ディスクロージャー研究学会



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文書No.
970108

「証券市場における財務報告の在り方」

    関西大学商学部教授 柴 健次

    『會計』第151巻第1号(1997年1月刊)  

1 はじめに

 日本の証券市場における財務報告の在り方が問われている。財務報告手段の基本は財務諸表であるから、財務諸表作成の基礎にある会計関連法規等の在り方も同時に問われることになる。ここでは、証券市場における財務報告は証券取引法による企業内容開示制度によって大枠が決まるから、同法および関連法規等による会計規制あるいは開示規制が十分に機能していないという認識が冒頭の問いかけの背後にある。

 証券市場において提供される会計情報が有用であるという証拠が実証研究によって提出されるようになって久しい。しかし、それらの研究がカバーしないところで、現在の財務報告が不十分であるという反証を一部企業が経済事件を引き起こし投資者に損害を与えるという形で示し続けている(1)。現実に続発する事件は、日本の証券市場に対する不信感を醸成し、さらには、日本企業による財務報告に対する不信感をも醸成している。かかる不信感は、日本の証券市場および日本企業の財務報告に透明性を求める大合唱となって、現行の会計・報告システムの改善を求める圧力となっている。

 この圧力の前には、現行会計実務を支える動的会計理論も屈せざるを得ないようにみえる。継続企業を前提とする会計理論は、経済成長を背景にした成長企業に最も相応しい理論にすら思えるからである(2)。しかし、経済的損失を被った投資者からみれば、かかる理論に支えられた財務報告は不透明以外の何物でもない(3)。

 すなわち、継続企業と清算企業の限界領域において最も鮮明に表れる経営破綻問題が、続発する経済事件によって問われているのである。

 限界企業の経済実態を明らかにするという発想が継続企業にも及ぶなら(4)、会計・報告システムも変容せざるをえない。そこでは、従来型のシステムを維持するか、新規のシステムを採用するのかというシステム選択を迫られることになる。このような選択問題を惹起させる背景潮流として、経済の市場化、金融の証券化、企業の国際化および社会の情報化がある。そのような潮流に関連させて、現在われわれが直面しているシステム選択の問題をラフにスケッチしてみようというのが本稿の目的である。


2 経済の市場化と会計・報告システム選択

 計画経済の市場経済への体制変換は経済の市場化の典型である。市場経済が支配的となると、市場経済間の差異が表面化してきた。市場経済とはいっても現実には混合経済である各国経済システムに占める政府と市場の比重ないし経済運営の方法に違いがあるためである。日本の経済システムは、政府の果たす役割が大きい混合経済であるが、その経済パフォーマンスの悪化を背景にして、また国際的システム間競争での生き残りの観点から、その運営方法の変更が問われている。すなわち、日本の経済システムのより一層の市場化が求められているのである。

 会計・報告システムも経済システムの市場化に対応する形での変化が求められている。まず第一に、会計・報告システムは経済システムのインフラであるから、インフラの整備なくしては経済の市場化も順調には進まないからである。第二に、外国為替の変動相場制が続く限り、自国固有の経済システムを維持しがたく、各国が相互に市場化を推進するよう協調するのに歩調を合せて、各国の会計・報告システムが同質化の方向を模索するからである。第三に、わが国の護送船団方式による金融行政に代表される保護行政を続けることが、市場中心主義のもとでは日本企業を必ずしも保護することにならないことから、保護行政を維持するために有効であった従来の会計・報告システムもまた、市場主義を支えるシステムへの変更を余儀なくされるからである。

 会計・報告システムは、本来どのタイプの経済システムにとっても重要である。ただ、国ごとに金融・証券市場の規制、企業税制、取引慣行等が異なることから、国ごとに会計・報告システムも異なってくるのである。しかし、経済の市場化という世界的潮流の中で自国の経済システムを市場重視のシステムへ変更しようとするのであれば、会計・報告システムも遅滞なくこれに適応させなければならないのである。ここでは、経済の市場化が望ましいかどうかは議論の対象外である。また、市場化を促進し、あるいは阻止するために、会計・報告システムを利用しようとする政策的議論でもない。単に、経済システムと会計・報告システムの整合性が必要であろうと述べているにすぎない。具体的には、変動相場制時代における経済システムと固定相場制時代から変わらぬ会計・報告システムのミスマッチ、あるいは市場中心の競争経済と旧来の行政・銀行志向の会計・報告システムのミスマッチの解消が必要であろうと指摘しているにすぎない。

