関西大学商学部教授 柴 健次
『JICPAジャーナル』第8巻第8号、1996年8月掲載論文。
論文要旨
現行商法会計は基本的に成果主義的思考を採用しているが根底には財産主義的思考を持つ複合構造となっている。また、商法は、配当規制を通じて株主と債権者の利害を調整する仕組みとなっているため、商法会計は基本的に債権者保護への偏向を制度的に組み込んでいる。配当規制には限界があることが知られているので、これは商法会計の限界をも意味する。債権者保護の観点から資産評価規定を検討した結果、現行配当規制の限界を克服するためには債務維持会計の構想があること、ラジカルな変更をしないまでも、財産目録の作成を義務づけること、資産評価の原則を低価主義に変更することを提言したい。なお、商法会計が債権者保護の観点を計算構造に組み込むこと自体の有効性をも検討する必要がある。
はじめに
商法会計は商法計算規定および関連法規がその範囲と内容を画する法会計であり、株式会社の計算については、債権者と株主の保護および両者の利害調整を目的としている。西山(1987)は、日本の「商法は当初徹底した財産主義の立場に立っていたが、現在に至るまでの数回にわたる改正によってしだいに成果主義に移行してきた。これは、当初の債権者と株主の平面的な保護から投資家保護の方向へ変容してきたことを意味する」とし、「現行法上の資産概念は、財産主義的思考による財産概念または成果主義的思考による費用繰延概念の何れか一方によって統一的に把握することはできず、両者の複合的構造としてしかとらえられないことになる」と、現行法の解釈のための複合構造論を唱えている。
商法が期間損益計算を重視する会計理論の思考を取り入れてから相当の年数が経過した。このことは、投資者保護の色彩を持つ原価主義会計が、基本的には、債権者保護の観点からも、一定程度、法的地位を与えられてきたことを意味する。日本では、商法が証券取引法に優先するので、企業会計上の資産評価の在り方を議論する場合に商法計算規定を無視できない。だが、複合構造論は会計の純理論で商法会計を説明できないことを教えている。
そこで、商法会計の複合性を前提として、資産評価の意義を債権者保護の観点から改めて考察したい。論点としては、資本維持会計は債権の安全性を保証しないため債権者保護を図るためには債務維持会計を導入する必要があること、債権者保護のためには財産目録の作成を義務づけ会社財産の実態開示を行わせる必要があること、原価評価は債権者保護の観点から資産の過大評価をもたらす場合があるため低価主義を資産評価の原則とする必要があること、債権者保護を念頭においた商法会計が利害調整に失敗している可能性があるので利害調整なき実態開示の方向をも検討する必要があること、以上4点である。
1財産確認と債務維持会計
(1)債権者保護のための会計
一般に、会計は、何らかの資本を維持し、これと区別された資本増殖分を利益として計算する。どのように資本を算定すべきか、どのように利益を算定すべきかは理論によって変わるし、また、債権者保護への役立ちの程度も変わってくる。しかし、どの会計理論も、基本的には、資本維持・利益計算を行う点で共通性がある。したがって、会計は、所有主の利害を他に優先するとかしないとかに関係なく、所有主会計すなわち資本維持会計である。これらの資本維持・利益計算が債権者保護を利益計算構造の中に取込む程度は、収益(利益)認識の段階で分配可能性(処分可能性)の裏付けを求めるか否か、求める場合は何に求めるかに応じて変わるのである。
一方、制度上は存在しないけれども、債権者の立場を何より優先し、債権者の債権を十分担保する会社財産の存在を確認することを計算の目的とする会計が理論上ありうる。この会計を仮に債権者会計又は債務維持会計と呼んでおこう(利益計算を目的としないものは会計ではないという反論に対しては、債務維持計算と呼んでもよいと答えるだけでよいであろう。)債務維持会計においては、会社財産が会社債務を超過していること、そしてその程度が重要である。すなわち、総資産額より債務額を控除し、場合によっては、債務額を超える追加額を控除して、債務維持後の余剰純資産額の存在を確認することが目的となる。
(2)債務維持会計の構想
