文書No.
951005
年報経営分析研究 12号95年10月5日掲載承認
はじめに わが国の社債制度はこれまで厳しい発行規制の元に置かれ、一部の限られた企業にのみ発行が認められてきたが、資本市場の自由化・国際化とともに徐々に規制が緩和されてきた。無担保債の発行(1979年)から適債基準緩和(第1回緩和、1983年)、格付け基準の導入(1987年)を経て、1993年社債法が改正され社債発行限度枠が撤廃されるとともに社債管理会社(旧受託銀行)はデフォルト債を買い取ることは「予定しない」ようになった。そして1996年からはいわゆる「適債基準」が撤廃され、同時に財務制限条項の自由化と、ようやく発行市場の規制緩和は進む。 本報告はバブル経済崩壊後、エクイティ・ファイナンスが行き詰まりこれに代わって増加しているデッド・ファイナンスの社債、なかでも普通社債が格付け、つまり信用リスクに応じて価格が形成されるようになっているかどうかを実証的に分析・評価するとともに、資本市場の価格メカニズムが一層働くようになるための課題を企業金融システムの中で考察する。 スワップ取引などデリバティブ(金融派生商品)が行われるようになって社債の流通価格は1993年央からようやく格付けによって格差がつくようになったが、発行市場は競争が激しくなりむしろ逆に格付けを反映していない。格付け制度が「発行市場で利用され定着したが、流通市場では利用されず片肺飛行」という常識は覆された。市場経済化がようやく「規制経済」を打破し始めた。 今後、銀行など金融機関は行き過ぎた担保金融の結果、大量の不良債権が発生し、土地・株式の下落に伴う含み益を喪失した現在、貸付など企業金融や社債投資を含む資産運用も信用リスクに応じた市場レートによらざるを得なくなるのは必至である。金融機関の一部には既にその動きを始めている。社債発行の自由化で格付けを取得して起債する会社は増えるとみられるが、いわゆるジャンク債も含め発行・流通両市場に格付け機関を含めチャイナウオールが厳然とあり、利益相反がなく且つ情報の対称性が確保され、価格メカニズムが機能するには完全な市場経済化が必要である。
T.普通社債の流通市場における格付け格差
その結果は図1のとおりであるが、ここから得られるファクトは次のとおり。 ながら推移した。AAA債は「別格」にAAーBBBは一塊で100ベーシス差であった。
2.93年7月から格付け別に格差拡大
しかしこれを促進させたのはスワップ取引など金融派生商品が盛んに行われるようになり金融・資本市場が自由化・国際化したことが大きい。 勿論、社債の国内発行量が90年代にはいって大幅に増加したこともある。格差はこれ以降も定着した。
1.バブル経済崩壊の影響 表1は大銀行20行(日本信託銀行を除く)の94年9月現在の不良債権の状況である。貸付金残高にたいする推定(やや低めだが)不良債権の比率は9.15%であるが、これは米国のデフォルト率(回収率を含む)にあてはめるとBBーBBBクラスに当たる。担保付き貸し付け金が多い銀行の状況からみて社債市場も信用リスクを大きめに要求してきたといえる。 不良債権の発生は落ち。株式など資産価格の下落が主因だが対策の遅れが更なる下落を呼びデフレ現象を呈している。これが金融システムの不安を増幅させているが、物価を含めこれまでの「右肩上がり」の経済のなかで「含み益」を前提にした日本的金融システム、日本的経営システムが根本的に問直されている。市場価格に基づく取引、リスクを意識したコスト、リスクに見合ったリターンが大手を振って歩きだした。「含み益」を享受した経営から「含み損」を抱えた経営に転落した。株価の下落が信用リスクの増加に直結するようになった。
2.国際化・自由化の影響
証券業協会も重い腰を上げ基準気配表に格付けを掲載することを検討している。 80年代後半の大型の設備投資の支払やワラント外債の大量償還資金の需要が起き、規制の厳しい東京市場の資金調達を諦めユーロ市場に起債は殺到した。このような社債市場の空洞化を防ぐため社債法の改正、引き受け手数料の引き下げ、償還期間の多様化、大型私募債など相次いで規制を緩和した。図3に示すとおり、92年度から国内発行が急増、以降国内発行が海外のそれを上回るようになった。もちろんこの間、長期金利が大幅に低下したことが起債意欲を高めた。 社債はかって借入金の変形とさえいわれたが、ほとんど流動性がなかったが、発行残高が兆円の水準になって市場性が出てきた。ある程度の出合に対応できるようになった。
発行市場と流通市場のこのかい離の意味するところは「発行後値下がりする」ことである。当局は「かねて格付けは発行市場で定着した」としていたが、事実は逆で「流通市場で一足早く格付けを反映するようになった」ことを証明した。「適債基準」などといって格付けを発行規制の道具に使ってきたのは誤りであることを証明した。格付けはようやく投資情報としての価値を流通市場で認められた。
W.今後の課題 格付けはもともと「安全・堅実な企業には低い金利を、倒産の危険があるような会社には高い金利を要求することによって、企業は安全性を追求し、資金の出し手はこれを頼りにとうしする。この結果、国民経済的に資金の効率配分をもたらそう」というもの。従って社債の利回りは構造=イールドカーブは図5のような形になる。この曲線上に発行・流通両市場のレートが記されることが市場が本物になったことになる。そのためにはもっと情報の非対称性をあらゆる局面で解消されることが必要である。格付け機関の独立性もその一つであろう。
戦後の経済復興期は、産業資金の傾斜配分政策に基づき日銀が債券投資余力を金融機関に与える形で起債が調整され、都長銀・地銀がほとんどこれを引き受けた。社債が借金の変形といわれるようになったのはこのためである。間接金融の補完的役割りしかなかった。社債発行は基幹産業の一部大企業に限られ、極めて制限されていた。起債調整機関である「起債打ち合わせ会」は1959年3月、社債をA格(電力会社並の起債実績のある超一流債)、B格(起債実績のある一流債)、C格(起債実績の少ない小型債)の3段階にわけ、起債の量と順番を調整した。これがいわゆる起債の「身長・体重方式」で、その後規模指標の起債実績は廃止されたが、質的基準が追加された。純資産倍率、自己資本比率、使用総資本事業利益率、インタレスト・カバレッジ・レシオなどで、これはわが国の適債基準の原型である。さらに適債基準は再び純資産など規模指標に絞られた。 また内外からの無担保社債発行の要請が高まり、これをみとめるとともに格付け制度を導入した。1987年適債基準に格付け機関の格付けを導入し、格付けがスタートした。当初普通社債格付けはA以上とされたが、その後BBBに引き下げられた。普通社債の適債基準は6回にわたり緩和され、1996年初撤廃されることになっている。
(適債基準の推移と現行適債基準は表1の通り) |