 そこで、次の論点は、経済の市場化及びそれを促進する規制緩和が進展すれば開示規制が強化されるという点に移る。経済規制の緩和と開示規制の緩和の同時進行は市場の混乱を促進するから、行為規制の緩和と開示規制の強化はトレードオフの関係にあると考える。いずれの規制に重点を置くかは政策の問題である。つまり、従来型の行政主導の経済システムと市場中心の経済システムの選択問題である。行政主導の経済運営が有効に機能している間は、監督官庁やその代理機能を担うと考えられる銀行に対する報告システムが何よりも重要なのであり、市場への開示は第二義的にしか位置づけられない。それに対して、規制緩和が進行して市場規律の機能が重視されるならば、市場への報告システムが何よりも重要となる。市場中心の経済システムの待望論は、株主重視の配当方針の採用やコーポレートガバナンスの見直しという形で徐々に具体化しつつある。これに応じて、行政側も、従来型の行為規制を緩和させ開示規制を強化することにより、行政組織自身の活路も求めつつある。

 ついで、経済がグローバル化すれば、自国における具体的な開示内容が、外国との比較において決まってくる。経済のグローバル化はインフラの同質化を求めるからである。しかし、開示内容が外国との比較で決まるといっても、米国基準や国際基準に無批判に従属すべきであることまで意味しない。ただし、会計・報告システムの国際ルールづくりで主導権をとらないならば、自国の開示水準が他律的に決まるという傾向は否定できない。

 以上の議論から、より具体的には、「トライアングル体制」(5)と呼ばれる従来型の会計・報告システムを堅持するか、部分的に変更するか、新しい体制を求めるかという選択問題が起きる(6)。

 仮に「同一の資産評価につき、税法上は原価主義が、商法上は低価主義が、そして証券取引法上は時価主義が求められる」ことが望ましいとしてかかる難問(7)を突き付けられた時に、現行体制はいかに対応できるかがこの選択問題を解く鍵である。筆者は、証取法会計を商法・税法から切り離し、証取法上の開示内容を国際経済ないし国際関係の観点から決めていく必要があると考えている(8)。ここでは、異なる目的を一つのシステムで同時に満たすことはできないと考えているからである。


3 金融の証券化と会計・報告システム選択

 明治以来の銀行中心の金融システムが変わりつつある。近年、広義の金融に占める証券の役割が増す「金融の証券化」が進展しているのである(9)。この証券化はその手法からみて市場化でもある。金融の証券化・市場化は、具体的には、間接金融から直接金融へのシフトとして、あるいは、銀行の貸出原資における預金から債権譲渡代金へのシフトとして確認できる。とくに後者は、狭義の証券化とよばれ、あるいは流動化ともよばれている(10)。

 このように金融の証券化から会計・報告システムの在り方を説く意義を考えてみたい。まず第一に、日本の企業金融における間接金融の比率は依然として高いものの、大企業の中に直接金融を重視する動きが見られ、銀行も健全経営の観点から増資をはかり、貸出債権を流動化する動きが見られる。第二に、これを銀行サイドからみれば、金融に伴うリスクを銀行が一手に担う従来型システム(最終的なリスク負担者は預金者ないし国民かも知れないシステム)よりも、証券市場においてすべての投資者にリスク判断を委ねる市場型システムを選好することを意味する。第三に、この結果として、一般事業会社も投資者も従来以上にリスク認識を高めざるをえなくなっているので、証券市場への参加者がリスク判断できるように開示情報の充実をはかる必要が出てきたのである。最後に、市場中心型金融システムが選択されれば、会計・報告システムには金融安定化のための情報開示機能もあわせて求められるので、ますます、情報開示の充実が求められる(11)。

