文書No.
970306
「クロス取引と日本の大口取引市場」
1996年12月
日本の株式市場で94年以降活発化したクロス取引の実態と取引手数料自由化の影響や価格決定メカニズムを検討し、機関化が進んだ市場における大口注文執行に対する日本の取引システムの限界や問題点を指摘する。
クロス取引のニーズは不良債権償却の動きと呼応する形で増加したが、これを引き受ける証券会社の採算を、大口手数料率の大幅な低下との関係を踏まえて検証する。実績手数料率は、自由化前の水準の2分の1から4分の1に低下し、証券会社がクロス取引を自己部門で引き受けることを前提に試算した「必要手数料率」を割り込んでいる。これは、最大のコストである有価証券取引税の負担をカバーしきれていないことを意味しているが、証券会社はクロスの執行形態を工夫し、取引税負担がある自己部門での執行を減らすことにより、手数料の大幅な引き下げに応じているものと思われる。
一方、クロス注文の執行は大阪、名古屋証券取引所に集中している。クロス取引は通常の株式取引と同様に、価格・時間優先のルールのもとで行われるにもかかわらず、重複上場銘柄の益出しクロスでは、全体の92%のクロスは往復とも同じ価格で執行され、主市場で観測されたオーバーナイトの価格変動の大部分が回避されている。これは、執行する取引所を東証以外にしたケースで顕著に見られる現象で、取引所間の価格調整ルールによって約70%の価格変動がカバーされるなど、クロス執行が円滑に行える仕組みがあるためである。
しかし、このような現行のクロス取引の執行メカニズムを機関投資家のポートフォリオ運用を対象とした大口取引の仕組みに適応することは、価格決定の一貫性という観点から問題がある。米国におけるブロック取引市場の発展を参考に、日本でも機関投資家からの大口注文に対応する執行メカニズムの多様化を図ると同時に、取引所間の価格形成のあり方を再検討すべきであろう。
大口注文の執行は、どのような証券取引システムにとっても困難な課題である。大口注文は市場に自然に存在する流動性では価格インパクトなしに約定することはできないからである。しかし、大口注文の発注者は、証券会社にとって重要な顧客であることが多く、通常、顧客の期待に応えるべき最大限の努力が払われる。大口取引の仕組みを詳細に検討することによって、現状の取引システムの限界や問題点を明らかにすることが可能である。
日本の株式市場における大口注文としてはクロス取引がしばしば行われている。クロス取引は企業等の決算対策を目的とした取引であるが、機関化が進んだ市場における大口注文執行と共通した面をもっており、本稿では以下の二点から検討を加える。
まず、クロス取引と呼ばれる大口取引の実態の解明である。クロス取引は金融機関等の不良債権償却問題とからみ、94年以降頻繁に行われるようになり、全株式取引高に占める比率は20%強に達するなど、特殊な取引と片付けてしまえない規模に達している。クロスをする側の理由は明白であるが、これを引き受ける証券会社にとっての採算はどうなのか、大口取引に関する手数料率が自由化されたこととも関連し、手数料率の推移と証券会社から見たクロス注文の採算性を検証し、これが直接的な経済的メリット(採算のよさ)によって支えられているとはいえないことを検証する。大口注文の委託手数料自由化で、手数料率は自由化以前の2分の1から4分の1の水準に低下したが、その四半期毎の変動は約定の平均サイズの増加とは無関係なパターンを示している(表1)。これは、10億円超の取引がクロス取引によって占められており、クロス取引の採算に最も影響する有価証券取引税の負担と密接な関連をもっているためと推察される。
2番目の目的は、クロス取引が、東証以外の取引所で執行されるという事実から、日本の重複上場銘柄の価格形成ルールとクロス取引の関連を明らかにする。クロス取引を含む大口注文は東証以外の取引所、大阪と名古屋に集中し、両取引所の売買高の過半を占めることもしばしばである。なぜ、このような集中がおこるのか、経済的要因によるのか、取引メカニズムに起因するのかは、興味をそそられる疑問である。これは益出し目的で行われる往復のクロス取引の価格変動リスクが回避されるメカニズムと深い関連をもっている。日本では、株価は取引所ごとに決定されるため、取引時間中の取引所間の価格形成は、一定の値幅(更新値幅)の範囲をもって保たれている。大証や名証で執行されたクロスの95%前後が、往復とも同じ価格で執行されているのに対して、東証執行のクロスは実際の価格変動の影響を受け、往復の価格が乖離する傾向が見られるのは、重複上場銘柄の価格決定ルールのなかに、株価変動を緩和する効果があるためである。
米国におけるブロック取引市場の発展を考えると、日本でも機関投資家からの大口注文に対応する仕組みが必要とされるようになっている。しかしながら、本稿の検討結果を踏まえると、現在のクロス取引のルールは執行価格に関して裁量的な決定が可能であり、ブロック取引の仕組みにそのまま適用するには問題があるといえよう。
以下の構成は次の通りである。第2節では、大口取引とクロス取引の関係について検討し、第3節でクロス取引の採算性という観点から、証券会社の有価証券取引税の負担と委託手数料率の密接な関係について述べ、第4節で必要手数料率を試算して実績手数料率の変動との関係を考察する。第5節では、オーバーナイトの価格変動と執行ルールの関係を実証的に分析し、第6節ではクロス取引の価格インパクトを検証する。最後に、日本の大口取引ルールを米国のブロック市場の現状と比較し、今後の課題を述べる。
