文書No.
961210
ロイター・トレーダー96年11。12月号
主要銀行を中心に、過去数年間に渡って試行を続けてきた市場性リスク・マネージメントがいよいよ実用段階を迎えている。バリュー・アット・リスク(VaR)手法を基本にした最大損失額の計測は、従来、勘と経験に頼りがちだった資金運用に科学的な手法を導入するもので、その狙いは単に1年後に迫ったBIS規制に対応するためだけにとどまらず、「最小リスクの最大収益」という積極的な面に目が向いている。市場部門に少なからず影響をおよぼす可能性の出て来たリスク・マネージメントの最新事情をレポートする
同様のミドルオフィスは大手銀行の間で設置している例が増えているが、信用リスクと一体化した例は珍しい。ミドルオフィスは経営トップと直結することにより、フロントオフィスに対し、時には指示することをも可能にするという意味で、想像以上に大きな政策転換と言える。
日本長期信用銀行(長銀)・リスク統轄室参事役の今村明彦氏は「目指すは最小リスクの最大収益」と言い、「私たちはそのためにリスク計測からアドバイス、サポート、サジェスチョンまで提供してゆく」と、意欲を示す。 また、地銀で都銀や長信銀に匹敵する体制を整えている横浜銀行・金融市場部企画グループの渡辺博文主任調査役は、「リスク管理という言葉はただリスクを極小化するという、どうも消極的なイメージがあるが、私たちはむしろ収益を極大化することを目指している。従って、敢えてリスク管理ではなく、リスク・マネージメントと呼んでいる」と言う。 ひとりのトレーダーが複数の商品を扱うクロス・マーケット制が広がりを見せるとともに、リスクとリターンを勘案した上で、もっとも最適なマーケットで大きくポジションを張ることを可能にする、というわけである。
では、リスク統轄室は経営トップとフロントの間にあってどのような役割を果たすのだろうか。それを知ることで、今後の市場性リスク・マネージメントの方向性が見えてくる。同室市場リスク担当の責任者である今村氏は、こう語る。「私たちの役割は、市場リスクの計測であり、関係者への報告、牽制です。さらに、もう一歩踏み込んで適正なリスク・リターン・プロファイルを目指した資金運用へのアドバイス機能も果たそうとし、試みつつある」と。 同室は毎日、担当の副頭取とフロントオフィスのマネージャーにデータを報告し、判断を仰いでいる。図1は住友銀行でのミドルオフィス(市場管理部)と、経営トップ、フロントオフィスとの情報のフローを示したものである。 横浜銀行はミドルオフィスとフロントが東京本部、経営トップが横浜本部と分かれているが、日々の報告は毎日3時30分ごろにLANを通じて頭取のいる役員室に報告する。「カラーの図表などがパソコン上で見られるようになったことで、書類で見るよりも役員の理解が大変深まった」と、渡辺氏。ただ、先物取引とデリバティブ取引の上場物についてはリアルタイムで担当常務に報告している。今後は「一層のリアルタム化に向けて高度化していきたい」と積極的だ。 富士銀行は94年10月、他行に先駆けて副頭取直轄の「市場リスク総合評価室」を設置している。竹島芳樹市場リスク総合評価室長(Yoshiki Takeshima /General Manager, Market Risk Assessment Div. The Fuji Bank, Ltd)は「経営者にとっては銀行全体のリスク量がどの程度かを知ることが大事であり、その意味でVaRは分かりやすく、ひとつの数字で示すことができるので有効」と語る。 経営に対する日報は2通り。役員室の市場リスク委員会のメンバーには電子メールで一覧性の高いサマリーを送り、担当役員には文書で詳細なデータを上げる。各役員の役割に応じて報告する方式だ。ただ、VaRについては現状では「経営室からミドル、フロントまで適用する必要はないのではないか」と言う。それぞれのレベルで異なる対応があっていい、という考え方だ。