 このように、金融が証券化すればするほど、すべての関係者はリスク認識を高めざるをえないということである。これは、従来型の銀行中心の金融システムと証券市場中心の金融システムの相違に由来する。証券化は銀行によるリスク負担を投資者に転嫁する過程だからである。このような金融システムの選択問題は、直接には、会計・報告システムの選択問題ではない。

 しかし、金融の証券化はリスク情報の開示の強化にとどまらない影響を、現行の会計・報告システムに与える。銀行中心の金融システムをサブシステムにもち、行政が国の経済運営を指導し、その結果、長期の経済成長が達成できた時期にあっては、多くの企業もまた成長を遂げた時期でもあった。そこでは、日本企業における長期的視野に立った経営が評価され、これと軌を一にして、利益平準化ないし平準化利益が高く評価されたのかもしれない。このような好条件がそろうときには投資者も長期的視点で投資を行いやすいと思われるからである。

 しかしながら、このような条件が失われてすでに20年が過ぎている。公表される物価指数を除けば、諸価格(財、為替、金利、金融商品価格)の変動が激しくなっている。経営が長期展望のもとに行われているとしても、企業の安定成長を期待しにくくなっている。このことは、投資者の描く将来の時間の長さが短くなることにつながる。投資者は、企業の長期平均的収益性よりも、現在の実態を知りたいということになる。すなわち、投資は押しなべて投機化するのである。投機化すると投資商品の価格急落の重要性が増すことになる。投資商品の発行体の限界に来た段階での実態開示は必要以上の価格急落をもたらすからである。

 企業は実物市場において実物財を商品として販売している。これと同様に、企業は金融・証券市場において企業自身を商品として販売している。そして、金融が市場化すればするほど投資者による企業選択はその重要性を増すのであるから、企業は、商品情報としての企業内容を積極的に開示するという意識改革が必要となる。加えて、制度的には、企業の資金調達の多様化に対応して、社債や証券化商品の投資者の観点からの投資判断材料を開示させるように会計・報告システムを変更する必要もある。債権者の利害が満たされるのは企業の成長が保証されねばならないはずある。その意味で、現行の会計・報告システムは成長企業を前提としているといえるがゆえに、改善を迫られているといえる。


4 企業の国際化と会計・報告システム選択

 わが国企業の本格的な国際化の歴史は浅い。国際化の歴史が浅いことが、国際的視野にたった事業経営や財務活動において国際化の先進国に遅れをとってよいという弁解にはならない。国際取引では、事業や財務における国内慣行を持ち込むことも難しい。後発国は一般に国際ルールを与件として受け入れるのかもしれないが、国際ルールが未整備であればこれを整備する努力も必要になる。いずれにしろ、国際財務の進展は、国際取引に係るルールの規格化をもたらしてくる。そして、会計・報告システムにおける国際標準を求める運動も起きてくるのである。

 もちろん、国際標準となる会計・報告システムを提案するチャンスはすべての国に平等にある。たとえば、近年におけるデリバティブの発展はどの国にとっても未経験の新しい事態であった。このとき、国際標準となるデリバティブの会計・開示基準を提案するチャンスはすべての国に平等におとずれたはずである(12)。しかし、この例に限らず、過去のIASC(国際会計基準委員会)やIOSCO(証券監督者国際機構)の活動に見られるように、金融・資本市場における会計・報告の国際ルールづくりにおいては、英米基準または米国基準の優位性は動かしがたい。このため、わが国は、不本意にも国内基準を死守してIASに消極的に対応するか、国内基準を積極的にIASに近づけるように対応するかを迫られるのである。

 会計・報告システムの国際標準づくりへの国の対応には積極的な2つのアプローチがある。第一のアプローチは、自国の国益の範囲を自国民および自国企業の保護とし、世界中に展開している自国企業が不利益を被らないように、あらゆる部面での国際ルールづくりに関与して主導権を握り、自国基準を国際標準として認めさせるアプローチである。それゆえ、このアプローチは他国企業を自国基準で競争させようとするアプローチである。第二のアプローチは、自国の国益の範囲を自国領土に限定し、自国領土内の経済の成長と各種市場の空洞化を回避することを最優先し、もし他国が作った国際標準が最適であると見るなら直ちに国内化するというアプローチである。後者のアプローチでは、自国の経済が発展し、雇用が確保されるなら、国内市場で外国企業が優位にたつことをも認めることになる。それゆえ、このアプローチは、自国企業が国際標準で競争することを求めるアプローチなのである。

