ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
960810a

サイレントCPA 

    清風ナビゲーションVOL.49 平成8年8月号

    川北 博 元日本公認会計士協会会長  

 住専7社にかかる1次損失6兆4100億円、2次損失の回収対象債権6兆6000億円のうち1兆2000億円は回収不能がほぼ確実であるといわれたのは、つい数カ月前のことである。「来年度は国民1人当たり5500円を負担して穴埋めする」という財政資金投入に対して国民の反撥は強く、連日の国会ニュースとなってきたが、今後も政争の火種となろう。

 学生から素朴な質問があった。「住専のもっている貸付債権の大部分が不良債権となり、その経営が破綻に瀕しているのなら、住専各社や母体銀行はそれを認識した時点で貸倒引当金を計上しなければならなかったのではないですか。もう取立不能見込額がわかっている筈で、いまさら1次2次という段階的な貸倒れの認識はおかしいのではないですか?」。

 別の学生がいった。「だいたい十把ひとからげのキャッシュフローの話ばかりで、住専各社の商法上の損益計算や財産計算がどうなるのか、母体行等がどのように貸倒れを認識し、債権放棄等を行うのか、会計的に不鮮明だね」。

 たしかに学生たちのいうことには一理ある。大体このように巨額の貸倒損失が、政治問題や社会問題となってからのち会計情報として取り上げられるのだったら、利害関係者は会計情報を信用しなくなるだろう。また、なんらかの思惑に基づく貸倒の段階的認識は、一般には許されないのだが、住専各社や銀行等は、1次・2次という時点区分によって貸倒れ(取立不能)を認識しようとしている。昨95年末ごろ、わが国の金融機関の不良債権の総額は、38兆円に達するといわれてきたが、米国基準では、80兆円に達するともいわれている。「日本の不良債権の認識と米国のそれとは、なぜそんなに違うのですか?」という学生の質問が追い討ちをかけてくる。

 「金銭債権ニ付テハ其ノ債権金額ヨリ取立ツルコト能ハザル見込額ヲ控除シタル額ヲユルコトヲ得ズ」というのが商法上の財産評価の基本原則であり、「債権の貸借対照表価額は、債権金額または取得価額から正常な貸倒見積高を控除した金額とする」と企業会計原則は定めている。私は第一線の実務から遠ざかって久しく、事実関係の検証なくして批判を行うことは慎まなければならぬと思うものの、これほど明らかな「取立不能見込額」や「正常な貸倒見積高」が、既往の会計期間に認識されないまま今日に至っており、またそれを会計監査人等が特別の理由なく看過してきたとすれば、それは信じ難い事実である。 またそれが、1次損失・2次損失というように、事態を救済するためのキャッシュフローの計画に合わせて、貸倒れの会計認識が行われるとしたら、それは会計認識の基本的な誤りであり、また学生たちのいうように、こういう問題に関して「一般に認められた会計原則」(GAAP)や「一般に認められた監査基準」(GAAS)に日米間の格差は本来ないはずである。


 2月26日付けの日経ビジネスの記事は、「住専問題で露呈した会計監査の無力」について述べているが、”公認会計士”が、会計監査人の責任において、住専会計情報に物申すチャンスは、少なくとも94年末の半期報告書、95年春の有報、95年末の半期報告書の3回あったのではないか。結果論だが、それらのチャンスに言うべきことを言っていれば、会計情報と公認会計士監査の社会的重要性は大きな評価を受けたであろう。われわれは大きなチャンスを逃したことになる。

 また、分類債権管理という行政監督上の基準が、会計や監査の認識に過大な影響を与えていたとしたら、それらの段階に於ける組織的検討事項であったであろう。よく”大蔵省の圧力”が議論をさえぎるが、私の経験による限り、筋道を通した議論に大蔵当局の非道な圧力を感じたことは絶無である。大蔵当局もまたリスクの認識に常に敏感であり、対応能力にすぐれていた。

 要するに住専問題のごときについては”公認会計士”は誰よりも専門家であった筈だ。会計基準は社会のもの、社会から注文されない以上、公認会計士は現状の会計基準に消極的に対応するだけだ、というのでは、現実の社会に対する説得力がない。社会構造や制度に金属疲労にも似た歪みが認められたら、それをどう解決していくか、正面から取り組むのも”公認会計士”の社会的専務ではなかろうか。

社会は決してサイレントCPAを望んではいないと思うべきだ。


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