文書No.
960703
さくら銀行「経済情報」96年7月号
「要旨」 1、時価評価とは、資産、負債、オフバランス商品などを、その時点時点の時価で評価する方法で、取得原価で評価する方法に比べて、リスクの状況や資産価値を正確に表すという特徴を持つ。世界的規模で金融取引が活発化する金融グローバリゼーションの進展や、金融テクノロジーの高度化への対応にあたって、時価評価の考え方が重要性を増している。 2、例えば、金融機関が総合的なリスク管理能力を高めるにあたって、時価はリスクを統一的に計量化したり、リスクの将来的な範囲を予測する際の基盤としての役割を果たす。また、規制の国際的な標準化に向けた動きである国際決済銀行(BIS)の自己資本比率規制においても、時価は金融機関の必要自己資本額の理論的な算定根拠を提供する。このため、時価をより正確に把握することがますます必要となっている。 3、また、一般企業や金融機関の経営実態について、その透明性や国際的な比較可能性を高めるうえで、時価情報のディスクロージャーを充実させることや時価会計の採用について検討することが重要となっている。実際、米国の会計基準や国際会計基準の動向をみても、時価評価のウエートが増す傾向にある。 4、今後の方向としては、(1)時価の内部的把握や時価情報開示のレベルにおいて、各国の一般企業、金融機関、監督当局などが、時価評価の重要性を認識するとともに評価方法などの充実に努めること、(2)さらに時価会計の採用について、制度の透明性と国際的整合性を図る見地から、各国および国際会計基準委員会などにおいて一層議論が深まること、が期待される。「1」経済活動の国際化の進展とコンピューター・ネットワーク化 経済活動の国際化が進展し、また、コンピューター・ネットワークなど通信・情報処理技術が高度化するなかで、金融のグローバル化が急速に進んでいる。各国の市場を隔てている技術的な、また制度的な障壁が低くなることによって、一般企業や金融機関など各国の経済主体は、世界中の金融マーケットで取引を行うようになっている。これに伴い、(1)経済主体間の国際的な競争が激化する、(2)各国間で規制や銀行監督基準などについての国際的標準化が進む、(3)経済主体の実態に関する情報開示内容の充実や国際的な比較可能性が求められる、といった傾向が強まりつつある。 さらにもう1つの動向としては、金融テクノロジーの発展が考えられる。近年のデリバティブ取引の急拡大にみられるように、世界的な動向として金融の技術革新が大きく進展するのに伴い、オフバランス取引が増大しており、各国の一般企業や金融機関などのグローバルな財務活動内容を一段と活発かつ複雑にしている。 他方、グローバリゼーションの進展に伴い、各国の金融市場や金融システムには、制度の透明性(わかりやすさ)や国際的な整合性が求められている。また、各国においては、金融テクノロジーの発展に見合うような、経済や金融システムの一層の高度化に向けた基盤整備も必要とされている。 こうしたなか、一般企業や金融機関、また当局などがグローバル化への急速な動きに対応していくうえで、時価評価という考え方の重要性が高まっている。「2」時価評価とは何か 一般に時価評価とは、一般企業や金融機関などの資産や負債、オフバランス商品などを、その時点時点の時価で評価することである。資産などを取得原価で評価する方法に比べて、一般企業や金融機関などのその時点でのリスクの状況や、資産価値を正確に表すという特徴を持っている。 ここで、時価とは、会計学上では公正価値(fair vaIue)といい、「取引の知識がある自発的な当事者の間において、独立した第三者間の取引条件で、資産が交換され、または負債が決済される金額」(国際会計基準の定義)とされている。具体的には、資産などが国債のように市場で取引されている場合は、市場価値が時価となる。また、貸出金や預金のように市場において取引されない場合や取引されても取引量がわずかであったり、市場自体が未確立であるような場合には、時価は資産などの将来のキャッシュフローや市場金利など一定の前提に基づいて推計される。このような推計値は現在価値という。 以下では、金融グローバリゼーションの進展およびその影響を示すものとして、(1)国際的競争激化への対応としての金融機関によるリスク管理の充実、(2)規制の国際的標準化の強まりとしてのBISマーケットリスク規制の導入、(3)企業などの経営内容の国際比較性向上に対する要請としてのディスクロージャーおよび会計基準の動向、の3つをとり上げ(図1(1)、(2)、(3))、金融テクノロジーの高度化とともに、時価評価が各々の問題においてどのように重要性を増してきたかにつき、金融商品を中心に検討することとする。 なお、時価評価の問題を検討する際には、議論を整理するために次の3つのレベルに分けて考えることが必要だろう。 第1のレベルは、時価の把握である。すなわち、一般企業や金融機関などがその資産や負債、また、デリバティブ取引などの時価を内部的に把握する段階である。金融機関がリスク管理の充実や規制への対応のために内部的に時価の正確な把握に努めることは、この段階に相当する(図1A)。 第2のレベルは、時価情報の開示である。一般企業や金融機関が、投資家や債権者など外部の利害関係者に対して、自社の時価情報をディスクロージャー誌で提供するなど開示内容を充実させることはこの段階にあたる。