ってしまう。これを11業種に限定してみても、14.3%と、全社平均に対して2.0ポイント上回ってしまい、投資CCRの低い銘柄によるポートフォリオの5.4%に対しても、8.9ポイント上回る結果となった。
以上の実証結果から判断すると、投資CCRは、株価益回りと比較しても、より適切な投資判断基準と言えるであろう。投資CCRによる投資手法を用いた場合、高投資CCRポートフォリオは、高株価益回りポートフォリオおよび全社平均を超えるパフォーマンスを示しており、また低投資CCRポートフォリオについても同様に両者に対して非常に低いパフォーマンスとなっている。投資収益率との相関係数についても、投資CCRは比較的高い数値を示しており、また11業種に限定した場合には、更に相関関係が高まる結果となっている。一方、株価益回りを用いると、高株価益回りポートフォリオは全社平均の投資収益率を上回るが、低株価益回りポートフォリオの投資収益率も全社平均を上回ってしまう。投資収益率との相関係数も比較的低く、また11業種に限定した場合には、さらに相関係数が下がる結果となっている。
4.CCRと経営者の役割
経営CCRと投資CCRとの間には、どのような関係が成り立つのであろうか。また、経営CCRを上昇させることは、経営者の役割とどのように結び付くのであろうか。以下では、このような点について論述する。
経営CCRと投資CCRとは、概念的には、上図のような関係にある。経営CCRは、企業の資産価値と事業価値を比較することを意味し(注1参照)、投資CCRは、この事業価値と株式価値(株式時価総額)を比較していることになる(注2参照)。ここで、資産価値とは企業の資産の時価評価額から負債を差し引いた残額のことであり、事業価値とは企業の将来のキャッシュフローの現在価値であり、また株式価値とは株式市場における評価としての株式時価総額である。
このようなフレームワークにおいて、経営者には企業の事業価値を少なくとも資産価値以上に維持することが求められる。もし事業価値を資産価値より大きく出来ないのであれば、株主は経営者に企業経営を任せておく意味がない。理論的には株主は企業を流動化することが可能であるため、企業の資産を売却して資産価値を手にした方がこの場合は有利になるからである。すなわち、経営者の存在意義は、事業価値を少なくとも資産価値よりも大きくするところにある。
この事業価値は、株式市場において株式価値(株式時価総額)として評価される。具体的には、「事業価値=株式価値」となるように、株価が変動することによって調整されることになる。例えば、企業が経営努力によって事業価値を上昇させた場合は、その事業価値の上昇が株式市場において認識されるにつれて株価が上昇し、それによって株式価値が上がり、事業価値とバランスする。このように事業価値の増減は、株式市場における株価の変動によって調整され、その結果、株主は投資のリターン(またはロス)を得ることができる。
このように考えると、経営者が株主の利益に貢献するためには、事業価値をどれだけ資産価値より高めるか、すなわち経営CCRをどれだけ向上させるかが重要となってくる。経営CCRの上昇は、資産価値に対する事業価値の増加を意味し、それが株式市場で評価されることによって、株価の上昇につながるからである。経営者は、このように経営CCRを最大化させることによって、株主の投資に報いる任務を負っている。そして、いかに経営CCRの水準を向上させて行けるかによって、経営者の力量が問われることになる。今後、経営者の経営能力を評価する上でも、このような点が重要視されるべきであろう。
(注1)経営CCR= . キャッシュフロー .
. 資産価値×株主資本コスト
. =キャッシュフロー/株主資本コスト
. 資産価値
. = .事業価値.
. 資産価値
(注2)投資CCR= . キャッシュフロー .
. 株式時価総額×株主資本コスト
. = キャッシュフロー/株主資本コスト
. 株式時価総額
. = .事業価値.
. 株式時価総額
5.まとめ
以上の議論は、次の3点に要約される。
(1)「株主の期待をどの程度満足させているか」を示す経営指標の必要性
代表的な経営指標であるROEは、「経営者が株主の期待をどの程度満足させているか」という問いに、明確な答えを提示してくれない。これはROEが単に利益を株主資本で除して算出されるものであり、この株主資本にどれだけの資本コストがかかっているかを反映していないからである。上記の問いに答えるためには、株主がどの程度の収益を企業に期待しているのか(=株主資本コスト額)を把握し、一方でそれに対して企業は実際にどの程度の収益をあげられたのか(=キャッシュフロー)を計測して、この両者を比較することが必要である。これが、経営CCRの基本的な概念である。
このような指標が今後必要とされる背景には、株主の視点の重要性があげられる。本稿の冒頭で示した通り、今後株主の利益を考えることは、非常に重要なポイントとなってくると思われる。株主の視点からとらえ直した経営指標が経営CCRである。
(2)「株式の本源的な投資価値を見極める」ための投資指標の必要性
代表的な投資指標であるPERは、「現在の株価水準は株式の本源的な投資価値と比較してどの程度割高もしくは割安なのか」という問いに対して、明確な答えを提示してくれない。これはPERが単に株価を1株当り利益で除して算出されるものであり、その1株当り利益の水準をもとにした理論株価までは算定していないことに起因する。上記の問いに答える1つの方法として、現在の1株当りキャッシュフローの水準が将来にわたって一定であると仮定した場合の理論株価を算出し、それを実際の株価と比較してみることが考えられる。これが、投資CCRの基本的な概念である。
このような指標が必要とされる背景としては、株式の本源的な投資価値を見極めることの重要性があげられる。バブルの崩壊による株式市場の急落を契機に、株価の妥当水準が問い直されている。株価の妥当水準を推定する第一歩として、投資CCRを利用することができる。
(3)経営CCRと経営者の役割
経営者には、経営CCRを高めることによって、株主の利益に貢献する役割が求められる。経営CCRの上昇は、企業の資産価値に対する事業価値の向上を意味する。そして、これが株式市場において評価され、株価の上昇がもたらされることによって、株主は投資のリターンを得ることができる。このようなプロセスを通じて株主の利益に貢献することが、経営者本来の任務であり、また、このような観点から経営者の力量も評価されるべきであろう。
それでは、経営CCRを高めるためには、どうすれば良いのであろうか。経営CCRは、前述の通り、株主資本コスト額に対するキャッシュフローの比率を算出したものである。そのため、経営者は、企業の収益水準のみならず、株主資本コストをも意識して経営を行っていく必要がある。今後は、このような視点から経営をとらえ直すことが重要なポイントとなって来よう。
本稿を作成するにあたっては、横浜国立大学の倉澤資成教授から、数多くの貴重なアドバイスを頂戴した。ここに感謝の意を表したい。
なお、経営CCRおよび投資CCRについては、今後、最新のデータに基づいて参考資料1および2のランキング数値を更新して行く予定である。(経営CCRについては、決算の実績数値に基づいて算出し、投資CCRについては、大和総研のアナリスト予想数値に基づいて算出する)。
. 以上
参 考 文 献
(1) Higgins
Robert
Analysis for Financial Management
3rd Ed.
Richard D. Irwin
Inc.
1992.
見芳浩監訳、グロービス訳、「ファイナンシャル・マネジメント」ダイヤモンド社、1994年。
(2) Tully
Shawn
The Real Key to Creating Wealth
Fortune
September 20 1993
pp.34-42.
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