ディスクロージャー研究学会



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文書No.
950610

成長企業公開へ環境整備を

    野村総合研究所副主任研究員 近藤哲夫

    95年06月10日 日本経済新聞 朝刊  

(1)ベンチャー企業の育成を金融面から支援するため、店頭登録基準の緩和が検討されている。それを支える証券市場の基礎的条件として、監督当局、証券業協会、証券会社の役割の明確化が必要だ。

(2)米国ではその分業体制が確立している。これを参考に当局はディスクロージャー(経営情報の開示)の充実、証券業協会は投資家の信認確保のための監督、証券会社は自己責任による引き受け判断に徹すべきである。

(3)赤字の研究開発型ベンチャー企業などへ公開の道を開くため、公開価格設定のための新しい仕組みも求められよう。

 日本経済の活性化に向けて、新規事業の育成が注目されている。これを金融面から支援するため、現在、赤字の研究開発型企業にも店頭登録を認める方向で検討が進められている。そこで、多くの赤字企業を受け入れている米国での株式公開の実態を踏まえ、ベンチャー企業の株式公開を支える証券市場の基礎的条件について考えてみたい。

 米国における株式公開に関しては、証券取引委員会(SEC)、証券業協会(NASD)、証券会社の三者が明確な分業体制をとっている。

 まず株式を公開しようとする企業は、SECなど監督当局の審査を受けなければならない。SECは、事前の登録届け出書の審査、各種の詐欺的行為の防止と事後的な違反行為の摘発と制裁を組み合わせて、投資家保護を実践している。

 注目すべきことは、SECの審査の視点が、もっぱら公開される株式に関して、投資家が投資判断を行ううえで重要な情報が分かりやすく漏れなく記載されているかどうか、という点に置かれていることである。

 公開予定企業の業容やその株式の価値は一切審査の対象にはならない。こうした一見、放任主義的にも映る行動の背景には、次のような投資家保護と自己責任の認識がある。

 まず投資家は投資判断能力を備えた責任ある主体であるから、投資判断のすべての成果をその投資家が享受することを投資家の自己責任とする。

 ただし、これは、投資対象に関する重要な情報が十分かつ適切に開示され、それに基づき投資家が自由かつ自主的に投資判断を行えるという条件下でのみ追求しうる。投資判断に影響を及ぼすような情報、とりわけ投資対象に関する不利な情報が秘匿されたまま行われた投資判断の結果にまで投資家が責任を負うのは不公平である。

 そこで、こうした条件が満たされるような環境を整備することが投資家保護であり、SECなど証券監督当局の役割として期待されている。特に、赤字のベンチャー企業の公開が行われる場合には、リスク要因を含めた投資家へのフルディスクロージャーが投資家保護の中核になることを銘記すべきであろう。

 ナスダック(米店頭市場)に登録する場合には、NASDが定める登録数値基準を満たし、登録企業としてふさわしいか否かの質的審査をパスする必要がある。市場のクオリティーと投資家の信認維持のため、業務内容や実態など、登録企業としてふさわしくないような企業の登録は却下される。

 ただ、数値基準は、米国においては絶対的な要件になっているわけではない。数値基準には達していなくても、申請企業が登録企業としてそん色なく投資家にとって魅力的であれば、登録が認められるケースもある。こうした柔軟な取り扱いは、ナスダックがニューヨーク証券取引所(NYSE)など他の取引所と競争関係にあることと無縁ではない。ナスダックは市場の魅力向上に意欲的に取り組んでいるためである。このため、企業の中には、とりあえず登録申請だけは出してみようというものもあるようで、ナスダック登録申請件数の二―四割が却下されている模様である。

 日本においても、数値基準を絶対視するのではなく、成長力のあるベンチャー企業の店頭登録を前向きに認めるような弾力的な運用が望まれよう。

 SECは、投資家保護の立場から情報開示が正しく行われているか否かを審査し、NASDは、ナスダックへの投資家の信認維持のために最低限の基準を設けてチェックを行う。しかし、これらのスクリーニングを通過する企業が、直ちにナスダック登録されるわけではない。ここに証券会社のビジネス判断が働く。

 証券会社はビジネスとして引き受けを行う以上、投資家に受け入れられるような企業を公開させようとする。その際、証券会社が注目しているのは、一般に、(1)高成長企業かどうか(2)責任感のある経営陣としっかりした内部体制が完備しているかどうか――の二点である。

 高成長企業の要件としては、年率三―四割成長が期待できるかどうかが一つのメドのようである。しっかりした内部体制の要件についても一義的な基準はない。実際、米国では従業員が十人未満のナスダック登録企業もあり、最高経営責任者(CEO)を頂点にしたピラミッド型の組織を持つことは必要条件ではなく、最低限、専任の最高財務責任者(CFO)を置くことは必要というのが一般的な見方である。一方、ディスクロージャー資料の作成も正しくタイムリーに行われるのであれば、アウトソーシングも利用できる。

