日本財務管理学会平成8年度部会共通論題(11/Jan 97) 「変革迫られる日本型財務システム」報告 日本公社債研究所 吉村光威
はじめに
わが国の企業金融は戦後間接金融を軸に展開した。証券不況後、株式持ち合いが積極的に行われ、メーンバンク制が敷かれ、わが国独特の企業経営システムが形成された。1975年の不況を契機に借金は限界に達したためその後直接金融に傾き株主資本比率(自己資本比率)は上昇に転じた。ただ1980年代後半、極端な株式・土地投機を行なった結果バブル経済が発生、90年代に入ってこれが瞬く間に泡と消え、これとともにエクイティ・ファイナンスは事実上ストップされ、代わって社債による資金調達が盛んになった。このように戦後の外部資金調達は「借金ー増資ー社債」と「間接金融」から「直接金融」と変革を遂げてきた。
企業金融の「直接金融化」は基本的には減価償却資金を中心とした内部の自己資金が豊かになったことが寄与した。設備投資機会の減少にもよるがキャシュフローが設備投資資金を上回る(フリーキャシュフロー)ようになり企業金融の自立化が背景にあった。
本報告はこうした流れを主要上場企業の財務データを用いて実証するとともに、企業金融が今後適正に行われるには何が必要であるか考える。バブル崩壊にともない発生した大量の不良債権の処理に悩む銀行はメーンバンク制が崩れそのコーポレート・ガバナンス能力を低下させた。一方企業はフリーキャシュフロー増加でエージェンシー・コスト(経営者の機会費用)を増加させる可能性が高い。このためディスクロージャーの徹底や社債発行増に合わせ信用格付けの充実に迫られている。
1.間接金融の時代
わが国の企業は戦後、復興の段階から慢性的な資金不足だった。主に昭和30年代、資本充実のため資産再評価を行い評価益を資本に組み入れ、これを原資に無償増資を盛んに行った。額面のうち何割かを無償にする「抱き合わせ増資」が相次いで行われ「見せかけの資本」は充実した。しかし株券が大量に出回り株式の需給が大幅に緩み株価は暴落、昭和40年の証券不況を迎えた。証券保有組合や共同証券が設立され過剰な株式を市場から吸い上げた。
産業の本格的な重化学工業化は昭和40年代で、3000立米の高炉、30万トンエチレンセンター、30万トンドックなど世界一の生産設備が相次いで稼働、カラーテレビ・クーラー・カー(3C)など耐久消費財も増産した。これらの資金は主に銀行借入金に依存した。借金の増加は昭和50年まで続く。この間、借入金のテコ効果(注1)で資本利益率を維持・向上させてきた。インフレによる資産の「含み益」が債務者利潤となって企業を潤した。
一方、海外からの資本自由化要請に対応するためいわゆる「株式安定化」が盛んに叫ばれ金融機関による株式の取得と事業法人間も含め株式の持ち合いが進み、発行済株式数の過半数に及んだ。
(図1、株式持ち合い)
これが日本の資本主義のその後を特徴づけることになる。いわゆる系列取引は包括的・長期的・安定的にヒト・モノ・カネの経営のあらゆる面に及ぶこととなる。大株主やメーンバンクに情報が遍在し「情報の非対称性」がもたらされた。
その後昭和48年の石油危機と田中内閣の列島改造ブームで借金が膨らみ、昭和50年ついに限界を迎える。インフレ抑制のための高金利で利子率が利潤率を上回り「利ザヤ」はマイナスになり、「逆ザヤ」となった。50年度の上場会社の決算は3社に1社が赤字となった。財務リスクがいやがうえにも高まった。
(図2、利益率・利潤率・利子率)
2.直接調達の時代
株主資本比率は14%にまで低下し、負債のテコ効果が限界に達したあと昭和50年代から企業は減量経営に徹し一部の企業は借金の返済に走った。「乾いた雑巾を絞る」ような減量が行われ「肥満型」から「筋肉質」へ体質改善を進めた。産業構造も重化学工業から加工度の高い高付加価値産業に傾斜していった。設備投資も不況克服後80年度(昭和55年度)から前年費比2ケタ増加となり、以降ジワジワとふえる。
しかしこれらの設備資金はほとんど内部資金で賄えた。企業のキャシュフローは減価償却資金を軸に急増し、85年度の設備投資資金の99%は内部資金で賄えた(注2)。同年度の製造業のそれは108.4%とフリーキャシュフローが生じた。企業の自己金融力がついたといえる。
(図3、キャシュフロー/設備投資)
