ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
950712

「公的資金」の目的明確に

    ソロモンブラザースアジア 小川アリシア

    95年07月12日 日本経済新聞   

(1)金利減免債権などを加えた不良債権の潜在的な貸倒損失は、銀行の資本合計に有価証券の含み益を加えた額のかなりの比率を占めている。

(2)法律で最高一千万円まで払い戻しが保証されている預金者を保護するために、公的資金を投入するのは義務であって、回避することはできない。

(3)銀行に新株発行の機会を与え、自己資本不足を解消させるべきである。その際、銀行は財務情報を完全に開示するとともに、新しい資本で良好なリターンを得るための明確な計画を示し、投資家の信任を得る必要がある。

 銀行の財務分析を業とする者にとって、不良債権を巡る現在の懸念の深さには興味深いものがある。

 都長銀信託二十一行の決算報告書によれば不良債権は九三年九月の十三兆五千億円をピークに徐々に減少している。それにもかかわらず、政治家、大蔵官僚、日銀高官、マスコミの間では、事態があまりにも深刻化したため公的資金の導入は避けられないという議論が突然浮上してきた。金融システムの安定が脅かされているため公的資金の導入が少しでも遅れれば既に足踏み状態にある国内景気の失速を招きかねないというのである。こうも突然に論調が変化したのはなぜか。また、なぜ公的資金が必要なのか。

 確かに公表不良債権は減少しているが、これは不良債権が実際に処理されたからではない。不良債権の含み損を吐き出す方法がないため、実際には不良債権のリスクを抱え 込んだまま、会計上の操作を利用して表面上だけで不良債権を減らしてきたからだ。 債権買い取りのための共同債権買取機構(CCPC)向け債権を公表不良債権に加えると、その額は九三年三月以降一貫して増加しており、住専および同機構向け債権を含めた不良債権は都長銀信託二十一行全体でみると二十一兆四千億円を超え、貸出金総額の五・六%を占める。

 こうして推測された不良債権の規模が警戒水域にあると判断するのはなぜか。最近の日経平均株価の水準では、不良債権の潜在的な貸倒損失(すなわち不良債権から貸倒引当金と不動産担保売却で回収できる金額を引いたもの)が資本合計に含み益を加えた額のかなりの比率を占めているためだ。

 実際、現在のように不動産市況が低迷するなかで、ある程度の規模の不動産担保を迅速に売却する難しさを考えると、都長銀信託二十一行全体では潜在的な貸倒損失は資本と含み益の合計の五七%強に達する可能性もあり、信託銀だけでみるとその比率ははるかに高くなる。

 担保不動産売却が適切になされなかったとすると、二十一行のなかには、日経平均株価が一万五千円を割ったり、不良債権がさらに増加すれば、技術的には支払い不能に陥る恐れすらあるところも一、二行ある。

 ごく最近まで、銀行と監督当局、そして国民の間には銀行が抱えている問題を突き詰めて考えないという暗黙の了解があった。

 こうした背景には、国民の前に実態を公表しなくてすめば、そのすきにバランスシートを修復できるだろうという考えがあったようだ。

 このように表向きを繕うやり方はどのような結果をもたらしただろうか。米国でも同じ方法が試みられた。すなわち、一部の銀行は市場原理にさらされるのを免れた。例えば、貯蓄金融機関(S&L)については特別な暫定会計制度(規制会計原則=RAP)が導入され、S&Lの自己資本および貸出債権の価値下落を覆い隠してしまった。

 この決定は不幸な結果を招いた。S&Lは実態を公開しなければならなくなる前に短期間で利益を上げようとして通常以上のリスクをとり、潜在的な損失が大きく膨らんだのだ。

 バブルがしぼんで以来、手をこまぬいて増えるに任せていた結果、銀行と農林系金融機関の不良債権総額は大蔵省の調べで現在、四十兆円に達している。不良債権総額が大蔵省の調べ通り四十兆円で、その五〇%は既に積んでいる貸倒引当金と担保不動産の売却によって処理できるとしても、残りの二十兆円前後は損失になる可能性がある。