自己に属する利益を明確にするという意味での株主保護の会計は継続企業を前提とする資本維持会計である。一方、債権者保護の会計は継続企業の前提と無関係に成立する債務維持会計である。ただし、継続企業の前提と無関係とはいっても、継続企業でなくなった時点から計算を開始するのでは会社債権者を保護することはできない。それゆえ、債務維持会計は清算会計ではなく、継続企業の会計であるが、この会計は理論的基礎として継続企業の前提を必要としないということである。
債務維持の観点から重要なのは、まず第一に、債務額を超える資産の存在の確認である。そして、純資産額の確定には財産目録の作成を必要とする。そこに計上される会社財産は換金性ある財産でなければならない。しかしながら、債務額を控除した純資産額のみでは債権者保護に十分でない。債権者は企業が予見可能な将来にわたって債務超過に陥らないという蓋然性を確認したいのである。しかし、純資産額からこの情報を得ることは困難である。
そこで、第二段階として、計算された純資産額から一定の金額を控除することにより債権の安全性を高める方式を採る。債務額からみて相応しい追加控除後になお財産があれば当面は健全であるといえるから、この超過財産の存在が重要である。債務額を過大に評価することは会計の領分に属さないので、純資産額から一定額を政策的に控除するのである。この一定金額の控除計算が法定されるなら債権者保護のための一制度となる。
純資産額から現行規定と同様に資本と法定準備金を配当不能とするのも一案である。しかし、後述のように、基本的に資本をベースとして算定した配当不能金額で十分か否かは債務額しだいである。そこで、資本基準による配当規制を債務基準に切り替えるのである。この方式においては利益準備金は不要となる。ただし、債務基準においては追加控除の割合が最大の論点として残る。
債務基準による配当不能金額が資本基準による配当不能金額に満たない場合は、後者を一定の控除額として採用しなければならない。払込資本に食い込んでまで配当を認めることはできないからである。しかし、債務基準による配当不能金額が資本基準による配当不能金額を超過する場合は、前者が一定の控除額となる。結局のところ、債務維持会計の意図は「債務に相応しい資本を持つべし」という常識を基礎に置いている。純資産額からの追加的控除については現行の控除方式からの転換が必要なので立法上の議論となろう。そこまで踏み込めないとしても、財産目録の意義を再認識することは重要である。財産目録は貸借対照表を作成するために必要なのではなくて、会社財産の実態開示のために必要なのである。したがって、単純な財産目録復活論ではない。実態開示の手段としての財産目録が、その他の情報とりわけ会社の資金繰りの実績と計画とあわせて開示されることが債権者にとって有用である。商法は早急に財産目録の作成を義務づける必要がある。
2配当規制と資本維持会計
(1)配当可能金額計算商法は、第290条で、債権者保護の観点から、配当可能金額の上限を定めている。この規定によれば、配当可能金額は純資産額から配当不能金額を控除して求められる。その他の計算規定は、純資産額と配当不能金額を決定するために不可欠な規定として存在する。貸借対照表項目の差引計算で配当可能金額を確定すれば本条の目的が、一応達成できるので、商法はそれ以上の規定を置いていない。本条の規定を形式的に解釈していえることは以下の2点である。
a.配当可能金額は純資産額と配当不能金額に依存して決まる。
b.純資産額を小さく、配当不能金額を大きくすることにより、配当可能金額を小さくできる。
また、本条は、資本維持会計の目的を示すものではない。通常、会計上の資本と商法上の配当不能金額は一致しない。この不一致は、現行商法が利益の一部を配当不能にするなどの政策を採ることからも窺えるように、株主保護の観点に債権者保護の観点が加味されることから生じる。
bに示す操作を経営者が行えば違法になる場合がある。しかし、立法段階でbの考え方を採るとすれば、商法会計には債権者保護からする一定の偏向が制度的に組み込まれる。現に商法は利益の一部を配当不能項目とするなどすでに一定のバイアスをかけている。したがって、商法会計は「投資家保護の方向へ変容してきた」とはいっても、依然として債権者保護の会計である。
(2)配当規制の限界
現行の配当規制が債権者保護の観点からみて必ずしも十分でないとするものに吉原(1985)がある。吉原は「将来生ずるかも知れない損失のいわば緩衝器として、債権者保護のために、消極財産を填補するに足る以上に一定額の積極財産の存在を確保しようとすることに意味があるとしても、その金額が何故資本でなければならないのかということ自体疑問である」とした上で、現行の資本維持による債権者保護の限界を指摘している。要点を示せば以下のとおりである。
