ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
970103

消費者主権の「新基準」確立

    透明性確保が重要   供給サイド、自覚足りず

    日本経済新聞 1997年1月3日 経済評論家 田中 直毅  


米国経済とは対照的な日本
 96年12月、グリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長がニューヨーク株式に警告を発したとき、反面教師として日本のバブルに言及した。金融資産の値付けに、どのような基準が必要なのかについて、注意を促したのである。米国では、基準の確立に成功した自国経済と、この点でいまだにシナリオを作れないでいる日本経済とを対比するという観点が強まっているように思われる。

 そして、米国におけるシナリオの作り手についての解釈が、ボルカー前FRB議長とグリーンスパン現議長という二人のセントラルバンカーに収斂(しゅうれん)するという特徴が出てきた。市場を通ずる資産配分において、金融秩序こそが決定的に重要であることを認識するがゆえである。

 米国経済の再建のシナリオの起点として、79年が選ばれることになるだろう。この年にボルカー議長のもとで、金融政策の目標が、変動の小さい金利水準から安定的な通貨供給量(民間の非金融部門が保有する決済手段)の提供に変化した。経済的な混迷の中での選択であり、当然のことながらその後も経済の道行きは安定しなかった。

 米国における銀行与信の前年比伸び率は77年から二ケタとなり、消費者物価の上昇率も79年からは前年比で二ケタとなった。これを受け、短期金利も79年からは二ケタとなった。79年はこの三つの経済指標がいずれも二ケタで並ぶことになったのだ。それまでの金融政策が破たんしたことは明らかだった。

 そこで大胆な転換が行われた。銀行与信の伸び率は80年からやっと一ケタに抑制されたが、金融引き締めのため、80年からは長期金利も二ケタになった。短い期間に期待インフレ率をめぐる経済調整が終わるようには思えなかった。

 80年から82年までは銀行の与信の伸び率が三年連続で一ケタとなったが、おかげでドル不足が生じ、メキシコの国際収支危機につながってしまった。このため米国の金融政策は緩和のやむなきにいたり、銀行与信の伸び率は83年から85年の三年間は再度二ケタに戻った。長期金利が一ケタになったのは86年になってからである。

 二ケタの名目長期金利は80年から85年にかけて六年間持続し、これが異常なドル高期間と重なることになった。インフレ率を控除した実質の長期金利は、83年から85年の三年間は8%前後にまで高まったのだ。ドル高と金利高のもとで米国経済の供給サイドは痛め付けられたが、この間、ボルカーに対する国民の信認が揺るがなかったことは特記せねばならない。

 この時期は先進国間の国際的な経済政策の協調が大きなテーマであったが、米国の内部では金融の規律に、財政の収支ジリの方が適応して基準を合わせるべきだ、という立論が正当性を獲得した。連邦政府は増税や歳出の削減を通じてマクロ的な要請に従うべきだ、という立場である。

 結果的には、連邦政府は赤字縮小の契機を容易に見いだすことができず、87年秋のブラックマンデーで市場の狙撃を被ることとなったが、狙い澄まされたものが財政の規律であったことについての国民的理解にズレはなかった。


資産配分にゆがみ残す
 翻って日本は、財政は歳出の規模も内訳も棒をのんだように硬直的であり、消費税の導入に伴うデフレ効果についても、金融緩和によってマクロ政策上の帳じり合わせが行われた可能性が高い。

 ここでは財政の規律、金融の規律の双方がゆがめられ、基準にかかわる経済上の立論は深められることがなかった。この基準の喪失が、気付いたときにはバブルという状況を引き起こしたと考えるべきであろう。

 バブルは株価と地価の急騰を招いただけではない。資産価格の急上昇は目に付きやすい現象だが、長期的に見ても深刻だったのは将来に向けての資産配分、とりわけ、人材の育成や配置に大きなゆがみが発生したことだ。資産価格の急落や物理的な設備の遊休化に対しては、損切りや償却というゆとりに見合った対応によって、もう一度出発点に戻ればよい。回り道をしたとか、余分な負担を負ったという悔いが残るが、傷は深いとはいえない。

 これに対して、基準の喪失からくる資産配分をつかさどる機構のマヒは、尾を引かざるを得ない。バブル期は消費者の選択をくぐるということの意味も、また資本の供給に当たって投資家が供給コストを明りょうに意識しているものだという前提も、吹き飛んでいた。

 結果として、将来に向けての資産配分に大きなひずみが生じた。消費者主権の意味も、また投資家が踏み込んだところにだけ資源は配分されるのだという自明の理も理解しないで、供給者と資金需要者の裸の願望だけが表出した時期には、経済システムの内側の、ヒトという最も肝心なところで基準の喪失が生じていたと考えるべきであろう。日本経済の供給サイドの再構築が意外に手間取っている最大の要因はここにある、と筆者は考えている。

 バブルからの脱出に当たっては、消費者と投資家の視点が貫かれるような市場メカニズムの構築がそもそも不可欠だった。しかも、1ドル=100円という為替相場が現実化して以来の経済のグローバル化は、日本経済の供給サイドの再編を加速させることになる。日本ではこれまで、供給サイドの充実が業界ごとに、また課題ごとに論じられ、業界内の秩序が作られてきた。

 しかし、これでは消費者も投資家も十分には満足させられない状況がやってきた。これが成長率の停滞であり、資本市場の空洞化である。我々は改めて基準を選び取らなければならないところへ来ている。

 「消費者のために良いことは良いことだ」という基準、「投資家が満足する先にのみ資産配分はなされる」という基準を確立すべきであろう。商品サービスの設計や価格、そして参入を規制する経済的規則は撤廃されるべきだ、という考え方が次第に国民に受け入れられるようになったのは、供給者主権から消費者主権への転換が起きていることを意味している。

 金融資本市場においては、高齢化社会の到来の中で市民の関心からも、また基礎年金の設計においても、資産運用の重要性が掛け値なしに認識されるようになった。業務分野規制の中で安住を決め込んできた各金融業界は、資産運用という一点にかかわって評価を下すという投資家の視線にさらされることになった。


競争の原理改めて確認

 消費者や投資家の視点で射抜かれるという前提に立つならば、日本の供給サイドの変ぼうは、いまだ序の口にあると言わねばならない。むしろ、この点が不十分なため、経済活動の不振が持続していると解すべきであろう。この点についての我々の理解はどの程度進んでいるのか。

 古い基準のもとでは、経済の不振は政府の責任として、財政面からの追加支出への要求につながった。ところが政府の歳出拡大や投融資の増大は、消費者と投資家の視点から最も遠く、他方、納税者の立場からは、負担の拡大や偶発債務というリスクの引き受けにつながっているという国民の理解が急速に進んだ。

 問題の先延ばしという政府の各部門が行ってきた手法こそが、ゆがんだ資産配分の持続の原因だ、という理解に立てば、透明性の確保は民間主体に対してだけでなく、政府に対しても原則として迫られねばならないことが明らかになったのである。

 市場メカニズムは競争を通じてのみ、希少な資源を有効に使うことにつながるという当たり前の原則を、我々は再確認せねばならない。そして、リスクをとりながら、これを制御するためには、透明性の確保がいかに重要かも知るに至った。しかしこうした原則を確立したとしても、供給サイドから活力がよみがえるまで、若干の時間がかかることも覚悟すべきだろう。だからこそ、基準確立の日付は、急がなければならない。


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