表1 取引額10億円超の大口取引件数と手数料率
四半期 件数 合計金額 1件当り金額 手数料率
(件) (億円) (億円) (%)
94:4ー6 218 - 0.038
94:7ー9 2,278 - 0.038
94:10ー12 1,271 - 0.021
95:1ー3 4,127 - 0.044
95:4ー6 138 3,159 22.9 0.036
95:7ー9 1,173 39,751 33.9 0.044
95:10-12 1,197 53,076 44.3 0.020
96:1ー3 3,490 155,984 44.7
0.035
注:合計金額は10億円超の大口取引の合計。手数料率は 10億円以上の部分
に対する手数料率。全国証券取引所協議会及び証券業協会のまとめ。
表1の対象となっている1回10億円以上という取引は、分散投資を原則としている機関投資家のポートフォリオからの売買としては極めて大きい部類に入る。1銘柄の時価が10億円以上の銘柄は、そもそも時価総額の大きいポートフォリオの中核を構成する銘柄であり、このような銘柄を一挙に売り買いすることは通常考えられない。したがって、10億円超の取引とは、クロスなど特殊な形態が該当するマーケットであり、こうした取引実態を理解することから手数料率の変動に関する考察が得られると考えられる。
大口取引動向に関するデータとしては、表1のもの以外に大手証券が3市場全体を対象に集計したものがある(以下では大手証券推計値と呼ぶことにする)。これを利用して過去5年間(1991年4月から1995年12月)の動向をみたのが図1である。東京・大阪・名古屋証券取引所での出来高合計と、大手証券推計値の動きを月単位で対比してみると、91年4月以降では、91年度の大口取引は3市場出来高の15%を占め、その後は10%未満の水準が続いた。大口取引きが上昇したのは94年1月からで、94年度(94年4月〜95年3月)の大口取引占有率は3市場出来高の22%まで上昇した。これは手数料自由化の実施と前後して生じているが、手数料自由化をきっかけにしたというよりは、業績悪化に伴う益出しニーズの増加した影響が強く出たのではないかと、推察される。日本経済新聞の推計によれば、94年度の株式売却益は上場金融機関だけで約3兆円に登った。大口取引比率の上昇は、全般の株式取引が回復しない中で、益出し目的のクロス取引が増えたことが反映したものと考えられる。
出典:3市場出来高合計は東証・大証・名証の出来高合計で証券統計年報による。大口取引は大手証券会社の推計による30万株以上の大口取引の株数合計。
ただ、大手証券推計の30万株以上の取引は、金額で必ずしも10億円超となるわけではないので、こうした集計値に基づく分析を、個別のクロス取引データによる分析で補う必要がある。個別クロスの情報としては、日本経済新聞朝刊の株式相場欄の「株式のおもなクロス」がある(以下では、個別クロスデータと呼ぶことにする)。この欄から、毎日、主要取引所でクロス取引された銘柄から12銘柄について、株数、価格、執行取引所、会員証券会社の情報が得られる。日本経済新聞朝刊に掲載されたクロス取引データは1994年1月から1995年3月の15ヵ月間に3,666件ある。このうち、1件当たりの取引額が10億円超となるものは2,541件含まれている。さらに、この3,666件のクロスを、執行取引所別に分類すると、東証が893件、大証が2,128件、名証が644件という内訳で、大証への集中度が非常に高い。個別クロスデータの月別合計株数は、証券会社推計の大口取引株数の25%から71%の間を占めており、上記期間中では平均40%をカバーしている。図2は月別の個別クロス件数を金額別にみたもので、4、5月は60〜70%が30億円未満の取引によって占められるが、9月や3月は30億円未満は20%に低下し、大型クロスの発生頻度が高まることがわかる。
これらのクロスデータについて、紙面では個々の取引目的は明らかにされていないが、益出しクロスは通常の投資行動と異なり、短期間に往復取引が行われることに着目すれば、同じ銘柄の同株数の大口取引が、同じ会員証券会社によって、数日以内に行われていれば、益出しクロスであったと見なすことができよう。このようにして3,666件のクロスから、益出し目的とみなせる取引を抽出してみると、全体の約50%の1,812件が該当した。これら1,812件のクロスは、往復とも同株数で取引されており、906組のペアとみなせる。実際のクロス取引件数は、毎日、変動しているが、新聞掲載件数は一定で、株数が大きいものが優先されるため、往復の取引をすべて、紙面上で追跡できるとは限らない。したがって、ここで益出しと判断されたクロス以外にも、益出し目的のものがあった可能性があるが、ここでは、往復取引が確認できたもののみを分析対象とした。
94〜95年度は金融機関等の不良債権償却のため、保有株式の益出しのために大量のクロス取引が行われた。クロス取引においては、証券会社が一時的な取引の相方となる場合と、同じ銘柄を保有している他の法人と組み合わせて執行する2通りのケースがあり、売却時にかかる有価証券取引税を証券会社が負担するか否かにより、委託手数料率の割引に大きな違いが生じているものと思われる。
証券会社が一時的な買い手となってクロス注文を執行する場合の収支バランスを具体的に試算してみよう。ここでは、株価1,000円の銘柄で100万株、すなわち取引金額10億円のクロス取引を考察する。
