ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
960101

生産の時代から運用の時代へ

    わが国における資産運用産業確立の条件と課題

    吉村 光威 (日本公社債研究所) 証券アナリストジャーナル96年1月号  

はじめに
 1990年代にはいってわが国の資産運用成績は最悪だった。株式で300兆円、不動産で700兆円計1000兆円の価額が喪失したといわれる。専門家の銀行も企業も投信も保険も皆運用に失敗した。1980年代後半のバブル経済の反動的暴落とはいえ、この金額は現在の個人金融資産残高に匹敵するだけでなく第2次世界大戦の日本の戦費を含む損失をも上回るともいわれ、経済的にはすでに「第3次世界大戦」(?)を戦い、しかも再び敗れたことになる。「大敗戦」の割にはその認識が官民ともに薄く「戦後処理」が全くといっていいほど未だ行われていない。また誤った方向と方法で行われようとしている。資産運用が産業として確立するには、まずこのあたりから根本的に考え直さなければならない。以下問題点と解決策を目先、長期合わせて5つばかり挙げたい。

(1)金融政策の失敗を繰り返さない
 資産運用失敗の原因はいくつか上げられるが、最大の失敗は日本銀行の金融政策ではなかったか。1985年のプラザ合意以来、円高対策として金利引き下げという金融政策を用いたこと。円の変動相場制移行以来2回の学習の効果もなく3度目も同じ間違いを犯した。ドル建て輸出がある限り輸出業者は常に市場でドルを売って円を買い賃金などコストを支払う。輸出が輸入を上回っている限り円は高くならざるを得ない。貿易収支の黒字を解消するには金利引き下げでなく、労働力も含め輸入障壁を低くするなどの通商政策が妥当。中央銀行は「物価の番人」に過ぎない。

 また大蔵省の金融行政は規制金利下の横並び・護送船団方式。こういう規制体制下では「規模の利益」が働く。たくさん預金を集めそれを貸し付ければ自動的に利益額がふえる。運用も調達もがむしゃらに「向こう傷を恐れず」実行すればよかったし、超低金利で自己防衛上そうせざるをえなかった。ちなみに今は情報事業も含め「範囲の利益」を追求する時代である。

(2)「借り手責任」を司直の手で追求
 1980年代後半の銀行はまさに料亭の女将や暴力団など相手かまわず直接・間接にカネを預かりまたは貸した。株式投機資金、不動産の地上げ資金などほとんど不良債権となった。住宅専門金融会社問題は誰も触れたがらないが、「借り手責任」を司直を用いてでも直ちに追求すべきで、アングラマネーを穴埋めに用いるべきである。銀行にはもはや回収能力はないとはいえ、日銀特融も財政資金(税金)もまだまだ投じるのは早い。むしろ金融の「ヤクザ化」はいまでも進んでいる。ある都市銀行が最近カネを返さない会社100社を興信所に調べさせたところなんといつのまにか暴力団が役員にはいり「企業舎弟」化していたという。これを称して「ヤクザによる徳政令」ともいわれている。ここで財政資金を用いることはすなわち暴力団に税金を捧げることになる。金融秩序もさることながら経済秩序そのものが破壊される。闇の世界だ。

(3)担保金融から信用リスク基準に
 ところで銀行になぜこのような乱脈な融資がまかり通ったのか。これは皮肉にも「昭和恐慌」時の教訓から生まれた「有担原則」である。今回はこれが「悪用」され、100億円の価値しかない担保に「値上がり」を前提に150億円や200億円貸した。そして今や担保価値は20億円か30億円。銀行の金庫には「紙屑同然の権利書だけが残った」。本来は企業金融は貸付先の信用リスク見合いで金利も貸付額も決められなければならない。わが国の銀行で信用リスクを全貸付先について計算しているところはまだ無いと断言できる。為替取引など市場リスクはぼつぼつ計算できるようになったが、まともな信用リスクの計算ができるのは2年先というところか。地銀などは来世紀といわれている。証券投資と同じく貸付も「リスクとリターン」の関係から運用目的に応じた最適貸付ポートフォリオを組み立てなければならない。

(4)情報の対称性の確保
 資産運用が公正・円滑に行われるには運用市場が内外を問わず自由で、十分な流動性があることであるが、前提として株式も債券も預金も保険も「情報の対称性」がすべての売り手買い手の間で確保されていなければならない。ディスクロジャーはタイム・シリーズ(時系列)でもクロス・セクション(企業間)でも比較可能なようまず法的に強制(マンデトリー)されるべきで、しかるのち自発的(ボラントリー)なIR(インベスター・リレーション)を追加するのが通常。ところがバブル経済下では金融法人、事業法人間のみで情報を交換して株式を持ち合い、これでもって株価をつり上げた。市場には情報の非対称性による情報優位者が横行、超過利益を獲得した。この結果株価の形成は公正さを著しく欠き、「市場の失敗」が生じ、バブル経済は崩壊した。不動産も同じ経過をたどった。日本では、特に金融業などは何でも大蔵省に報告すれば事足れりと考えているようだが、大蔵省は「由らしむべし、知らしむべからず」の思想から一歩も抜け出していないからディスクロージャーの思想にはほど遠い。情報開示はアナリストやジャーナリストなど世間に問うべきである。

 その際、重要なことは会計制度である。わが国の会計政策は「関連当事者間の取引開示」や「セグメント会計」など枝葉末節に走り大宗を忘れている。「お上のご用金集めのための」税務会計が優先され、簿価主義・確定決算主義が幅をきかせている。株式持ち合いと含み経営が日本的経営の特質だったし、連結決算は証取法だけの「継子」扱い。ところが世界は持ち株会社を認め、本物の連結決算で、時価主義会計。「商法、税法、証取法を包含するゴールデン・トライアングル」などとしているのはまさに噴飯物で、年金も投信も時価評価が当たり前。

(5)運用方針の明確化を
 わが国では企業も銀行も投信も年金も資産の「運用方針」が明らかにされない。年金も投信も「本体」のいいなりに「痰壷」化する危険が常にある。資金の将来の在り方に基づいてその運用はそれなりの方針が必要。方針があってこそ成果の成否も判断できるというもの。「方針」がないのにそのパフォーマンスは評価できない。


 いずれにいてもこれまで日本は物的な生産性では世界一になったが、その運用はヘタくそ。汗水たらして働いたカネをドブに捨てた。「生産」もおろそかにはできないが、「運用」に知恵を出さないと何にもならない。「生産の時代」から「運用の時代」にはいった。運用は生産と同じく世界にその場を求めよう。


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