a.資本に損失の緩衝器としての役割を期待するならそれにふさわしい額で設定されなければならないが、この点が不十分である。
b.商法は利益配当による会社財産にのみ眼を向けているが、役員・従業員に対する付加価値の配分、親会社による取引行為に名を借りた子会社搾取の額が無視できない。
c.資本は損失発生に備えての緩衝器たるにとどまり、営業不振による会社財産の減少自体を阻止することはできない。
d.厳格な利益配当規制によって資本を維持してみても、以上のような問題に対処しないでは債権者保護の実質は空洞化してしまう。
(3) 指摘の吟味
限界aについて:
商法は資本に損失の緩衝器としての役割を期待する観点から資本の多寡を問題とする。しかし、資本維持会計は、資本の多寡に関係なく、資本維持後の資本増殖額を利益として算定することを目的としているのである。それゆえ、会計は緩衝器の大きさの問題には関与しない。しかし、会計に対しても債権者保護に相応しい額で配当不能金額を求めよというなら、すでに述べたように、債務維持の観点から純資産額を配当不能金額と配当可能金額に区分する債務維持会計を構築する必要がある。
限界bについて:
会計がこの限界を克服するためには、会計は債権者保護の観点からみて問題のある資産流出と問題のない資産流出に分類する責務を負うことになる。しかし、会計はこの問題に関知しない。とりわけ、資本維持会計は費用の名の下に行われた債権侵害には無力である。
限界cについて:
この限界は資本維持会計にもあてはまる限界である。しかし、資本維持会計は、損益計算を重要な任務とし、過去の業績情報を継続して提供するのであるから、商法の限界を一部カバーしている。この役立ちを超えて、急激な営業不振にも耐えうるように、たとえば利益を控えめに計算するとなると、政策が利益計算に混入されることとなり、会計利益の意味が歪められる。
このように、資本維持会計は債権者保護という特定の政策に適合した形で利益を計算することを目的としていない。その意味では株主会計である。
3資産評価規定と債権者保護
(1)資産評価規定の沿革現行規定の形になったのは昭和37年であるが、明治23年以来、資産評価規定は数度の変動を経ている。明治23年から明治44年までは時価主義が維持された。ついで、明治44年から時価以下主義が採用されたが、昭和13年に営業用固定資産の評価につき原価以下主義が強制された。さらに、昭和37年に至り、株式会社の資産一般に適用される評価規定として原価主義が原則として採用された。昭和49年の改正で固定資産の評価に関する一般原則として減価償却を前提とする原価主義が採用されたのに伴い、株式会社の特則規定旧285条の3は削除された。このように、資産評価は時価主義から時価以下主義を経て現在の原価主義に至っている。弥永(1990)は、この間の変遷過程を分析して、以下の3点を指摘している。
a.当初、形式的にはドイツ法を継受し、理念的に時価主義が法定された。その後、実務の要請を背景として、時価以下主義へと移行した。しかし、その行き過ぎの反省に基づき、時価以下主義のアンチ・テーゼとして取得原価主義が採用された。
b.商法における会計規制は、個々の経済主体間の利害の調整を図るという観点からよりは国民経済的配慮に基づいてなされてきた。
c.証券取引法による会計規制と商法における会計規制の一元化が、十分な検討もなく進められてきた。
第一の指摘は、会計実務の要請である原価主義の採用に至る変遷から債権者保護の観点からのバイアスのかけかたが固定的でないことを示唆する。第二の指摘は、国民経済的観点が債権者保護の観点に優先する形で後者からのバイアスのかけかたが前者に制約される可能性を示唆する。第三の指摘は、会計規制の一元化により失われた情報開示の重要性を再認識する必要性を示唆する。本稿では主に第一の指摘を検討し、残る指摘は別の機会に論じたい。
(2)資産評価規定の複合性すでに引用で示したように、西山(1989)は、現行商法における資産評価規定は、財産主義的思考と成果主義的思考が複合構造をなしていることを認めて初めて理解可能であるとする。しかも、「現行法に底流ないし潜在する財産主義的思考は、成果主義によって覆いえない裂け目があれば、当然に表層に露出してくる」のが特徴である。また、この複合構造は資産の評価と表示において前面に出る主義が逆転する。すなわち、資産評価においては原価主義を採用する限り、費用繰延の側面が表面に出るけれども、表示の面では流動資産と固定資産に分類するように資産の換金性が表面に出る、と指摘するのである。西山(1989)の示す複合構造を要約して示しておこう。