証券会社の収入は委託手数料収入で、取引金額10億円の場合は153万5,000円を下回らない範囲と定められている。このクロスの往復手数料収入は307万円(0.307%)であり、この金額は固定手数料制のときと同じである。
一方、支出としては証券会社が取引所に支払う定率会費と場口銭がある。証券会社からの聞き取り調査の結果に基づく取引所別費用(往復)は、各取引所の定率会費が違うため、東証で執行する場合は売買代金の約0.028%、大証では約0.017%、名証では約0.024%となる。売買代金10億円の場合では、最も高い東証クロスでは28万円、最小の大証では17万円である。
証券会社にとっての第2の費用は有価証券取引税で、これはクロスの復路にかかる。率は売買代金の0.12%で、10億円の取引では120万円と最大の支出項目である。さらに、証券会社としては往路でクロスを買い受ける資金の負担を考慮しなければならない。仮に金利が2%とすると1日当りの金利負担は約54,000円である。これらクロス執行にかかる直接経費の合計は、最大の東証クロスでは153万円(売買代金の0.153%)、最小の大証クロスでは142万円(同0.142%)程度となる。手数料収入から費用を差し引いた粗利益は154万〜165万円で、粗利益率は約50%である。
注:委託手数料収入は大口手数料自由化前。自由化後の手数料収入は、95年1-3月の実績をもとにした水準を示した。
採算は、クロス金額が大きくなると悪化する。図3は証券会社の収入と支出の関係を、クロス金額に対するパーセントで表わしたものである。自己で受ける場合の直接経費は売買代金にスライドする形で決まるため、固定手数料のもとでの採算は金額の上昇と共に悪くなる。たとえば、100億円のクロスの往復手数料収入は大口手数料自由化前でも1,700万円程度(0.17%)と、率でみると10億円の半分程度に落ちる。一方、費用の方は取引金額に対して一定率でかかるため1,530万〜1,420万円となり、粗利益は186万円〜276万円で粗利益率は10〜15%である。
全国証券取引所協議会及び日本証券業協会がまとめた四半期毎の調査(表1)によれば、94年4月以降は、大口手数料率の自由化で、10億円超の部分にかかる手数料実績は 0.02%から 0.04%に低下した。94年4〜6月の10億円超にかかる手数料率 0.038%を前提にすると、証券会社にとっては取引税を自己負担する形では、35億円以上のクロスは採算割れだったことになる。同期間の個別クロスデータのうち、10億円以上の大口約定 256件について調べてみると、約21%の55件が採算割れだったことになる。また、手数料率が 0.021%と最低だった94年10〜12月では取引金額 25億円以上が採算割れで、428件中 226件(52.8%)が採算のとれない取引とみなされる。実績手数料率が 0.044%に上昇した 95年1〜3月の損益分岐点は約 40億円以上であったが、全体にクロスが大型化したため 618件中、半分以上の 358件は採算がとれない水準であった。
このように計算上、採算割れが続出するのは、なぜか。クロス取引が、実際には取引税を証券会社が負担しないで済む第2の執行形態が行われた可能性がある。第2の執行形態とは、同じ銘柄について益出しニーズをもっている法人を2社組み合わせて執行するものである。この場合は、証券会社は2つの法人からそれぞれ委託注文を受けた形になるので、有価証券取引税を負担する必要がなく、取引金額に対して0.017〜0.011%の手数料収入があれば、直接経費をカバーすることができる。取引金額 10億円以上では、最低手数料が 153万5千円なので、計算上、取引金額 90億〜140億円まで直接経費をカバーできる。
しかし、同一銘柄をクロスできる法人を直ちに探すことはいつでも可能なわけではない。特に、クロス件数が増大する期末の時期には、法人間のクロスのアレンジが困難で、証券会社が自己で受けて執行するケースが増えると仮定すれば、表1の実績手数料率の推移と整合的な解釈が成り立つ。証券会社としては、自己で受けるコストをカバーするのに必要な最低限の収入を手数料として徴収することは譲れない線となるため、平均手数料率が上昇するのであろう。
それ以外の可能性として、10億円超の大口注文に占める、益出しクロスとそれ以外の、たとえば機関投資家からの注文の割合が変化することにより、こうした結果が生じるという見方も考えられる。しかし、この仮説が成立するためには、機関投資家が1銘柄10億円超という単位の大口注文をかなりの頻度で行っていることが前提になる。2節のはじめでも触れたように、分散投資を原則とする機関投資家の運用ポートフォリオからの注文としては、1銘柄10億円という規模は余りにも大きいと思われる。
前節での考察をもとに、ここでは大口注文の大半が益出しクロス取引であったという前提のもとに、個別クロスデータから、自己部門で受ける場合の必要手数料率を計算し、実際の手数料率の動きと対応させてみた。
往復取引の必要コストは取引税(0.12%)と大証で執行する場合の定率会費と場口銭、金利負担を合計した0.142%となる。これを往復取引で回収すればよいので、クロス金額V(片道)に対して1回の必要手数料率はこの半分の0.071%であると仮定した。
(1)
図4は、この式から計算される10億円超にかかる必要手数料率
