文書No.
960830
証券アナリスト職業行為基準実務ハンドブック
(1) 投資家の信頼が基盤 証券アナリストの職務内容は、かなり多様化している。本来は投資家に対して、証券分析を通じ適正と思う証券価格を算出提示し、その参考に供することであった。いわゆるリサーチ・アナリストと称せられるものである。 だが、いまでは事情は変化している。まず、資産蓄積が進むにつれて、大手投資かないし各種機関投資家が成長し、大規模資金の総合的、効果的な運用管理が必要になった。また他方で、資産の運用管理のための技法が近代ポートフォリオ理論の発展、派生証券取引の普及などにともなって開発され、コンピューターの発達、データー・システムの整備にも支えられて、実用可能となった。 つまり、証券を対象とする合理的な資産運用が、必要性と可能性の両面から実現する時代に入り、この業務担う専門職へも、証券アナリストが進出する途が開かれてきた。 こうして証券アナリストの職能は、大手投資家ないし機関投資家に助言する投資顧問、さらには各種投資基金を運用するファンド・マネジャーにまで拡大しているのが現状である。
ただ実際には、さまざまな障害がある。証券市場は一時的には予測できない偶然的要因で大きく変動することも少なくない。したがって、証券アナリストの努力と成果が、必ずしも比例しないような局面も生じうる。これはその向上意欲を減退させて、安易な方向に流れ易くする。 また証券市場には、利益獲得の好機がいつも伏在しているかにみえる。これは証券アナリストにとって、自分自身の利益追求への大きな誘惑になり勝ちである。 こうした事態を考えると、証券アナリストは知識技能の練磨とともに、自らの業務を遂行するうえでの正しい倫理感を持つことが要請される。これは結局は、自己を信頼してくれている投資家の利益のために全力を尽くそうとする意思が中心となろう。 東京大学の神田秀樹教授はさきに当協会機関誌「証券アナリストジャーナル」(平成3年12月号)において、「職業倫理とFiduciaryの基準」と題し、英米法上のFiduciary(受任者)の概念を紹介され、その重要性を強調された。高度な専門知識能力を有することで、他から信任を受けた受任者は信任者に対し、忠実に尽くす義務があるが、これは「契約上の義務を超えた高度の義務を負うこと」であり、「他人のために自発的に尽くすこと」である旨、指摘されている。 証券アナリストの倫理の原点は、まさにこうした受任者としての義務感を堅持することにあるといえる。
しかし実際の証券市場は多くの利害が錯綜し、きわめて複雑な様相を呈している。これに積極的に対処するには、もっと具体的な行為の指針が要求されよう。証券アナリストにとって、「職業行為基準」が必要な理由は、ここにあるといえる。 もとより証券市場は、高度に組織化されざるを得ず、その維持には多くの法規も必要である。市場への参加者の行為も、法規によって規制される面が多い。証券アナリストもこれを遵守すべきは当然であり、このこと自体、行為基準の大切な一環である。 しかし、この種法規には、倫理的な規程も含まれてはいるが、大半は市場参加者の外形的な行為ないしその結果を基準として規制している。またこの場合、誤った行為に対する制限ないし禁止規定も多い。だが、行為の多様性を考慮すると、このような規制には限界があり、それだけでは法規に触れなければ何をしてもよいということにもなり兼ねない。 こうした欠陥を補い、完全なものとするのは倫理であり、証券アナリストの場合、信任者である投資家への忠実義務から発した自律的行為である。「職業行為基準」はまず何よりもこの種の行為の手引といえる。したがって、法規が主に外形的ないし結果としての行為を対象にし、また制限ないし禁止規定が重要なのとは異なる。むしろそれは、行為の動機となる内面的な意思を問題にし、主としてこれに基づきなすべき正しい行為を示すものとして理解され、自発的、積極的に遵守されねばならない。 例えば、職業行為基準の文中には「誠実に職務を励行」「研鑽に精進」「適切な注意」「公正な判断」など、必ずしも客観的基準では判断し難い表現も少なくない。だがこれらも、主体的な意思の在り方としてとらえるならば、充分に有意義な道標となり得よう。