たとえば、住友銀行の場合なら、保有期間1日、信頼区間97.5%を基準にVaRを計測しており、ある日のVaRが10億円であったとすれば、確率97.5%で翌日の損益は、損失した場合でも10億円に収まることを意味している。J.P.モルガンが94年10月に導入、現在、ロイターやインターネットを通じて配付している「リスクメトリックス」は、簡単にVaRを計測するための手法を提供している。金融機関に順調に普及しており、いわば“モルガン・スタンダード”ができつつあるようだ。 市場リスクの大きさはトレーダーが持つポジションだけではなく、絶えず変化する市場環境によっても大きく変化する。そこで、市場の変化率と相関係数のデータを毎日更新することで、市場環境の変化をリスク・マネージメントに反映させている。図2は、住友銀行が実際に計測した日次のリスク量の変化(95年11月-96年5月)を表したものである。 通常、リスク計測に当たってはそれぞれの商品毎に過去の相場の動きを詳細に調べると同時に、個々の商品間の相関関係をマトリックスに表示する。長銀のリスク統轄室では、こうして上がってきたデータに加え、VaRでは捉え切れない市場の動きをウオッチする「リスク・マネージャー」と呼ばれるプロを置いている。 長銀の内 聖美調査役は、東京、ニューヨークの両外為市場で為替ディーラーとして活躍した経験を買われてリスク・マネージャーとなった。内氏は言う。「VaRの計測は毎日一時点で行われるので、それ以降の時間にリスクがどう変化しているのか、市場動向やトレーダーの行動によっても変わってくるので、常に最新のリスクを把握しておく必要がある。私はそのリスクをどのタイミングで誰に対して報告するか、を判断する」。その時、リスクとリターンの関係からA、B、Cの3つのシナリオをB4のペーパー1枚にまとめて流す。フロントはそれを見て次の行動を選択する判断材料にする。 「問題はVaR計測によって得られたデータ(最大損失額)をどうやって活用するか。いまは、その活用競争をしている最中」と、今村氏は言う。
(4)のパフォーマンス評価についてはフロント・マネージャーの考え方によって左右される。年俸制など新人事制度を採用する銀行にとっては客観的なデータに基づくパフォーマンス評価は経営方針に沿った方式と言えるが、現在では未だフロントの認識が進んでいないことや、VaR自体に改良余地があることがネックとなっている。 改良余地のひとつはデイトレードした場合、測定時点では売買の実体を把握できない点にある。これに対応するため、デイリー・バー(Daily VaR)を算出するサービスも開発されるつつあるようだ。もうひとつ、長期のポートフォリオについても算出する銀行が出始めていると言われる。技術的な障害は徐々に取り除かれている。やがては、VaRからの計測データを使った新たなシステムがフロントに導入される可能性がある。今村氏は「各トレーダーがワンデー・ワンシグマ・ベースのVaRを使いこなし、自分のトレード・シナリオのなかに指標としてビルドインしてもらうことが一番重要だ」と強調する。ちなみに、VaRによるリスク計測で得たデータはひとつの客観的な基準となる。(5)はこれを使って関係部署のコミュニケーションを図ろうというものである。 リスク・マネージメントの専門シンクタンクである日本リスク管理研究所・社長の鈴木壮治氏(Soji Suzuki/President, Risk Management Institute, Inc. 略称RMI、10月末設立予定)によると、「従来、一緒だったフロントとミドルオフィス、バックオフィスの機能を分ける必要があるが、お互いが共通の言語がないと分けにくいし、コミュニケーションができない」と話す。この共通の言語がVaRである。トレーディングの際のポジション管理もストップ・ロスにしても最大損失額を示すことでかなりの程度理解が得られる。 ただ、現時点ではVaRが世界共通というわけではない。ロイター・ジャパン/リスク マネージメント グループのファイナンシャルエンジニアであるデバシシ ダハル氏(Debasish Dhar /Financial Engineer,Risk Management Group, Reuters Japan Ltd.)は「ヨーロッパでは主にCAD(資本充足率)が使われている」と言う。CADは、銀行がリスクに対してこの程度の資本を持つ必要がある、という指標だ。アメリカでも一部の銀行がVaR以外の手法で対応している。「日本でも金融機関の市場リスクに対する捉え方が多様化していくだろう」と、同グループの石田雅章ファイナンシャル システム コンサルタント(Masaaki Ishida /Financial Systems Consultant, Risk Management Group, Reuters Japan Ltd.)は見る。アメリカはリスク・マネージメントがきちんとできていればよく、金融当局が具体的な手法について指示することは稀だ。