また、規制への対応の一つとして、金融機関が内部で把握した時価情報を監督当局に報告するのも広い意味でこの段階に含まれると考えられる(図1B)。 第3のレベルは、時価会計の採用である。これは、資産・負債の時価を直接バランスシートや損益計算書に反映させる考え方である。時価情報の提供と異なり、資産や自己資本などのバランスシート項目や収益自体が、時価の変化とともに変動することになるため、その影響を十分に検討する必要がある段階といえる(図1C)。「3」リスク管理と時価評価 金融グローバリゼーションの進展により、金融機関の競争が国際的にも激化している。特に、国際的に活動する銀行にとって預金や貸し出しといった伝統的な業務だけでなく、デリバティブなどの最先端金融技術への対応が今後の金融機関経営の重要なかぎとなりつつある。 こうしたなかで、金利・価格変動リスク、外為リスクといったマーケットリスクや信用リスクを含めた総合的なリスク管理能力が、最先端金融技術への対応、収益率向上など国際的な競争力強化のための基盤と考えられるようになってきた。この結果、リスク管理能力向上のため、金融機関内部における時価の正確な把握が従来にも増して重要視されつつある。 ここで、リスク管理における時価評価の役割についてみると、第1に、時価は金融機関がリスクを統一的に計量化するための共通の基盤を提供している。 最新のリスク管理手法の基本的な考え方は、(1)資産や負債、およびオフバランス項目の時価(現在価値)を求め、(2)この時価の変動性をリスクとして計量化したうえで、(3)デリバティブなどを用いたリスクコントロールや、リスクとリターン(収益)に見合った形での資本など戦略的な経営資源配分を行う、という傾向にあるといえるだろう。 この場合、金利、為替、株価などや信用といった異なるリスクについて統一的に管理を行う手法が工夫されつつある。その際、推計上の難しさは残るものの、時価(現在価値)は、預金、貸し出し、債券、株式、デリバティブ商品といったあらゆる金融商品の価値を1つの基準で測定し、それに基づいてリスクを統一的に計量化することを可能にする重要な概念といえるだろう。 時価評価がリスク管理において果たす役割の第2は、リスクの将来的な範囲を予測する手法において時価が算定の基礎として用いられることである。 時価はその時点時点における資産などの価値を表す静態的な指標だが、さらに最近のリスク管理の手法としては、確率的な考え方を取り入れて、資産などの時価の将来動向を予測する動態的な手法へと重点が移りつつある。 具体的には、現時点ではマーケットリスクの大きさを測定するバリュー・アット・リスク(VAR)といわれる手法がその一例である。VAR法とは、ポートフォリオについて、特定の保有期間中に、ある一定の確率で発生し得る最大損失額を統計的に予測するリスク管理手法で、例えば、保有期間10日間、信頼区間99%(100回に1回は最大損失額を超えることがある)とした場合のバリュー・アット・リスク(最大損失額)は1億円というように表される(図2)。これは、現在のポートフォリオを10日間保有した際の損失額が99%の確率で1億円の範囲に収まることを示す。すなわち、資産などの時価(現在価値)の潜在的な変動を統計的に推計したもので、この場合においても、資産などの現時点および保有期間における時価評価が基礎となっていることに注目すべきであろう。「4」BIS規制と時価評価 金融グローバリゼーションの進展により、規制の国際標準化が強化される方向にある。こうした傾向は、BISの自己資本比率規制という国際的に統一的な銀行監督基準において、従来の信用リスク規制に加え1997年末からマーケットリスク規制が導入される予定であることにも表れている。 BISの自己資本比率規制は、国際的に活動している銀行に対して、競争条件の平等化とともに、預金者などに対する支払いの最終的なよりどころとして自己資本の充実を求めたものであるが、ここにおいても時価評価の考え方が重要性を増しつつある。 すなわち、マーケットリスク規制導入後の自己資本比率規制では、まず、信用リスク規制として、銀行の伝統的な業務である預金、貸し出し、投資有価証券などからなるバンキング勘定の資産(オフバランスを含む)を、簿価または想定元本などをベースにリスクアセットに換算したうえで、そのリスクアセットに対し8%以上の自己資本の保有を義務づけている。次に、これに加えてマーケットリスク規制では、債券、株式、デリバティブ商品の短期売買を行うトレーディング勘定を信用リスク規制の対象から外し、債券、株式など対象となるポジションの時価をベースにマーケットリスク量を測定したうえで、リスク量と同額以上の自己資本の保有を別途義務づけるものとなっている(図3)。ここで、自己資本比率規制において時価評価が果たす役割を考えてみよう。 時価評価は、金融機関が必要自己資本額を算定する際の理論的な根拠を提供する。もし、資産も負債もすべて時価評価できるのであれば、理論的には、資産全体の時価(現在価値)が負債全体の時価(現在価値)を下回ることがないように、バッファーとして必要自己資本額以上の自己資本を積むことが金融機関に求められることになる。その際、資産の時価をベースとしてある一定の確率で発生し得る最大損失額(リスク量)以上が金融機関全体の必要自己資本額と推定される。 今般のマーケットリスク規制では、トレーディング勘定について、こうした理論上の考え方に近い、時価に基づいて測定されたリスク量以上の額が、自己資本比率規制上の必要自己資本額とされた。