また外部調達は株式の時価発行や転換社債などいわゆるエクイティ・ファイナンスが盛んに行われた。この結果株主資本比率(自己資本比率)は急速に上昇、75年の14%台からバブル直前には24%にまで回復した。
(図4、株主資本比率)
3.バブルの形成と崩壊
80年代後半に起きた土地・株式の過度の投機、つまりバブルは企業金融を根底から揺さぶった。高株価による時価発行増資と転換社債の発行、さらにはワラント債の発行によって株主資本はいやがうえにも増え、株主資本比率は28%近くまで上昇した。当時はこうしたエクイティ・ファイナンスは「無原価資金」とか「マイナス金利調達」とまで喧伝されたが、その意味するところは、調達資金を再び株式投資に振り向けて利ザヤをかせぐという荒っぽいものだった。特に銀行が時価発行増資を盛んに行ってこれを株式や土地に振り向けた。90年度末の金融機関の株式保有比率は48.2%と過去最高を記録した。事業法人の持ち株も同年度20%近くに達した。(図1参照)
土地投機も同じような手口で行われ、土地担保金融が悪用された。担保の実態価格を大幅に上回る評価額で貸付を行った。「土地権利書さえあればいくらでも貸す」といわれ土地はいやがうえにも値上がりした。(注3)
上場会社と証券会社・銀行が情報を共有してファイナンスと投機を操った。「ファイナンスの噂で株が値上がりし」、「土地を持っているだけで株価が上昇した」。インサイダー取引に近い取引が横行し、これらの情報優位者に超過利益がもたらされた(かにみえた)。既に銀行の貸付者としてのコーポレート・ガバナンスは自ら放棄し、審査という銀行の「情報生産機能」も捨てた。株主としてのコーポレート・ガバナンスも同時に失われていた。エージェンシー(経営者)とともに「系列取引の宴」に酔っていた。「系列部外者」の情報劣位者にとってはエージェンシー・コストは大いに高まっていたわけである。この間「日本的経営」はもてはやされ、米国企業の相次ぐ買収もあって世界の驚異とさえ評価する向きもあった。
企業のファンダメンタルズである資本収益性も89年度には下降をはじめた。急増する株主資本にくらべ利益の増加が追いつかなくなったためである。これは無限に見えた株価の上昇を反転させ、バブルは崩壊に向かった。
バブルは80年代後半の3、4年で形成され、90年代にはいってあっという間に崩壊した。株価は暴落し、土地も「ピーク時の2ー3割」と二束三文になった、株式時価総額が300兆円、土地が同700兆円合わせて1000兆円のバブルがはげた。GDPの2年あまりの額が消えたことになる、現在の国民金融資産が1000兆円あまりなのでほぼ同額が消滅したことになる。資産価格の急騰と暴落は経済的混乱をもたらした。
4.コーポレート・ガバナンスとディスクロージャー
バブル時代、本来、エージェンシー(代理人=経営者)を統治(ガバナンス)する役目の株主や貸付者(プリンシパル、依頼人)がこれを放棄し、投資や融資に関する審査という「情報の生産」機能に目を背け、むしろバブルを先導した。コーポレート・ガバナンスが失われ、企業の経営情報が関係者のみに遍在したため、「情報の対称性」はおろか「情報の非対称性」そのもの市場となり、「市場の失敗」が証明された。(注4)
日本的経営の特徴の一つである株式持ち合い・系列取引はこの点において世界に通用しないシステムであることを実証した。日本的閉鎖システムはアジア各国でも敬遠気味になった。
もともと「直接金融化」は資金の調達を市場価格におくことを前提としている。貸付のように相対取引による価格ではない。市場価格は需要と供給によって決まるが、証券のような商品はその品質がよく分からないと公正な価格はつけられない。ここで求められるのは当該証券の発行会社の情報の開示、つまりディスクロージャーである。
先に述べたように企業は資金を自前で調達する能力を高め、設備投資やこれを上回る資金(フリーキャシュフロー)をどう使うかの裁量はエージェンシー(経営者)に独占的に委ねられている。経営者が株主や債権者に危険(リスク)を高めるような資金の使い方をするかも知れない可能性(エージェンシー・コスト)がかつての時代より高まっている。まずこの面からディスクロージャーの強化によって同リスクを引き下げなければならない。
(図5、企業金融とコーポレート・ガバナンス)