 ベンチャー企業の株式公開に対する米国証券会社の戦略は極めて個性的である。各証券会社はそれぞれ公開予定企業の業種や規模、地域などの面で自分の強みを生かせる範囲を定めている。証券会社の引受部門自体が経営陣から収益性のチェックを受けると同時に、ハイテク型ベンチャー企業の公開に際しては引受証券会社は極めて高い専門能力が要請されるためである。

 例えば、赤字会社の公開は原則として手掛けないという証券会社もあれば、逆に、不確実性は高く、当面黒字化の見込みがなくても成功すれば大きなリターンが期待できる企業に焦点を絞るという証券会社もある。

 日本でも、公開適格企業に対してすべての証券会社が引き受け競争を繰り広げるような行動は再考されるべきであろう。ある株式が証券業協会のルールに適格であることと、それらが投資家にとって中長期的に魅力的な投資対象であることとは別問題である。この点で、証券会社は自らの引き受け能力を発揮すべきである。

 ベンチャー企業の公開に関して最大のポイントになるのはその公開価格の決定であり、とりわけ、赤字企業の場合にこの問題が焦点になる。

 米国の証券会社は、公開予定企業の利益やキャッシュフローの予想を行い類似企業の株価収益率(PER)や株価キャッシュフロー倍率(PCFR)と比較するなどして公開株式のフェアバリューのメドを立てる。赤字企業の場合には、その企業の持つ技術の収益力や潜在的な市場規模、企業の競争力などを勘案しておおよその価格を割り出しているようである。

 その上で、公開予定企業に関する説明会(ロードショー)を開いて投資家の買い意欲を探り、公開価格を固めていく。これがいわゆるブックビルディング方式であり、その一連の作業は「not science but art」と説明される。すなわち、最終的な公開価格は何らかの算式に数値を入れれば自動的にはじき出されるものではなく、需給の突き合わせにより決定される。市場環境が悪化した場合には公開価格の見直しや公開自体の延期も柔軟に行われている。

 株式の公開前に投資家に提示できるのは仮目論見書の記載情報に限られ、アナリストによる評価や収益見通しの開示は認められていない。こうした制約の中で企業の価値を反映した公開価格を設定するため、「ロードショー」に招待されるのも原則として企業価値の評価を行う意欲と能力を持つ機関投資家に限定されており、プロ同士のディスカッションの中で最終公開価格が決定されていく。

 一方、どのような投資家に公開株式を割り当てるかは、米国においても難しい問題である。リスクファクターが十ページ以上にわたって列挙されている目論見書もあり、一般の個人投資家が熟読したらとても怖くて投資できないとも言われる。このため、米国では個人投資家への公開株式の割当比率は三割程度にとどまっているようである。

 これに対して、日本では、公開株式の大半が個人投資家に割り当てられている。一銘柄当たりの割当株数の上限が最大五千株に制限されているためである。今後、赤字のベン

 チャー企業の公開が実現した場合に、本質的にリスクの高いこれら公開株式を広く一般投資家に割り当てることが妥当かどうかは柔軟に判断されるべきであろう。

 これらの議論を総括すると、日本でもベンチャー企業の株式公開の機能を十分に引き出すために、次のような見直しが必要になろう。

 まず、ベンチャー企業が破たんするリスクは相当高いことから、企業にディスクロージャーを正しくタイムリーに行わせることが投資家保護のために特に重要との立場から、当局の役割が再整理されるべきである。

 具体的には、当局と引受業者との役割の明りょうな峻別(しゅんべつ)が必要になる。当局は、ディスクロージャーの充実、証券業協会は店頭市場への投資家の信認確保の観点からスクリーニングを行う。それにパスする企業の中から、証券会社が自らの信頼性向上と収益性の観点から、自己の責任において引き受け判断を行うべきである。

 第二に、証券会社にとっては自己の引き受け能力のアピール、投資家にとっては証券会社の評価が容易に行えるように、例えば、ベンチャー企業の公開後の時価総額の増加率などのパフォーマンスリストを開示すべきであろう。これによって、証券会社はより緊張感を持って引受業務に取り組むことが期待される。

 第三に、証券会社が将来的な企業評価能力を強化すべきことは当然であるが、特に将来が不確定な赤字ベンチャー企業の公開価格を設定するには、「ロードショー」を行い、プロ同士のディスカッションの中で妥当価格が決定される仕組みが準備されるべきである。

 公開企業によるフルディスクロージャーの徹底、プロの機関投資家マーケットの中での価格探求機能の向上、証券会社の引き受け能力の強化により、赤字ベンチャー企業に公開の道が開かれ、日本の店頭市場が一層発展することが期待950610成長企業公開へ環境整備を――野村総合研究所副主任研究員近藤哲夫95年06月10日 日本経済新聞 朝刊