. 表1 現行計算規定における資産評価の複合構造
.───────────────────────────────────
. 財産主義的思考 成果主義的思考
.───────────────────────────────────
.評価の観点 債権者保護のための資本維持 投資者保護のための情報提供
. と株主保護のための配当計算
.資産の本質 財産権 費用繰延
.資産の価値 交換価値(時価) 使用価値(原価)
.特徴的事項 低価主義の容認 原価主義の採用
. 一部時価評価の強制 のれんの貸借対照表能力承認
. 不測不能減損額の控除 繰延資産範囲の拡大
. 金銭債権の額面主義 財産目録の後退
. 繰延資産の非強制
.───────────────────────────────────
(3)資産評価規定の分析
資産評価規定の変遷の過程で現れた考え方は、時価主義、時価以下主義、原価以下主義、原価主義である。これに低価主義を加えれば5つある。これらを整理してみよう。
下図の横軸は資産の価格を表している。原点Oは取得原価を示す。Oより右は時価が原価を上回ることを意味し、逆に左は時価が原価を下回ることを意味する。すなわち、横軸は原価を含む時価線である。縦軸は原価と時価の差額を意味する。45度線ABは時価マイナス原価の差額を示す。したがって、OAは原価を基準としたときの評価益、OBは評価損を意味する。一方、45度線CDは原価マイナス時価の差額を示す。したがって、OCは時価を基準としたときの過大評価額、ODは過少評価額を意味する。
────────────ここに図が入ります────────────
時価主義は資産評価につき横軸上の移動を求め、同時に累積評価損益としてAB上の移動を求める。時価以下評価はAB線の右下への平行移動を伴う。時価以上評価はAB線の左上への平行移動を伴う。財産主義的思考にたつ明治商法は時価(以下)主義を原則としていたから、AB線の左上シフトを禁ずる。
すなわち、時価主義と時価以下主義は共に時価以上の過大評価を禁じている。時価以上の価額を付することは会社財産を唯一の担保とする債権者の利害に反するからである。財産主義的思考による限り、資産評価の上限は時価である。したがって、時価(以下)主義においては過大評価OCになる原価評価は認められない。時価以下主義において過小評価となる原価評価が認められるのみである。商法が明治44年に時価以下主義に移行したことの意味は、OD線を下限とする原価による低価評価を認めたに等しい。OD線の下方は行き過ぎる低価評価であろう。
原価主義は原点Oによる評価の維持を求める。ただし、資産取得後においてOは費用配分後の原価を意味する。原価主義では、横軸の移動も、AB線で示された評価損益の計上も認められない。原価以下主義は、時価評価を前提とすればOB線上の評価損の計上の余地を認める。時価以下の評価はOB線の下方移動を意味する。これも場合により行き過ぎる低価評価をもたらす。現行規定は原価主義を原則としながらも、場合により評価減を強制し、低価基準の適用を容認しているので、OB線上に限定した移動を認める。すなわち、成果主義的思考に立つ現行商法は原価評価を原則としながらも、OB線で示される時価による低価評価を認めている。
現行商法が成果主義的思考を取り入れたことにより、明治商法が認めていた評価益OAの計上を禁ずる一方で、明治商法が認めなかった過大評価OCを許す結果となった。商法が原価主義を認めることによりOAの計上を禁止するに至ったことは「妥協」といえようが、OCの過大評価を容認したことは問題を残したといえる。したがって、資産評価に関する財産主義的思考から成果主義的思考への妥協の過程を踏まえ、なお財産主義的思考が根底にあることを考えあわせれば、低価主義を資産評価の原則とすることが商法の考え方に相応しいといえる。4債権者保護への偏向と不偏(1)利害調整の失敗