 このような積極的アプローチを採用するには、政府による経済運営に係る明確な国際戦略が求められる。しかも、いずれのアプローチにおいても、他国にさきがけた早い対応が必要である。英米加3国は、IASC設立以前から、会計の国際調和問題に取組んできた長い歴史がある。それに対して、わが国では、IOSCOによるIAS支持が打ち出されて以降、ようやく国際調和が重要課題として認識されるようになったのである。この時間差は埋めがたい。その結果として、日本が受け身の対応にならざるを得ない状況に追い込まれたのである。

 問題はこれから先の対応である。企業が従来慣れ親しんだルールと異なるルールで国際競争力をつけるには時間が必要である。そこで、IASの導入をぎりぎりまで押さえて、押さえ切れなくなった段階で一挙に企業を国際競争のルールに曝すのか、あるいは、できるだけ早くIASの導入をはかり、一日もはやく企業を国際競争のルールに曝すのかという選択が迫られているのではないだろうか。

 以上、要するに、企業が国際化すればするほど会計・報告システムについて国際標準の必要性が高まる。この国際標準の形成過程ですべての国は自国基準を国際標準とするか国際標準を自国基準へ導入するかという選択問題を抱える。わが国の場合には、この選択問題の重要性に対する認識が希薄であった。その結果、本来の選択問題が、国際標準の候補であるIASの導入時期をめぐる選択問題にすりかわってしまったのである。


5 社会の情報化と会計・報告システム選択

 近年、インターネットの普及が、情報化の進展を具体的な形で個人にしらしめるのに役立っている。インターネットと電子メールを利用した取引や情報提供サービスは、すでに実験段階から実施段階へ突入しようとしている。アメリカでは、いわゆる仮想市場における証券取引に係る規制問題まで現実の問題となっている。また、インターネットの発展は情報コストを引き下げ、利用者に対して提供される情報も豊富になってきている。どのような媒体によらず、提供される情報の価値は情報利用者の理解度にも左右される。情報を安価に提供できる条件が整うのを背景に、従来みられない情報まで提供できるにしても、情報の受け手の側がそれを理解できなければ情報は価値を持たないからである。しかし、情報技術の進歩は同時に、投資者に有用な情報を生み出す情報加工者を生み出すであろう。

 従来の会計・報告システムは、一組の統合化された加工情報を提供するシステムであった。ここでは、情報利用者は加工情報の分析が主たる利用形態であった。しかし、情報加工者が情報仲介を行うようになれば、会計・報告システムは未加工の情報を提供するシステムに変貌する可能性もある。すなわち、多様な利用目的、多様な加工手法を前提として、未加工のデータベースの開示さえ現実味を帯びてくるのである。そこまで行かなくても、従来の情報に対して情報を追加する形で多元的な情報開示を行うことは比較的容易に行いうるであろう。

 このように、情報・通信技術が発展すればするほど多元情報の開示の障害は小さくなるといえる。そして、従来型の加工情報の開示(現行の会計・報告制度)と未加工情報の開示(データベース開示)が選択肢として登場しうる。こうして、多元情報の開示が現実的にも可能となるのである。そこでは、会計が単一情報を提供することの意義(単一性の原則)が再考されるはずである。

 多元情報の提供が可能であることと、会計・報告システムが多元情報提供システムであるべきことは区別する必要があるかもしれない。現行の会計・報告システムでは、すでに、原則的会計処理情報に加えて、代替的会計処理情報が提供されている。たとえば、財務諸表本体情報と注記等代替情報がセットで提供されている場合には、明示された利益額以外に、多数の利益額をも同時に開示していることになる。この意味で、現実は、実質もすでに多元的に捉えているということになる。