Commと、クロス金額の関係を示したものである。クロス金額が21.6億円に達するまでは、10億円までの最低手数料(往復で307万円)のみでも、有価証券取引税を負担して手数料収入の一部が手元に残る。しかし、取引税は金額によるディスカウントがないため、金額が大きくなると最低手数料の効果は小さくなり、必要手数料率は徐々に取引税率プラス場口銭等からなる証券会社の片道の平均コストを反映したレベルの
0.07%に収束する。
表2 大口取引手数料率と必要手数料率
四半期 実績手数料率 必要手数料率 個別クロス件数
(10億円以上) (単純平均)(加重平均) (10億円以上)
94:1-3 0.075% 0.034 0.052 613
94:4ー6 0.038% 0.016 0.034 256
94:7ー9 0.038% 0.029 0.048 626
94:10ー12 0.021% 0.024 0.048 428
95:1ー3 0.044% 0.038 0.058
618
注:取引金額10億円以上のクロスについて、有価証券取引税や
場口銭など証券会社が自己部門で、受けて執行した時の費用を
カバーする手数料率を必要手数料率として算出した。
加重平均は10億円超の手数料合計を10億円超の取引金額合計で割
ったもの。
次に、この必要手数料率を10億円超の個別クロス2,541件について個別に計算し、その平均値の推移と手数料の実績値の関係を見てみよう(表2)。実績は10億円超の取引額合計に対する手数料合計の比率で表されているので、必要手数料率も加重平均値で比較するのが整合的である。しかし、個別クロスデータは大型のクロスに片寄って選択されているので、10億円以上の全取引の加重平均になっている実績との比較では、クロスが大型化する時期には率が高めに出る。こうしたバイアスに配慮して、1件毎の必要手数料率の単純平均も参考にしながら見ていくことにする。
自由化前の94年1〜3月では必要手数料率(加重平均)は0.052%で、これに対して実際には0.075%の手数料収入があったので、クロス取引は十分採算に乗る取引であった。自由化直後の94年4〜6月では、必要手数料率は0.034%に対して実績が0.038%と、すべて自己で受けていればほとんど利益のない水準にまで低下した。その後、7〜9月ではクロスの大型化により、加重平均ベースの必要手数料率は実績より高くなっており、自己で受けたのでは赤字という状況を示している。10〜12月には実績手数料はさらに低下し最低水準に達したが、加重平均でみた必要手数料率は12月に100億円以上のクロスが28件もあった影響で横ばいとなった。証券会社がクロスの依頼を自己で受けるのではなく、相手となる他の法人を見つけて執行すれば、手数料率をぎりぎりまで下げることができる。実績の大幅な低下は、こうした執行方式を積極的に追求した結果と考えられる。加重平均による必要手数料率が実績を上回る傾向は、94年7〜9月期以降定着しており、第3者を使ったクロスの執行で証券会社が採算を維持する戦略を恒常的に取り始めたと見ることができよう。95年1〜3月の実績の手数料率が、自由化以降では最高水準である0.044%に上昇したのは、クロス需要の急増、サイズの拡大に加えて、相手を探す時間的な制約から、証券会社が自己部門で受けるクロスが増えたためと推察される。大口取引の手数料率は、クロスの執行形態と有価証券取引税の負担の関係を反映して決定されていることをこの結果は示唆している。
大口取引の手数料率について、これまでの結果を整理してみると、有価証券取引税がクロス取引のコスト構造上、極めて大きな影響を及ぼしていることがわかる。
図5は大手証券が集計した大口取引株数から推計したもので、94年度の大口取引金額はおよそ2兆4千億円と前年度の2.7倍に増加したが、証券会社の委託手数料収入は、手数料自由化の影響で164億円と前年の約2倍にとどまった。一方、投資家が払った有価証券取引税は362億円、証券自己部門が負担した有価証券取引税額は145億円と推定され、両者をあわせると最低でも500億円強の取引税が支払われた。これは委託手数料の3倍強である。この計算は、大口取引がすべてクロス取引で、証券会社が自己で引き受けたと仮定した場合の金額なので、委託注文同士の取引であった場合には、取引税はもっと多かったことになる。日本の大口取引市場のコスト構造をみると、委託手数料率の自由化と有価証券取引税の引き下げ、ないしは撤廃が同一歩調で進められなければ、株式取引のコスト構造はますますいびつな状況になり、国際的な競争に太刀打ちできないことは明瞭である。
注:大口約定金額は、大手証券推計の大口取引株数に、3市場出来高と売買代金から計算される平均単価をかけて推計した。自由化後のクロス委託手数料収入は四半期毎の大口約定金額に、各四半期の実績手数料率(1件当たりの取引金額を40億円と仮定した手数料率)をかけて算出し、年間の平均委託手数料率を計算した。また、有価証券取引税は投資家の場合は売買代金の0.3%、証券会社は0.12%を総額にかけた。定率会費・場口銭は本文で使用した大証のコストから計算した。
これまでの証券会社の採算に関する試算は、クロス取引の往復価格が同じであることを前提にしたものであった。益出しクロスの往復取引は2日間に分けて行う必要があるため、この間の価格変動リスクがある。仮に往復の価格が1ティック違えば、株価水準が1,000円の場合には売買代金の1%の損益が発生し、10億円のクロスでは1,000万円の違いが生じ、クロスの依頼者、または証券会社の一方にとって許容しがたい損失(費用増)となってしまうであろう。証券会社は仲介者として、往復の執行を同じ価格で行いたい強い動機をもっていると予想される。金融機関等、クロス執行者も価格インパクトなしに益出しが出来ることで大きな利益を得ている。