だが一般に証券の発行会社は、自らに係わる情報を、投資家全般に充分に伝達しているとは限らない。この場合、両者間の情報は非対称の形となり、また投資家間でも情報の偏在が生じ易い。 こうした状況を是正するために、法規のうえでは、発行会社に適切な情報の開示を求めるディスクロージャーの制度が、充実強化されてきている。 だだ、ディスクロージャー制度が完全なものとなっても、開示される情報をよく理解し、投資判断の有効な資料とするには、かなり専門的な知識技能を要する。投資家自らがこれに当たるのは困難であり、また労力、時間ひいてはコストの面からも得策ではない場合が多いだけに、証券アナリストの活躍が望まれるのである。結果として情報面での投資家の条件は公平に近づき、市場取引の公正化に資することとなる。 公正な市場取引は、資金の効率的配分ひいては経済成長に役立つ所が大きく、この点に証券アナリストの社会的有用性があるといえよう。 社会的有用性の面からみると、証券アナリスト個人に求められる職業倫理は、社会的にも必要とされるに至る。「職業行為基準」も社会の中でのルールと解されねばならない。この基準が証券アナリストの「社会的信用および地位」の向上を目的として掲げているのも、その表われである。結果として、証券アナリストの投資家に対する忠実義務は、社会に尽くすとの意味をも持ち、またその職業行為自体は、社会的に公正であることが求められる。ことに市場取引の公正を害する内部者取引が厳格に規制されるのは当然であり、その遵守は、忠実義務と並んで、証券アナリストの職業倫理の重要部分を占めるとさえいえよう。
証券市場でもこうした変化が敏感に反映されてくる公算は大きい。株式についても、これまでのような企業による政策的投資や株式持合いなどは次第に少なくなり、純粋に採算を重視した投資が主力となってこよう。しかもこの場合、かつてのように右肩上がりの基調は必ずしも望めないだけに、投資家は自己責任の下で、投資対象のきびしい選別と、これを基礎にした合理的なポートフォリオの構築を迫られよう。証券アナリストの働きを必要とする傾向は、より顕著になってくるものと思われる。 ただ証券アナリストは、自らの専門能力によって業務を行うが、多くは証券会社または各種投資関連企業に雇用されている。そのため従来から、雇用する側の企業の営業方針などによって、自己の見解が制約されるケースも少なくなかった。 だが目下進行中の経済構造の変化は、その性質上、証券アナリストのような専門職の独立性を大切にする方向をも助長しているといえる。 「職業行為基準」では、法人会員や賛助会員にも、所属する証券アナリストがこれを遵守するよう指導する義務を課している。しかし現実は、このこと自体が、むしろ雇用側の企業にとっても大きなプラスになる時代に入っていることを指摘したい。 証券アナリストはこのような時代の要請に応えるためにも、資質の向上に一層の奮励努力が望まれる。この場合の「職業行為基準」の役割も、ますます重要性を加えてきているといえよう。 なお、証券アナリストが独立の専門職として尊重されるにしたがい、当然にその責任も重くなる。依頼者である投資家によって、直接に責任を追求されるような事態も予想されよう。法規や「職業行為基準」の遵守は、こうした場合には、証券アナリスト自体を守る防壁ともなりうることも、注目される。 個人の生き方を決める倫理は義務感から発するとしても、これに基づく職業上の努力をつづけるとき、その向上余地が大きく開かれており、しかも社会的有用性も高まって行くならば、人生は一層生きがいのあるものとなろう。証券アナリストは、この可能性を多分に持つ職業の一つとなってきている。知識技能と倫理向上への絶えざる努力は、証券アナリスト自身にも、より豊かな人生をもたらすものであることを強調したい。
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