 分かりやすく説明すれば、二十兆円とは国内総生産(GDP)の四%以上、預金保険機構の資金の二十四倍以上、国の九五年度予算(推定)の二八%以上、都長銀信託二十一行の過去十年間の当期利益の合計の約二倍に相当する規模である。

 したがって、もはや公的資金の導入の是非をとやかく言うのは的外れである。公的資金を使って何を守るかこそを考えるべきだ。正しい使途のひとつは家計の貯蓄の保全である。

 いくら時間をかけても自力で立ち直る望みが持てない一部の銀行については、法律に基づいて保険がかけられている預金を保護するために公的資金を用いるのは避けられない。九四年三月現在の預金保険機構の資金は保険対象の預金のわずか〇・一%に過ぎなかった。しかも、資金の一四%近くは既に救済合併の費用を賄うために数行の銀行に貸し出されている。

 預金保険機構は五千億円を限度に日銀からの借り入れが法律で認められているが、貸倒損失の合計額が二十兆円に達する可能性があることを考えると、日銀借り入れで同機構の資金を増強しても経営が破たんした銀行の預金の払い戻し(ペイオフ)を賄いきれないかもしれない。法律で最高一千万円まで払い戻しが保証されている預金者を保護するために公的資金を投入するのは義務であって、回避することはできない。

 公的資金による預金者保護は避けて通れないが、銀行界全体の保護のために公的資金を投入することまで不可避であるとは思われない。

 銀行業界が今、直面している問題は自己資本不足である。銀行は貸倒損失を吸収する一方で新規貸し出しや新規事業への投資を同時に行うだけの資本が足りないのである。 今、決断を迫られているのは、民間銀行の新たな資本の配分を決めるのは投資家と政府のどちらであるべきか、という問題である。

 どの銀行に新たな資本を投入するかの判断を政府にゆだねるのではなく、民間投資家の選択に任せることで、銀行は常に自己資本利益率(ROE)を向上させる道を模索していることを投資家に示さねばならなくなるだろう。

 例えば、本社建物を極めて低い価値のままバランスシートに残しておくのと、売却してその利益を良好なリターンの期待できる資産に投資するのとどちらがいいだろうか。バンカメリカの場合、本社社屋を売却し賃借するという道を選んだ。

 国際的にホールセール・バンキングを展開するのと、国内で個人向け新商品を開発するのとではどちらの方がROEが高いだろうか。現在、邦銀のほとんどは収益性とは関係なくこの両方を選んでいるため、どちらか一方の戦略で成功に必要な最適水準の資本が得られないこともあるだろう。

 銀行が最大の投資リターンを追求するように奨励すれば、業績回復を早め効率改善や技術革新が実現しよう。

 不良債権問題が頂点にある時期に新株を発行すれば株価の急落は免れないようにもみえる。しかし、理論的には新しい資本のリターンが既存の資本のリターン(ROE)と同じかそれ以上なら、株価が下落する理由にはならない。

 こうしたROEと株価収益率(PER)との関係を踏まえると、現時点で新株の発行を検討できるのは新しい資本で良好なリターンを得るための明確な計画を示せる銀行だけだろう。もちろん、この計画が投資家の信任を得るには、前提条件として財務情報の完全な開示が必要である。

 実際、米国では一九八九年から九二年までの期間にマネーセンターバンクの不良債権の水準はピークに達したが、その保有する普通株の価値は三四%拡大した。同期間、新株が発行されたにもかかわらずソロモン・ブラザーズのマネーセンターバンク株インデックスは二三・四%上昇した。

 不良債権が大幅に増加し続けていたのに、米国の投資家が銀行株に投資妙味があると考えたのはなぜか。銀行自身が、自己資本を積極的に拡大する必要があり、何としてもROEを向上させる方策を投資家に示すしかない、と認識したからである。

 金融システムの支援に公的資金を投入することの是非を議論してもあまり意味はない。預金保険機構が役割を全うするためには公的資金を使わざるを得ない。

 公的資金の投入を巡る議論は次の二つの点に絞る必要があろう。第一に、金融システムを強化し、その効率を高める方向で用いることである。第二に、今後、銀行業界が公的支援を必要とする事態に再び陥らないためにどうしたらよいかである。

 この二つの目標を達成するためには、より多くを市場原理にゆだねる以外に方策がないのは確かである。



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