表3は、往復取引が確認できた906件のクロスの執行損益をまとめたものである。対象クロスのなかで、売り買いが同値で実行されたものは833件(全体の92%)と圧倒的な比率を占めている。往復の売買価格の違うケースは72件(8%)のみである。
実際に、執行価格が往路と復路でどの程度変化しているかを次のように算出してみよう。
執行価格変化率 = (復路価格−往路価格)/往路価格 x
100 (2)
クロス取引の執行価格変化率を取引所別に見ると、往復の組合せを大証―大証、名証―名証でクロスしたものの損益は-0.021%、0.001%とほぼゼロであるが、東証―東証のケースでは0.192%の値上がりとなっており、執行市場による損益の違いが見られる。
こうした執行損益と当日の株価変動の関係を、クロスの執行ルールを踏まえて分析を加えてみよう。
日本の取引所取引には、クロス取引の執行のための特別なルールというものはなく、通常の取引所集中義務と取引ルールの枠内で発注・約定を行わなければならない。証券会社はクロス注文を執行するために、売り、買い同じ株数の指値注文を才取に伝達し約定する。この際、価格又は時間的に優先する指値注文が入っていると、これを含めて執行しなければならないため、こうした注文が入っている可能性が比較的低い大証や名証がクロス執行の場として選択されることが多くなる。これらの市場では、待機している指値注文が少ないので、東証での値動きにかかわらず自由な価格で執行できるように受け取られやすいが、実際はそれほど単純ではない。重複上場銘柄の価格決定に関する取引所間のルールがあり、これに即して約定価格が決定されるからである。
表3 益出しクロス取引の執行状況
観測値(組) | 906 | 32 | 29 | 9 | 11 | 637 | 6 | 1 | 21 | 160 | |
価格上昇(組) | 32 | 6 | 0 | 0 | 5 | 15 | 1 | 0 | 0 | 5 | |
同値(組) | 833 | 21 | 27 | 9 | 3 | 602 | 3 | 0 | 17 | 151 | |
価格下落(組) | 40 | 5 | 2 | 0 | 2 | 20 | 2 | 1 | 4 | 4 | |
平均金額
(億円) | 48.9 | 42.2 | 37.2 | 36.2 | 25.7 | 49.4 | 62.6 | 65.5 | 49.6 | 51.8 | |
所要日数平均 | 1.28 | 1.66 | 1.21 | 1.22 | 2.10 | 1.23 | 2.33 | 2.00 | 1.43 | 1.32 | |
執行価格変化率(%) | |||||||||||
平均 | -0.011 | 0.192 | -0.080 | 0.000 | 0.782 | -0.021 | -0.222 | -1.070 | -0.305 | 0.001 | |
標準偏差 | 0.515 | 1.276 | 0.407 | 0.000 | 1.157 | 0.460 | 0.625 | - | 0.753 | 0.279 |
国内8証券取引所には、相互に重複した銘柄が多数上場している。これらの銘柄の価格決定については、取引所間で著しい乖離が生じないように、銘柄毎に「主(プライマリー)市場」を定め、その他の市場では直前に取引がないときは、「気配調整値段」を出し、次の約定価格が主市場の価格から一定の範囲以内に収まるようにしている。この一定の範囲は、各取引所間が「更新値幅」として定めているもので、図6に例示した。クロス取引の執行において、これが往復取引の「価格変動バッファー」としての機能を果たしていることを次に示そう。
大証のクロス執行を例とする。クロスの往路は引け際に振られるのが通例であるが、大証の終値は次のような方法で決定される。大証で引け際に注文が入れば、この約定価格が終値となることは当然であるが、大証が主市場でない銘柄では、気配調整値段が終値ないしは最終気配決定の重要な役割を果たす。大証のシステム取引銘柄で、かつ東証主市場の銘柄の場合は、大証の最終気配が東証の終値と自動的に一致するようにシステムがリンクしている。また、共通主市場銘柄については、引け際に更新される気配調整値段が最終気配となるので、やはり東証の終値に近い価格が最終気配となる。このように大証の実質的な終値である最終気配は、気配調整値段を通じて引け間際に主市場の価格にリンクされており、このことは、復路のクロス執行を往路と同じ価格で行ううえで、極めて重要な役割を果たしている。
図7の例では、ある銘柄の東証、大証の終値が800円で、この価格でクロスの往路が振られたとする。翌日の始値の基準価格は800円となるので、この価格水準での更新値幅は図6に示したように5円と定められている。したがって、翌日の東証の寄り付きが795円から805円の間であれば、大証では東証の寄り付き直後に800円で復路のクロスを執行でき、往復の取引を同じ価格にすることができる。
このように更新値幅は、クロス銘柄のオーバーナイトで生じる変動をカバー(緩和)する効果がある。更新値幅は銘柄の株価水準毎に決められているため、図6には金額と株価に対する率の両方を表示した。価格変動バッファー効果は、800円の株価の銘柄では0.625%であり、最大は3%(株価100円)、最低で0.5%(株価999円等)の上下変動をカバーする効果がある。