これまで議論には、原価が時価以下である限り資産の低評価をもたらし結果的に配当可能金額を小さくする効果を有するから債権者の利害を損なわないという前提があった。原価が時価に対して過大となるケースを避けるため低価主義を原則とするという主張も、この前提と同じ考え方に基づいている。しかし、この主張が妥当性を有するのは、一般には資産価格が下落しているという資産デフレの経済局面においてである。
これに反して、一般に、資産価格が上昇するという資産インフレの経済局面において、原価評価を貫くことが債権者の利害を損なわないかどうかは吟味されていない。債務額を不変とすれば、評価益が増大することは配当可能金額を増やすことなく実質において担保価値を増大させるから債権者の利益を害さないといえる。新たな借入は純資産額には変化をもたらさないが、負債比率は上昇するので、程度の差はあれ、債権者の利害は損なわれるのである。
したがって、以下の条件が満たされるなら、仮に原価は時価と大きく乖離する場合であっても、債権者の利害を損なわれないといえる。その条件とは含み益に見合う追加的な借入が行われないことである。あるいは、含み益の増加率をかなり下回る割合でしか新たな借入が行われないことである。これらの条件が満たされる限り、財産主義的思考の立場から成果主義的思考を受け入れることができる。しかし、現実にはこの条件が満たされる保証はない。
(2)利害調整なき実態開示
そこで、資産インフレか資産デフレかという環境に影響されず、また、資本構成の異なる企業を意識することなく、変動する債権者の利害を損なうことのない資産評価はありうるかという困難な問題を解かなくてはならない。債務維持会計は債権者の利害を優先した政策的計算とはなりえても、その計算によって適正な資本・利益計算を行うことができない。成果主義的思考による資本・利益計算である資本維持会計に資産の低評価をもたらす偏向を組み込んでも株主と債権者の利害を調整できるとは限らない。
成果主義的思考を示す原価評価・実現主義会計は企業が成長を続ける間は債権者保護の観点から問題を生じない。この会計が利害関係者間の調整の役割を果たしていると考えるのは錯覚であって、利害を調整する必要がなかったのである。しかし、企業成長が鈍化し、極端にいえば一期の損失で経営が破綻するかもしれない状況下では株主と債権者の利害の対立が表面化しやすい。
こういう状況下で、会計に期待されることは社会的・制度的に偏向を持たない不偏的な資本・利益計算の確立である。ここにいう不偏的会計は吉田(1995)のいう一般的目的適合性を有する発生概念を基準とする会計を念頭に置いている。商法会計はこのような不偏的会計ではない。商法は、従来より情報開示の観点が欠けていた。この機能を充実させるためには、商法が証券取引法と新たな一元化を目指して不偏的会計を受け入れる必要がある。その上で、商法は独自に、債権者保護の観点から財産目録の作成を義務づける等の特別の措置を講ずればよい。おわりに商法の見直しの論点については前稿(柴:1995)で簡単に示しておいたが、本稿では、もっぱら資産評価を検討した。議論の過程で示した暫定的結論は互いに矛盾するように見える。それは、それぞれの結論が条件付きであるからである。
(1)条件:配当可能金額が傾向的に小さくなると債権者の利害が護れる。
a.商法会計の資産評価の基本思考は時価以下主義と解釈できる。
b.商法会計を時価以下主義の観点から見れば、財産主義的思考と成果主義的思考の妥協点は資産の低価主義にあるといえる。
c.配当規制の限界を克服する一つの案は債務基準による配当不能計算を行うことである。その際、財産目録は不可欠の計算書類となる。
(2)条件:制度的偏向を持つ会計では債権者の利害は護れない。
a.利害不偏的な会計が債権者保護の前提である。
b.この観点からは、商法と証取法が新たな一元化を模索することになる。
以上が、本稿の主張であった。
参考文献
柴健次(1995)「商法計算規定における資産評価」『経済研究』(大阪府立大学)第40巻第3号。
西山忠範(1987)「§285、§285ノ2、§285ノ3、§285ノ5、§285ノ6」『新版注釈会社法(8)』有斐閣。
弥永真生(1990)「取得原価基準の再検討(1)−(4)」『法学協会雑誌』(東京大学)第107巻第8号−第11号。
吉田寛(1995)『会計原理第2版』中央経済社。
吉原和志(1985)「会社の責任財産の維持と債権者の利益保護(1)−(3)」『法学協会雑誌』(東京大学)第102巻第3号、第5号、第8号。
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