他方、信用リスク規制におけるバンキング勘定の必要自己資本額については、時価をベースに測定したリスク量ではなく、簿価をベースとしたリスクウエート考慮後の資産の8%以上が必要自己資本額とみなされている。 仮に、今後、金融機関のリスク管理能力の向上とともに信用リスクの計量化など技術的な困難さが克服されて、バンキング勘定の資産についても時価(現在価値)の把握が可能となれば、時価をべースにした最大損失額(リスク量)以上が必要な自己資本額とされる可能性も考えられる。ただし、その場合、必要自己資本額の変動率の拡大が新たな課題となる点に留意すべきであろう。 なお、BISのマーケットリスク規制案公表に先立つ1991年末以降、米国では、国内の金融機関を対象とし、トレーディング勘定だけでなくすべての資産・負債のバランスシート項目について、金利リスクを測定し、標準レベルを超える金利リスクについては、追加的に自己資本の積み増しを求める案が検討されてきた。これは、金利リスクだけではあるが、バランスシート全体の時価(現在価値)に基づいたリスク量を自己資本に反映させる点で、自己資本比率規制における時価評価重視傾向をより端的に示したものといえる。「5」時価情報のディスクロージャーと国際会計基準 金融グローバリゼーションの進展に伴い、一般企業や金融機関が世界のあらゆる市場で財務活動を展開するようになると、これらの企業の財務内容をできるだけ国際的に比較可能な形で投資家などの利害関係者に提供する必要が生じる。 その際、企業などのその時点時点でのリスクの状況や資産価値を正確に表す時価情報は、投資家などにとって必要性が高く、開示内容を充実させたり、その国際的な比較可能性を向上させたりする観点からも重要といえる。ここでは、金融商品に関する米国の会計基準および国際会計基準をとり上げて、ディスクロージャーおよび会計基準における時価評価重視の動向を探ることとする。 金融商品のディスクロージャーおよび会計基準に関しては、現在、米国が最も進んでいる状況にある。 米国では、米国財務会計基準審議会の基準書第107号に基づき、金融機関を含む企業は、1992年12月から、資産・負債およびオフバランス取引を含む、ほとんどすべての金融商品について公正価値(fair value)すなわち時価のディスクロージャーを実施している。 また、金融商品への時価会計の採用に関して、従来米国の金融機関においては、トレーディング目的の金融商品のみが時価評価の対象となっていたが、同審議会の基準書第115号に基づき、1993年12月からは、投資有価証券のうち売却の可能性のある有価証券にまで時価評価の対象が拡大されている。 他方、国際会計基準の動向をみると、国際会計基準委員会は1988年以降世界に先駆けて金融商品に関する包括的な会計基準の制定を図るべく努力を続けているが(金融商品プロジェクト)、そこでは、時価評価を金融商品の標準的評価基準とすることが提案されている。 すなわち、国際会計基準委員会は、1991年9月に公開草案E40「金融商品」(後に修正され94年1月からE48)を公開し、国際資本市場から資金調達を行う企業(金融機関を含む)の連結財務諸表に計上される金融商品については、長期保有を意図する場合とヘッジ目的に保有する場合以外のすべての金融商品に時価会計を適用する方向にある。 ただし、この草案は各国の時価会計採用をめぐる意見の相違から承認されず、結局、1995年6月にE48のうち比較的議論が少ないディスクロージャーに関する部分だけが切り離され、基準書第32号として承認された。残る財務諸表への計上方法などに関する部分については、新たな基準書の作成が試みられている。 このように、米国の会計基準においても、また国際会計基準においても、総じてみると時価評価のウエートが高まる傾向にある。「6」時価情報の課題と今後の展望 前述のとおり、時価評価については3つのレベル、すなわち、(1)時価の把握(2)時価情報の開示(3)時価会計の採用、がある。このうち、3の会計基準として時価主義を採用することについては、金融商品に関する国際会計基準の最近の動向が示唆するように、財務諸表における時価評価の適用範囲や計上方法の検討、バランスシート項 目や損益における変動率増大への対処など、解決すべき課題が多いように思われる。 他方、リスク管理能力向上の観点から一般企業や金融機関が内部的に時価の把握に努めたり、経営内容の透明性を高めるために投資家などに時価情報を提供することについては、時価(公正価値)の算定における技術的な困難さはあるものの、制度上の制約は比較的少ないと考えられる。 今後の金融グローバリゼーションの進展や金融テクノロジーの高度化とともに、その時点時点でのリスクの状況や、資産価値を正確に表す時価評価の考え方は、ますます必要になってくるものと予想される。今後の方向としては、(1)まず、比較的制約の少ない時価把握や時価情報開示のレベルにおいて、各国の一般企業や金融機関、また監督当局などが、時価評価の重要性を認識するとともに、その評価方法などの充実に努めること(2)さらに、時価会計採用については、各国および国際会計基準委員会などにおいて、制度の透明性と国際的な整合性を図る見地から今後とも一層議論が深められていくこと、が期待される。
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