実際にこの更新値幅が、オーバーナイトの価格変動を緩和する程度を測定してみた。対象銘柄毎に、「価格バッファー」とクロス後のオーバーナイト価格変動率を次のように計算する。分析対象のクロス銘柄は、東京主市場、ないしは共通市場銘柄なので、実際の価格形成は東証価格が基準になる。したがって、クロス価格と翌日の東証始値の比較から計測されるオーバーナイトの価格変動が、実際に意味を持ってくるのである。
価格変動バッファー = 大証(名証)の更新値幅/クロス価格(往路)x100 (3)
クロス後東証始値変化率 =(翌日の東証始値/クロス価格(往路)−1)x100 (4)
次に、価格変動バッファーとクロス後東証始値変化率の大きさを比較し、この差を「超過変動率」とする。
超過変動率 =(価格上昇のとき)クロス後東証始値変化率−価格バッファー (5a)
=(価格下落のとき)クロス後東証始値変化率+価格バッファー (5b)
ただし、超過変動率がマイナス(オーバーナイト価格変動がバッファーより小さかった)場合には、超過変動率はゼロとした。
表4は個別クロスを対象に、実際の価格変動、往復取引の執行価格変化率、価格バッファーの大きさを計算し、更新値幅(バッファー)が重複上場銘柄のオーバーナイトの価格変動を緩和させる効果を計測したものである。
さらに、実際の執行では、寄り付きの価格が更新値幅を超えてしまった場合でも、執行タイミングを遅らせることで、往復価格の乖離を小さくすることができる。これは超過変動率と実際の執行価格変化率の差となって表れる。これは表4では「執行タイミング効果」と表示した。。
執行タイミング効果 = 超過変動率−執行価格変化率
(6)
表4では、復路に東証を利用したものについては価格変動バッファー効果は得られないので、執行損益と実際の価格変動率のみを表示し、全体の平均は東証以外を復路で利用したケースのみを対象にしている。
値上がりのケースでは、クロス後のオーバーナイトの平均価格上昇率は0.88%あり、これは、各銘柄の価格変動バッファー率(平均0.82%)を平均的に0.27超過するようなものであった。価格バッファーによるオーバーナイト変動の緩和効果は69.3%である。実際の執行損益は0.05%超過変動率よりも小さくなっており、これは執行タイミングの選択でオーバーナイト変動率の約25%をカバーしたといえる。
値下がりの場合も同様で、クロス後の実際の価格変動は-0.96%あったが、執行損益は-0.12%であった。オーバーナイトの価格変動を、価格変動バッファー効果で65.6%、執行タイミング効果で21.9%カバーして-0.12%に収めたとみることができる。
執行取引所別にみると、往復とも大証で執行されたケースでは、オーバーナイトの価格変化の70%(値下がりケースは67%)がカバーされ、執行タイミング効果も23%(同20%)あった。また、往復とも名証で執行されたケースでも、価格バッファー効果が72%(同65%)、執行タイミング効果が24%(同30%)であった。
これに対して、東証執行銘柄の執行損益は、クロス後始値変化率の上昇をほぼそのまま反映したものとなっている。クロス後オーバーナイトで株価は2.01%上昇し、執行損益率も1.87%となった。また、値下がりケースや同値のケースではオーバーナイトの価格変動率と執行損益が一致しており、復路は寄り付きで執行したと推測される。
実際に計測した結果では、大証や名証で執行されたクロスは、価格バッファー効果が観測され、価格変動の70%がカバーされている。この効果は、板の薄い市場を利用できる重複上場銘柄においてのみ得られるものであり、クロス執行が東証以外の取引所で主として行われる理由になっている。
表4 価格変化と執行損益
(a) 執行価格変化率 | 0.05 | 1.87 | 0.00 | 0.00 | 1.28 | 0.06 | 0.16 | - | 0.00 | 0.03 | |||||||
-0.002 | 0.00 | 0.00 | - | 0.00 | -0.01 | -0.47 | - | 0.00 | 0.02 | ||||||||
-0.12 | -1.02 | -0.15 | 0.00 | -0.19 | -0.12 | -0.67 | -1.07 | -0.58 | -0.06 | ||||||||
(b) クロス東証始値変化 | 0.88 | 2.01 | 0.97 | 1.14 | 1.40 | 0.88 | 1.46 | - | 0.86 | 0.87 | |||||||
率(%) | 0.00 | 0.00 | 0.00 | - | 0.00 | 0.00 | 0.00 | - | 0.00 | 0.00 | |||||||
-0.96 | -1.02 | -0.49 | -1.56 | -0.19 | -0.94 | -1.27 | -1.07 | -0.76 | -1.16 | ||||||||
(c) クロス東証終値変化 | 0.77 | 2.07 | 0.47 | -1.28 | 0.97 | 0.84 | 1.99 | - | 0.59 | 0.60 | |||||||
率(%) | -0.41 | -0.36 | 0.76 | - | 0.80 | -0.40 | -1.40 | - | 0.17 | -0.60 | |||||||
-0.90 | -1.30 | -0.71 | -2.12 | -0.46 | -0.86 | -1.97 | -1.60 | -0.99 | -0.92 | ||||||||