ディスクロージャーは企業情報の開示制度として米・ウオール街の株価大暴落後の混乱の中から生まれた。詐欺・横領が横行したのでこれを防ぎ公正な市場に立て直そうとした。情報の対称性理論などディスクロージャーの基礎理論はもっと後から考えられた。
(図6、ディスクロージャーの構造)
今日ではディスクロージャーは単なる制度的なものから廣く企業が行う任意の「財務広報」を含める考え方がとられている。財務諸表など定期的に一定の様式に従って公正・正確の原則に基づいておこなわれる(マンデトリー・ディスクロージャー)ものと経営トップの記者会見・アナリストミーティングなど任意に行われる公表(ボランタリー・ディスクロージャー)、そして一定の項目(社長交代、新製品発表など)を制度的に規定して公表させる(タイムリー・ディスクロージャー)こともある。ディスクロージャーによって企業はシグナリングを送り、投資家はモニタリングできることで証券の価値の判断に役立つというもの。ディスクロージャーはまた情報公開制度とともに現代において必要不可欠の社会システムの一つと考えられる。
5.信用格付けと企業金融
外部資金調達が借入金から増資、そして社債と変化してきたのは企業金融に関する諸規制の緩和にもよるが、基本的には資本収益率の長期低落傾向、超低金利の示現、円高など経済構造の変化によるところが大きい。また国際化、自由化の流れの中で金利の自由化は社債価格の形成を根本から変化させた。93年中ごろから社債発行体の信用リスクに応じて価格が形成されるようになった。つまり信用リスクの高い社債はその分リスク・プレミアムを高く支払わねばならないようになった。信用格付けが高いと標準金利とのスプレッドは小さい。(注5)
(図7、格付けスプレッド)
社債の流通市場の価格形成がこのように発行者の信用度に応じたものになると発行市場もこれに追随せざるをえなくなった。例えば信用度の低い発行体の金融債の流通市場での暴落で新規発行は事実上困難に陥った。なぜなら新規発行の金融債を買ってもすぐに暴落することになるからである。金融債・普通社債市場はこのように信用リスクが「機能する」市場となった。
このことは貸付においても同様である。メーンバンクは融資系列の上場会社にはプライム・レートを約束してきたが、非メーンバンクが信用度の高い企業にはいわゆるスプレッド金利でプライム・レートを下回る金利で横やりを入れるように貸すようになった。96年には上場会社の借入金の50%はスプレッド貸しといわれる。
なお日米の格付け機関で格付けに格差(米系が厳しい)があるといわれているが、格付けスプレッドでみると米系AA格よりBBB格がスプレッドが小さく著しく論理性を欠く。
(図8、日米格付け別スプレッド)
まとめ
格付けもディスクロージャーの一環である。株式のアナリストと社債の格付けアナリストが直接金融のアナリストであり、これらが資本市場に予測的情報を流すことで同市場は効率的になる。アナリストの自由競争によって発行体に関する情報がもたらされいわゆる情報の対称性に近づく。金融の証券化は金融の市場化であり、市場は情報化を要求する。貸付も不明朗な担保基準から信用リスク基準に重点を置くように銀行自身が改革を始めた。90年代半ばようやく金利や為替リスクの管理を体系的に行えるようになった大手銀行は信用リスクの管理を同様に格付け基準に変更する作業を進めている。完成まで今世紀いっぱいかかろう。完成すれば銀行の情報生産機能は回復する。
(注1)r=p+(p−i)D/E
r:資本利益率、p:利子支払前利益率
i:負債利子率 D:負債、E:資本
(p>iならDの増加はrの上昇をもたらす)
(注2)設備投資キャシュフロー比率
=(利益+減価償却費ー配当ー役員賞与)/
(有形固定資産増加+減価償却費)*100
(注3)拙著「大型私募債のデフォルト」ー村本建設のケーススタディー、ディスクロージャー研究学会ホーメページ(http://www.mmjp.or.jp/disclosure/)「論文・報告集」参照
(注4)ジョージ A.アカロフが1970年にとなえた「情報の対称性」理論。レモン(欠陥自動車)を例に情報の遍在は市場をやがて崩壊させると説いた。
(注5)拙著「格付けの機能と課題」(証券アナリストジャーナル95年6月号参照)
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