(1)ベンチャー企業の育成を金融面から支援するため、店頭登録基準の緩和が検討されている。それを支える証券市場の基礎的条件として、監督当局、証券業協会、証券会社の役割の明確化が必要だ。

(2)米国ではその分業体制が確立している。これを参考に当局はディスクロージャー(経営情報の開示)の充実、証券業協会は投資家の信認確保のための監督、証券会社は自己責任による引き受け判断に徹すべきである。

(3)赤字の研究開発型ベンチャー企業などへ公開の道を開くため、公開価格設定のための新しい仕組みも求められよう。

 日本経済の活性化に向けて、新規事業の育成が注目されている。これを金融面から支援するため、現在、赤字の研究開発型企業にも店頭登録を認める方向で検討が進められている。そこで、多くの赤字企業を受け入れている米国での株式公開の実態を踏まえ、ベンチャー企業の株式公開を支える証券市場の基礎的条件について考えてみたい。

 米国における株式公開に関しては、証券取引委員会(SEC)、証券業協会(NASD)、証券会社の三者が明確な分業体制をとっている。

 まず株式を公開しようとする企業は、SECなど監督当局の審査を受けなければならない。SECは、事前の登録届け出書の審査、各種の詐欺的行為の防止と事後的な違反行為の摘発と制裁を組み合わせて、投資家保護を実践している。

 注目すべきことは、SECの審査の視点が、もっぱら公開される株式に関して、投資家が投資判断を行ううえで重要な情報が分かりやすく漏れなく記載されているかどうか、という点に置かれていることである。

 公開予定企業の業容やその株式の価値は一切審査の対象にはならない。こうした一見、放任主義的にも映る行動の背景には、次のような投資家保護と自己責任の認識がある。

 まず投資家は投資判断能力を備えた責任ある主体であるから、投資判断のすべての成果をその投資家が享受することを投資家の自己責任とする。

 ただし、これは、投資対象に関する重要な情報が十分かつ適切に開示され、それに基づき投資家が自由かつ自主的に投資判断を行えるという条件下でのみ追求しうる。投資判断に影響を及ぼすような情報、とりわけ投資対象に関する不利な情報が秘匿されたまま行われた投資判断の結果にまで投資家が責任を負うのは不公平である。

 そこで、こうした条件が満たされるような環境を整備することが投資家保護であり、SECなど証券監督当局の役割として期待されている。特に、赤字のベンチャー企業の公開が行われる場合には、リスク要因を含めた投資家へのフルディスクロージャーが投資家保護の中核になることを銘記すべきであろう。

 ナスダック(米店頭市場)に登録する場合には、NASDが定める登録数値基準を満たし、登録企業としてふさわしいか否かの質的審査をパスする必要がある。市場のクオリティーと投資家の信認維持のため、業務内容や実態など、登録企業としてふさわしくないような企業の登録は却下される。

 ただ、数値基準は、米国においては絶対的な要件になっているわけではない。数値基準には達していなくても、申請企業が登録企業としてそん色なく投資家にとって魅力的であれば、登録が認められるケースもある。こうした柔軟な取り扱いは、ナスダックがニューヨーク証券取引所(NYSE)など他の取引所と競争関係にあることと無縁ではない。ナスダックは市場の魅力向上に意欲的に取り組んでいるためである。このため、企業の中には、とりあえず登録申請だけは出してみようというものもあるようで、ナスダック登録申請件数の二―四割が却下されている模様である。

 日本においても、数値基準を絶対視するのではなく、成長力のあるベンチャー企業の店頭登録を前向きに認めるような弾力的な運用が望まれよう。

 SECは、投資家保護の立場から情報開示が正しく行われているか否かを審査し、NASDは、ナスダックへの投資家の信認維持のために最低限の基準を設けてチェックを行う。しかし、これらのスクリーニングを通過する企業が、直ちにナスダック登録されるわけではない。ここに証券会社のビジネス判断が働く。

 証券会社はビジネスとして引き受けを行う以上、投資家に受け入れられるような企業を公開させようとする。その際、証券会社が注目しているのは、一般に、(1)高成長企業かどうか(2)責任感のある経営陣としっかりした内部体制が完備しているかどうか――の二点である。

 高成長企業の要件としては、年率三―四割成長が期待できるかどうかが一つのメドのようである。しっかりした内部体制の要件についても一義的な基準はない。実際、米国では従業員が十人未満のナスダック登録企業もあり、最高経営責任者(CEO)を頂点にしたピラミッド型の組織を持つことは必要条件ではなく、最低限、専任の最高財務責任者(CFO)を置くことは必要というのが一般的な見方である。一方、ディスクロージャー資料の作成も正しくタイムリーに行われるのであれば、アウトソーシングも利用できる。