(d) 価格変動バッファー率 | 0.82 | - | 0.70 | 0.64 | 0.82 | 0.91 | - | 0.77 | 0.83 | ||||||||
(%) | 0.86 | - | 0.66 | - | 0.85 | 0.93 | - | 0.79 | 0.93 | ||||||||
0.83 | - | 0.69 | 0.87 | 0.83 | 0.60 | - | 0.79 | 0.87 | |||||||||
(e) 超過変動率(%) | 0.27 | - | 0.45 | 0.50 | 0.26 | 0.71 | - | 0.17 | 0.24 | ||||||||
0.00 | - | 0.00 | - | 0.00 | 0.00 | - | 0.00 | 0.00 | |||||||||
-0.33 | - | -0.11 | -0.95 | -0.31 | -0.67 | - | -0.25 | -0.41 | |||||||||
(f)価格変動バッファー | 69.3 | 53.6 | 56.1 | 70.5 | 51.4 | 80.2 | 72.4 | ||||||||||
(%) | |||||||||||||||||
65.6 | 77.6 | 39.1 | 67.0 | 47.2 | 67.1 | 64.7 | |||||||||||
(g)執行タイング効果 | 25.0 | 46.4 | 43.9 | 22.7 | 37.7 | 19.8 | 24.1 | ||||||||||
(%) | |||||||||||||||||
21.9 | -8.2 | 60.9 | 20.2 | 0.0 | -43.4 | 30.2 | |||||||||||
(h) 観 測 値(件) | 332 | 6 | 11 | 2 | 7 | 244 | 3 | - | 5 | 67 | |||||||
202 | 21 | 3 | - | 2 | 154 | 1 | - | 5 | 39 | ||||||||
328 | 5 | 15 | 7 | 2 | 239 | 2 | 1 | 11 | 54 | ||||||||
注 : 上段=値上り、中断=変わらず、下段=値下り(クロス東証始値変化率を基準に分類した)。*:全体平均は復路が東証の場合を除いた。計算式は以下の通り。 |
(a) 執行価格変化率 = (復路価格−往路価格)/往路価格 x100
(b) クロス後東証始値変化率 =(翌日の東証始値/クロス価格(往路)−1)x100
(c) クロス後東証終値変化率 =(翌日の東証終値/クロス価格(往路)−1)x100
(d) 価格変動バッファー = 大証(名証)の更新値幅/クロス価格(往路)x100
(e) 超過変動率 =(価格上昇) クロス後東証始値変化率−価格バッファー
=(価格下落) クロス後東証始値変化率+価格バッファー
ただし、超過変動率がマイナス(オーバーナイト価格変動がバッファーより小さかった)場合には、超過変動率はゼロとする
(g) 執行タイミング効果 = 超過変動率−執行価格変化率
次に、クロスの執行が当該銘柄の価格形成にどのような影響をもたらしているか、事後的な価格形成への影響に絞って結果を紹介する。
クロス執行後の価格インパクトの存在を調べるため、往路クロスの翌日から6日間のTOPIXに対する日次超過リターンについての計測結果をまとめた(表5)。復路の執行日別にインパクトの有無をみると、905件のクロス全体の内(大証上場の1銘柄は除外した)、750件は翌営業日に戻りの執行が行われており、このケースでは統計的に有意な超過リターンは見られない。これらのクロス取引は、往路は引け際、復路は翌日の寄り付き後に行われたとすれば、翌日の取引開始時点には、他の市場参加者もクロスの目的が明確になるので、価格形成へのインパクトは生じなかったと考えられる。
一方、翌日に復路の取引が出来なかったケースでは、2日後から5日後までに復路が執行された。いずれのケースでも往路の翌日にネガティブな超過リターンが記録されたものはなく、所要日数3日のケースで、統計的に有意なプラスの超過リターンが記録されている。これは、クロスをきっかけとして株価が上昇したともとれるが、復路のクロスが執行された3日目(+3)に価格が下方修正されていることから、クロスの執行損益がこれらのケースでもほぼゼロであることを考慮すると、クロス直後に価格上昇が生じたため、これが落ち着いてからクロスの復路が執行されたと考えるのが自然ではないかと思われる。95年に入ってから持ち合い解消の動きが報道され、クロス取引が保有株式の売り切り行動と関連しているという見方もされたが、94年度のクロス取引の分析からはそのような兆候は見られなかった。
表5 クロス執行直後の超過リターン(往復日数別)
経過日数 | 件数 | ||||||
所要日数1日 | 750 | -0.006% | -0.008% | 0.018% | 0.088% | 0.107% | 0.009% |
(t値) | -0.1 | -0.2 | 0.4 | 1.6 | 2.2 | 0.2 | |
所要日数2日 | 27 | 0.015% | 0.514% | -0.399% | -0.003% | 0.042% | 0.166% |
0.1 | 2.0 | -2.0 | 0.0 | 0.2 | 0.7 | ||
所要日数3日 | 44 | 0.434% | 0.122% | -0.448% | 0.101% | -0.092% | 0.147% |