 以上要するに、情報・通信技術の発展は会計をより総合的な情報提供技術へ変質させる可能性を秘めている。その際、従来型の既製情報とその分析という会計観と未加工情報とその加工という会計観とでは、情報開示の意義も大きく変わってくる。その折衷として移行期には、会計は従来型の会計利益情報を提供することに加えて、あらゆるタイプの追加情報(利益情報に限定されないので企業診断情報とでもよべばよいかもしれない)を提供する潜在力を秘めている。そこで、技術的に多元情報の提供が可能になっても、依然として一組の情報セットを提供すべきなのか否かに係る選択が課題となる。


おわりに

 会計に対する期待が今ほど高まりを見せているときはない。この機会を逃せば会計に対する失望が世に蔓延するとの危機意識もある。われわれは、会計学上の問題を共有して、いま迫られているシステム選択問題に解答を出す努力をしなければならない。また、日本会計研究学会は、具体的に、わが国の会計学研究と教育ならびに会計制度の進展を記録化し、年々の社会・経済問題の会計的な解説をも加えた『会計白書』(13)を発刊することを提言したい。この白書は、細分化され、高度化されてきた会計学研究の現在の水準を的確に整理し、会計学が社会経済全般にわたる広範なシステム選択問題に積極的に貢献できる程度を明示できるものでなければならないと考える。そして、会計学の研究対象の拡大や学際的研究の興隆を踏まえたテキストの発刊も必要となろう。



(1) もちろん、個々の実証研究に対する反証ではない。
 (2) この会計理論のおかげで企業が安定成長を遂げることができるかどうかは定かでない。しかし、年々の成長率に変動があるとはいえ長期にわたって成長を続けている企業にとっては「相対的真実性」理論も説得力を持つ。そこでは、債権者保護は企業成長で保証されているので、債権者保護の観点からの資産評価は重要な問題として表面化しないからである。

 (3) 過去に粉飾決算がないにもかかわらず、ある日突然の巨額損失発覚報道により悪化した経営実態がはじめて明らかにされるケースでは、過去の決算は一体何を示していたのかという不信が生れて当然である。

 (4) 清算会計的発想を適用するという意味ではなく、経済的実質を優先するという英米の考え方が導入されると考えてよい。

 (5) 新井清光・白鳥庄之助「日本における会計の法律的及び概念的フレームワーク」『JICPAジャーナル』1991年10月。

 (6) 特集「会計制度=トライアングル体制のゆくえ」『企業会計』1996年9月。

 (7) 課税の公平の観点から評価損の損金経理を認めないことで原価評価が望ましいとされ、債権者保護の観点から配当可能金額が小さくなる低価主義の強制が望ましいとされ、現在的情報を重視する投資者の観点から時価評価が望ましいというように、各目的ごとに異なる要求が出たという状況の仮設例である。

 (8) 現行体制のままであれば、商法は少なくとも資産評価にあたり低価主義を強制すべきである。また、商法が配当規制を現行とは異なる方法にかえるならば、商法は開示については証取法に委任すれば、依然として商法と証取法は一元的関係を維持しうる。(柴健次「債権者保護と資産評価」『JICPAジャーナル』1996年8月参照。)

 (9) 蝋山昌一『金融自由化』1986年、『金融自由化の経済学』1989年参照。同教授の概念整理を用いて、金融システムの日米比較を試みた『平成4年版経済白書』も参照。

 (10) 狭義の証券化に関しては、企業財務制度研究会『証券化の理論と実務』1992年参照。

 (11) 不良債権の開示に関しては後向きの対応が目立った(柴健次「金融機関のディスクロージャーの在り方」『ジュリスト』平成8年3月参照。)

 (12) 先行する英米との対比で遅れた日本は開示を強化した(柴健次「デリバティブのディスクロージャーと時価評価導入の方向性」『企業会計』平成8年11月参照)。

(13) 名称は問わない。広く頒布されることが必要である。

(本稿は、平成8年9月開催の日本会計研究学会第55回大会における統一論題報告に加筆修正したものである。)


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