ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
950601

昇進の経済学(1)(2)

    京都大学教授 橘木俊詔

    9506月01日 日本経済新聞 朝刊  

 コーポレートガバナンス(企業統治)と関係のある会社役員の役割について考察してみよう。役員の使命に関する自己評価についてまとめてみると次のようになる。経営に際して最も大切な事項は、会社の安定、従業員の雇用確保、他部門との調整、財務体質の強化や社会的貢献――というように、事業の安定と雇用の確保を第一義としている。第二義的に重要な事項として、企業の成長や企業業績の向上という成長路線が、使命として認識されている。三番目に重要な事項として、役職ポストや担当部門の予算・人員の拡張、他部門との調整などが挙げられている。

 ここで興味のある点は、企業のトップ(社長、専務、常務)と平取締役との間で、この三つの使命に対する評価のウエートが異なる点である。例えば、トップは株主と従業員の双方の利益をより重要視し、かつ全社的な見地で企業グループ全体の業績を重視するが、平取締役は特定の分野の知識や担当部門の地位向上を重要視する。さらに、大企業と中小企業の経営者、そして生え抜きと金融機関派遣の役員の間で、経営に際して重要と考える事項が微妙に異なっていることもわかっている。役員の役割・使命に関しても、役員の地位や出身母体、企業規模によって異なることは特筆されてよい。

 会社役員の役割・使命に関して総じていえることは、事業の安定と雇用の確保が何よりも重要と考えられていることだ。これは日本の企業が、「労働者自主管理型」に近いことを物語っている。役員は自分を育ててくれた企業と仲間への恩返しを基本としている。

 企業内の昇進競争の激しさに基づいて、役員をテニスマッチのようなトーナメント競争の勝利者とみなし、評価する考え方もある。そこでは競争の勝利者には高い報酬が支払われるのであり、米国の経営者が非常に高い金銭的報酬を受けていることから、その説が支持される。ただし両説は併存もありうる。

 日本の経営者や役員がそれほど高い金銭的報酬を受けていないことはよく知られており、米国のような「トーナメント仮説」がそのままあてはまっておらず、むしろ「労働者自主管理型」で解釈する方がより妥当性が高いといえる。ただしプレステージや満足感、それにフリンジ・ベネフィット(給与以外の付加給付)の支払いは日本の役員では相当高く、それらが金銭的報酬の相対的低さを補っていると認識することも重要である。

 筆者の個人的判断によると、日本の会社役員の使命からすると、「労働者自主管理型」と「トーナメント仮説」の折衷案が提出されうるが、日本の役員が非金銭的報酬にかなりの価値を見いだしていることと、従業員を重要視していることからも、どちらかといえは「労働者自主管理型」に傾斜しているのではないかといえる。「昇進の経済学」(2)    95年06月02日 日本経済新聞 朝刊

 会社役員への昇進を調べることによって、日本企業での昇進がどういうメカニズムによって決定されているかが前回までで明らかになったといえる。それに付随して、日本企業のコーポレートガバナンス(企業統治)、ないし企業経営の特色についても言及した。

 最後に、企業内でラインで昇進する、すなわち管理職に就くことが究極の目標か、ということを考えてみたい。

 企業に就職した多くの人は、できれば上の地位に昇進したいと願っている。昇進のメリットは賃金が高いことだけではなく、責任のある地位に就けるので、指導力を発揮できることだともいえる。しかし一方では、厳しい昇進競争に参加することを好みとせず、勤労は生活の糧にすぎないと判断している人も結構いる。

 ラインの昇進を望む人は、競争をいとわず、激しい競争に耐えうる強靭(きょうじん)な信念を持ってほしい。仕事を生活の糧と思っている人は、その人の意思は尊重され るが、残念ながら高い賃金は望めず、しかも他人の命令によって働かざるをえない。 現代の企業では、ここで述べた二種類のホワイトカラーに加えて、もう一種のコースを目指すグループのいることを強調したい。それは専門職を目指す人たちである。

 一昔前あるいは現在においても、ラインの管理職競争に敗れた人たちは、専門職と称されたいわば窓際族として処遇されていた。ここでいう専門職とはそういう人ではなく、進んで専門職を目指す人を指す。専門職はいま増加の傾向にある。特に理工系出身の人に目立つが、文系出身の人にも少しはいる。一般的にいって、文系出身はラインの昇進(すなわち出世)志向が強く、理系出身はラインの昇進志向と専門志向の併存といえる。

 ラインの昇進を目指す人にはその道を与え、専門職を目指す人にはその道を与えるのが理想といえるが、企業経営はすべての従業員を満足させるほど甘くはない。

 しかし、専門職を目指す人を、ライン志向の人より一段格下とみなすことは絶対にしない方がよい。企業の業務が複雑化し、また多様化、高度化している現在、高い能力を持ち、しかも意欲に満ちた専門職の役割は高まっている。高度な経理・法律業務、新製品開発や新技術の開拓に努める研究・開発業務などはその典型であるし、そのほかにも多くの専門職がある。幸いなことにこれらの業務は査定がそう困難ではないので、処遇にも公平性が保たれやすい。

 重要なことは、こういう仕事に就いた人には、その職場で必要な知識や専門をますますみがいてもらい、成功者にはラインの管理職に劣らない、時にはそれ以上の給与の支払いがなされる必要がある。残念ながら専門職で成功しない人は、リターンマッチの機会を与える必要はあるが、それほどの処遇は期待できない。管理職だけがすべてではない、専門職重視の時代が来ているのである。



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