2.1 | 0.6 | -3.1 | 0.6 | -0.5 | 0.7 | ||
所要日数4日 | 17 | 0.497% | -0.245% | -0.104% | -0.172% | 0.700% | -0.429% |
1.9 | -1.0 | -0.5 | -0.5 | 2.9 | -1.8 | ||
所要日数5日 | 6 | -0.770% | -0.123% | -0.389% | 0.432% | -0.341% | -0.202% |
-0.9 | -0.3 | -0.2 | 2.9 | -0.9 | -0.3 | ||
注:祝日前日と前々日に執行されたクロスは除外した。 |
クロス取引は、取得原価主義をベースとした日本の会計原則のもとで、保有株式の含み益を決算に反映させながら、かつ伝統的な持ち合い関係を維持していくために生み出された日本独特の取引である。大口注文の往復取引には価格変動リスクが伴うが、重複上場銘柄の価格決定ルールのなかに価格変動リスクを吸収するバッファーが存在することで、このような取引が既存制度の枠組みで可能となっているといえよう。クロス銘柄の価格形成の分析によれば、クロス取引が他の取引の価格形成に影響を与えているという事実はなく、クロス執行者は保有株式売却に伴う価格下落を避けることで大きなメリットを享受している。
しかし、現状のクロス取引の仕組みが、益出しという特殊な取引だけでなく、機関投資家の運用ポートフォリオからの大口注文に適用されることは不適切な点がある。現行制度の更新値幅のもとでは、大口注文の執行価格を主市場の価格形成から乖離した価格に決めることが可能である。図6でも見たとおり、更新値幅はミニマム・ティックの2-5単位に当たり、スプレッドを大幅に超えている銘柄が多い。更新値幅を価格に対する率でみると平均0.8%あり、これはオーバーナイトの価格変動の70%という大きさである。こうした価格裁量性は、公正な執行価格の決定という観点からみて好ましいとはいえない。主市場のベスト価格から乖離できることにより、価格決定に関して小口と大口で差別を許すことになりかねない。このように、現在の取引所単位の価格決定ルールは、主市場以外で執行される大口クロス注文の価格が、競争的に決定される価格と整合性がとられないことを容認していることになる。
米国のブロック取引市場の仕組みも、証券会社のブロックトレーダーが相手となる注文を探し、売り買いをセットにして市場に出すという点で、日本のクロスが取引所で約定されるプロセスと多くの共通点をもっている。米国では当事者間の価格決定に、大口注文のインディケーション(気配)を流す仕組みや価格を当事者間で交渉する機能をもった電子取引システムなどが活用される。そして、会員証券会社は、このようにして事前に揃えたクロス注文を、NYSEなど取引所のベスト・ビッドとアスクの範囲内の価格で執行する。大口注文の執行をめぐっては、NYSEと地方取引所間、また、クロッシング・ネットワークといった電子取引システムとの間に激しい競争があり、NYSEではフロア取引のルールを変更するなどして対抗してきた。
わが国の株式取引システムは、代替的な取引手段がないことや有価証券取引税の負担が、投資運用業務のコスト競争力を喪失させる要因になっており、取引が海外に流出する原因になっている。大口注文に対して、取引所集中義務を固守し、既存の取引ルールをそのまま適用するのでは、大口注文に対する執行サービスは十分な発展をみることはできないだろう。取引コストや執行ルールなどポートフォリオ運用者の国際競争力を弱めている諸問題を見直し、新しい注文執行ニーズに見合った取引システムの再構築を急ぐ必要がある。
(注)本論文の執筆に当たって、大阪証券取引所の田野伸武氏、高田博史氏、名古屋証券取引所の平野武彦氏から制度の詳細について解説していただいた。また、川北英隆氏、木本圭一氏、俊野雅司氏、広田真人氏、宗近 肇氏、日本ファイナンス研究会出席者の方々から有益なコメントをいただいた。本橋恵美子嬢には膨大なデータ収集を手伝っていただいた。しかし、本稿に関わる誤りは筆者の責任である。
(1)宇野淳・大村敬一[1996]「クロス取引と価格変動リスク」法政大学経済志林、1996年7月
(2)証券取引審議会作業部会[1993]「大口取引に係る株式委託手数料の自由化について」、1993年3月23日
(3)「大口取引に株券委託手数料率の公表について」東京証券取引所「証券」1994年8月,94年11月,95年2月,95年5月,95年8月、95年11月,96年2月
(4)東京証券取引所調査部編 [1994]「東京証券取引所 その機能と仕組みについて」1994年
(5)日本経済新聞 1996年1月27日,2月2日,3月9日,4月18日,4月21日各朝刊
(6)日経金融新聞 1996年2月5日,2月8日
(7)New York Stock Exchange "Agency Block Cross Transaction of 25,000 Shares or More" October 23,27 1992
(8) Schwartz, R.A. "Equity Markets: Structure, Trading and Performance" Harper & Row、1988
(9)Torres, C. "Big Board Set To
Allow Bypass Of Floor Trades" Wall Street Journal, October
26,1992