文書No.
961206
規制制度改革 東京シンポジウム セッション
日本の金融制度は、80年代初頭から相当に自由化されてきました。市場のメカニズムはゆっくりと、しかし確実に金融制度の様々な部分に浸透しています。しかし、こうした規制緩和の外見上の進行にもかかわらず、多くの人々は金融制度の現状に不満を感じています。ある者は「日本の金融市場はその効率の悪さによって”空洞化”現象を招いている」と主張し、またある者は「銀行の長びく不良債権問題は、日本の金融緩和の特定プロセスと緊密に連携している」と指摘しています。日本の金融緩和にはいったいどんな問題があるのでしょう。本書では、この問題について簡単に触れてみたいと思います。
こうした規制は、既存の金融機関や仲介業者に潤沢なレント(供給の制限や特権などで得られる余剰利益)を与えました。このレントは、日本の金融制度の安定化に貢献する一方で、非効率的な金融機関を温存する効果を発揮してきました。既存の金融機関は、少なからぬレントをもたらす金融制度の現状維持を望みました。戦後の金融規制が産みだした強力な既得権グループは、規制緩和や金融改革によってこれまで精通してきた業務形態を放棄させられることに抵抗したのです。金融当局は、金融緩和に抵抗する既得権グループへの対処を余儀なくされました。同時に当局は、急激な規制緩和が日本の金融制度に動揺をきたすと考えました。こうして、既得権グループの存在が日本の金融緩和のプロセスに多大な影響を及ぼしてきたのです。これに対し政府は、段階的な規制緩和策(漸進主義)を採用しました。また国内における既得権益の強い抵抗がゆえに、外国からの圧力が日本国内の規制緩和の促進に重要な役割を果たすことにもなったのです。
92年に制定された金融制度改革法は、金融機関が新設した子会社を通じて、それぞれの業務分野外の事業活動に従事することを可能にし、従来の専門・分業制に風穴を開けました。たとえば、銀行は証券関連の子会社を通じて証券業に参入することが認可され、証券会社は銀行業の子会社を通じて銀行業務に従事することが可能になりました。この自由化の目的は金融業務の各分野の競争力を高めることでしたが、大蔵省は新設子会社が各分野の最重要業務へ参入することを禁じたため、これも明らかに不充分な内容でした。こうした業務は、以前からその分野に従事してきた金融機関の指定席だからです。たとえば、銀行が設立した証券関連の子会社は、既存の証券会社にとって貴重な収入源である株式売買の仲介に従事することが許されていません。金融当局によるこのような行政の手法がまさに「漸進主義」であり、「金融市場の急変緩和政策」と呼ばれることもあります。
ユーロ円市場の発達と社債市場の規制緩和の関係は、日本の金融緩和促進に関る外圧の重要性を示す顕著な一例に過ぎません。ここで特筆すべきことは、金融緩和の重要な側面の幾つかは政府が率先して決めたというより、既得権グループの激しい抵抗の前で外圧に押されて、そのように決定せざるを得なかったということです。
「漸進主義」は、構造的変化に対応していくための活力と柔軟性を、日本の金融制度から奪い去ったかに見えます。海外の金融市場が金融改革の積極導入によって急速な発展を遂げていた頃、日本の「漸進主義」は国内金融制度の効率化をむしろ阻害してきました。たとえば、日本の大企業は資金の外部調達とりわけ銀行からの借入を縮小し、内部調達に対する依存度を高めています。その一方で、証券市場の旧態依然とした規制が中小企業金融の仲介メカニズムの効率化を阻害しているために、ベンチャー企業のほとんどが資金不足に喘いでいると伝えられています。また非効率的な銀行・金融機関の存続が、金融システムの安定性をおびやかしつつあることは明らかです。これらは、日本の「漸進主義」の失敗を示すほんの一例に過ぎません。
この収益性の低下が引金となって、金融機関が大蔵省の財政再建政策を柱とする安全網制度の下で、本来の行動節度を越えた行為(モラルハザード)に及んだことは周知の通りです。したがって、今後は自己資本規制などの健全経営規制によって、金融機関が過剰なリスクを負うことを防止しなければなりません。しかし、健全経営規制の実効性を担保するには、金融機関の日常業務を入念にチェックする膨大な数の監視員が必要となるため、多額の費用がかかります。この費用を抑制するために、金融機関が過剰なリスクを負担せぬよう監視し、秩序を維持していく責任の大部分を市場のメカニズムに負わせるべきでしょう。市場メカニズムが効率的に機能するためには、個々の金融機関の経営内容について情報を開示する効率的なシステムが必要となります。市場の統制を強化する情報開示システムの重要性を十分に重視しなかった責任は、大蔵省にあります。
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