 ベンチャー企業の株式公開に対する米国証券会社の戦略は極めて個性的である。各証券会社はそれぞれ公開予定企業の業種や規模、地域などの面で自分の強みを生かせる範囲を定めている。証券会社の引受部門自体が経営陣から収益性のチェックを受けると同時に、ハイテク型ベンチャー企業の公開に際しては引受証券会社は極めて高い専門能力が要請されるためである。

 例えば、赤字会社の公開は原則として手掛けないという証券会社もあれば、逆に、不確実性は高く、当面黒字化の見込みがなくても成功すれば大きなリターンが期待できる企業に焦点を絞るという証券会社もある。

 日本でも、公開適格企業に対してすべての証券会社が引き受け競争を繰り広げるような行動は再考されるべきであろう。ある株式が証券業協会のルールに適格であることと、それらが投資家にとって中長期的に魅力的な投資対象であることとは別問題である。この点で、証券会社は自らの引き受け能力を発揮すべきである。

 ベンチャー企業の公開に関して最大のポイントになるのはその公開価格の決定であり、とりわけ、赤字企業の場合にこの問題が焦点になる。

 米国の証券会社は、公開予定企業の利益やキャッシュフローの予想を行い類似企業の株価収益率(PER)や株価キャッシュフロー倍率(PCFR)と比較するなどして公開株式のフェアバリューのメドを立てる。赤字企業の場合には、その企業の持つ技術の収益力や潜在的な市場規模、企業の競争力などを勘案しておおよその価格を割り出しているようである。

 その上で、公開予定企業に関する説明会(ロードショー)を開いて投資家の買い意欲を探り、公開価格を固めていく。これがいわゆるブックビルディング方式であり、その一連の作業は「not science but art」と説明される。すなわち、最終的な公開価格は何らかの算式に数値を入れれば自動的にはじき出されるものではなく、需給の突き合わせにより決定される。市場環境が悪化した場合には公開価格の見直しや公開自体の延期も柔軟に行われている。

 株式の公開前に投資家に提示できるのは仮目論見書の記載情報に限られ、アナリストによる評価や収益見通しの開示は認められていない。こうした制約の中で企業の価値を反映した公開価格を設定するため、「ロードショー」に招待されるのも原則として企業価値の評価を行う意欲と能力を持つ機関投資家に限定されており、プロ同士のディスカッションの中で最終公開価格が決定されていく。

 一方、どのような投資家に公開株式を割り当てるかは、米国においても難しい問題である。リスクファクターが十ページ以上にわたって列挙されている目論見書もあり、一般の個人投資家が熟読したらとても怖くて投資できないとも言われる。このため、米国では個人投資家への公開株式の割当比率は三割程度にとどまっているようである。

 これに対して、日本では、公開株式の大半が個人投資家に割り当てられている。一銘柄当たりの割当株数の上限が最大五千株に制限されているためである。今後、赤字のベン

 チャー企業の公開が実現した場合に、本質的にリスクの高いこれら公開株式を広く一般投資家に割り当てることが妥当かどうかは柔軟に判断されるべきであろう。

 これらの議論を総括すると、日本でもベンチャー企業の株式公開の機能を十分に引き出すために、次のような見直しが必要になろう。

 まず、ベンチャー企業が破たんするリスクは相当高いことから、企業にディスクロージャーを正しくタイムリーに行わせることが投資家保護のために特に重要との立場から、当局の役割が再整理されるべきである。

 具体的には、当局と引受業者との役割の明りょうな峻別(しゅんべつ)が必要になる。当局は、ディスクロージャーの充実、証券業協会は店頭市場への投資家の信認確保の観点からスクリーニングを行う。それにパスする企業の中から、証券会社が自らの信頼性向上と収益性の観点から、自己の責任において引き受け判断を行うべきである。

 第二に、証券会社にとっては自己の引き受け能力のアピール、投資家にとっては証券会社の評価が容易に行えるように、例えば、ベンチャー企業の公開後の時価総額の増加率などのパフォーマンスリストを開示すべきであろう。これによって、証券会社はより緊張感を持って引受業務に取り組むことが期待される。

 第三に、証券会社が将来的な企業評価能力を強化すべきことは当然であるが、特に将来が不確定な赤字ベンチャー企業の公開価格を設定するには、「ロードショー」を行い、プロ同士のディスカッションの中で妥当価格が決定される仕組みが準備されるべきである。

 公開企業によるフルディスクロージャーの徹底、プロの機関投資家マーケットの中での価格探求機能の向上、証券会社の引き受け能力の強化により、赤字ベンチャー企業に公開の道が開かれ、日本の店頭市場が一層発展することが期待される。



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