同行は去る94年10月から約半年間に渡り、BISの市場性リスク規制に対応するための検討を行った。だが、検討が進むにつれて問題の在り処がはっきりしてきた。渡辺氏は語る。 「BIS規制だけをクリアしても当行のリスク・マネージメントはうまく行かないだろう。基本的にいろいろな部分を変えていかなければいけない。それには組織も変えないといけない、と考えるようになった」。 具体的には銀行内の“仕切り制度”を取り払うことだった。こうして、95年10月、ファイアウォールを設けた上で旧総合資金部と旧証券部を統合して「金融市場部」が誕生した。企画グループが市場性リスクを一元管理できるので、組織運営が効率的にできるようになった。 「これまでは為替取引等で小振りにポジションを取っていたが、組織を統合したことによってさまざまな商品のポジションを相対的に比較検討した上で、一番リスク・リターンの良い市場でポジションを取って運用しようという手法になった」。 その結果、ある取り引きはリターンに対してリスクが大きいということで縮小したり、半面、ある取り引きは大胆に動くことができるようになったそうだ。リスクとリターンの関係が明確になったことにより、運用資金の効率化が図れる。「市場性取引全体を見て判断しよう、というのが当部リスク・マネージメントの基本方針。“木を見て森を見ず”は止めようということ。大胆に動いてもハイリスクと思わないのは全体を見ているからだ」と、渡辺氏は言う。いまひとつの基本方針は「小規模でも世界最高水準」である。リスク・マネージメントについては銀行の規模は関係ないとのスタンスで、「最高水準のバランスの良いものを取り入れていけばよい」と考えている。 金融市場部のスタッフは68名。この内の20名が企画グループに属する。同グループの10名程はミドルオフィスを構成し、フロントとは完全に分離した形で客観的にVaRを計測するなどリスク・マネージメントを行う。あとの10名はミドルオフィスで分析されたデータを元にポジションの調整を行うなど、収益の極大化を図る役割を担っている。統合した当初は「銀行と銀行が合併したみたいだ」という話も聞かれたそうだが、いまでは一体化され融合している。 ディーリングの手法にも変化が出て来そうだ。長銀の内氏はその辺りの見通しをこう予測する。「私たちトレーダーは従来、10BPV(ベーシス・ポイント・バリュー:金利が0.01%変化した時の損益変化)でリスクを計ってきたわけだが、新たにVaRでは違った値になる、ということにトレーダーが気付いてくれれば損失額の蓋然性(VaR)でポジションを捉えるようになるだろう」。同行のようにクロス・マーケット制を取っている銀行では複数のマーケットを見た上で、商品の相関関係を踏まえてリスクを見るようになるし、また最大損失額、収益目標等の自分に与えられた枠の下で、現在、適正なリスク・リターンの確信を持ってシナリオを描いているのか、を常に確認しながらディーリングを行うことを可能にする。将来的にはVaRによって算出されたデータを元に個々のトレーダーのポジション枠を決めようとする流れにあることから、ポジションを見ればある程度の実力が分かる時代が到来することになりそうだ。 RMIの鈴木氏は「リスク・マネージメントは経営者の株主に対する責任でもある」とし、「チーフ・リスク・マネージメント・オフィサー」等、経営陣にリスク専門の責任者を置くのが望ましいと言う。また、ロイター・ジャパンの石田氏は「リスク・マネージメントをどのように行っているか、を格付けの対象に含めようとする動きがある」と言う。現に、ムーディーズやS&Pといった有力格付機関がリスク・マネージメントの内容を考慮の対象にすると明らかにしている。こうなると、金融機関ではない事業法人といえども、社債発行等による資金調達に際して影響を受けることになるため、市場取引や金融取引の多い企業については疎かにはできない。
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