文書No.
980424
『産業経理』第57巻第4号(1998年1月)掲載
はじめに
株式とは「株式会社に対する社員の地位が均一の割合的単位の形に細分化」されたものであり、その細分化された「社員の地位」が金融商品として市場で売買されている。株式に代表される持分は、会計上、一般に「負債を控除した後に残るある実体の資産に対する請求権」と定義される。この定義は持分権者の抽象的な権利を表現している。会計は、発行者の計算において、この抽象的な権利を払込資本と稼得利益から成る持分として貨幣的に表現する。また、会計は、取得者の計算において、この「社員の地位」を具体的な財産として貨幣的に表現する。しかしながら、株式の取得や保有の意図に依存して、取得者の計算においても、抽象的な「社員の地位」が会計上の重要な論点となることがある。 第一に、自己株式については、株式発行者が同時に株式取得者として取引に関わることがある。減資ないし利益消却を目的に自己株式を取得するなら、発行者の計算において、抽象的な「社員の地位」の相殺処理を行なうのが理論的である。一方、一時的に保有するにすぎない場合には、簡便な処理として、具体的な財産の取得と譲渡があったとみなす処理も認められるであろう。しかし、譲渡目的で取得した自己株式の保有が長期に及ぶなら資産処理に対する疑義が生じてくる。これに対して、他社株式については、取得時点においては、会計上これを具体的財産の取得として処理する。しかし、構造的に株式持ち合いが行われるならば、他社株式は自己株式を代替する。このとき、長期保有の他社株式の資産計上と自己株式の資産計上は同じ意味を持つ。 第二に、他社株式の保有割合が漸次増加するにつれ、保有目的が転売目的から支配目的へと変質する。すなわち、株式の処分動機が保有動機に変わる。それに応じて会計も、具体的な財産の認識という視点から、抽象的な「社員の地位」の認識という視点へと質的転換を図ることになる。保有株式への持分法の適用は抽象的な「社員の地位」を表現しようとするものである。また、他社との資本関係を優先して判断するとき保有株式は財産ではなく出資と見られるようになる。そして、この抽象的な「社員の地位」が連結会計の基本となる。他社との支配・被支配の関係が成立すると、被支配会社の株主は少数株主の地位におかれる。この被支配会社が上場会社であるときに、支配する立場から連結財務諸表を開示することで少数株主のニーズを満足するのかどうか疑問が生じてくる。 第三に、金融機関の株式保有の高さが、近年の株安局面において金融システム不安に直結するという問題がある。とくに、最近の金融機関の「売り」は、時価総額を縮小させることを通じて、会社の存続可能性を試してきた。市場では、保有株式も発行株式もともに財産としての時価で評価される。そして「売り」が加速する過程で、ある段階から(株価純資産倍率が1を割る段階から)市場は会社の継続価値よりも清算価値を模索するようになる。すなわち具体的な財産価値を株価で決定する過程の中で、ある段階から抽象的な「社員の地位」の評価よりも具体的な「社員の地位」すなわち具体性を増した残余財産分配権の評価が現実味を帯びてくる。清算がなければ残余財産を確定できないのは当然であるが、継続企業の会計においても残余財産を意識した評価は必要なのではないだろうか。 以上要するに、会計は基本的に株式を発行者の計算において抽象的な「社員の地位」として処理し、取得者の計算において具体的な財産として処理する。しかし、状況しだいでは、発行者が株式を具体的財産として処理し、取得者が抽象的「社員の地位」として処理し、市場が具体的な「社員の地位」を模索することがある。そのため、会計は株式の処理を矛盾なく扱えなくなる場合がある。本稿はかかる問題のいくつかを取上げてその論点を探ってみる。
T 株式持ち合いと自己株式
(1)株式保有者の分類と定義 株式持ち合いをみるためには、株式保有者を株式会社とそれ以外に2分する必要がある。ここでは、株式会社以外の各種株式保有者を包括的に「投資者」と呼んでおく。その「投資者」には、個人、生命保険、信託、政府および外国人が含まれる。金融機関の保有構造や「広義の株式持ち合い」を分析するには異なる分類が必要であるが、ここでは非・株式会社という共通点で「投資者」を括っているので生命保険も含まれる。
(2)株式の保有構造 株式会社が一切の株式を保有しないとき、会社が株式を発行して調達した資金の全額が「投資者」から供給されることになる。しかし、会社間の株式持ち合いが成立している世界では様子が異なる。会社による資金調達額と「投資者」による資金提供額は一致しないのである。そして、株式持ち合い比率の変動は、「資金供給者としての株式会社」と「(株式会社を除く)投資者」との間における資金移動の発生を意味する。 流通性あるすべての株式の保有構造を分析できれば理想的である。しかし、日本の株式保有構造の特徴を知るには、上場会社を対象とした分析で十分であろう。これについては、東京証券取引所の株式分布調査を参照できる。これを参照し、株式分布表が示す投資者を株式会社と「投資者」に仕訳し直したものが表1である。
表1 株式分布(全国上場会社)
出所)『東証要覧』各年版からデータを再分類して表示。
1991 年から95年の間に、株式会社による保有比率が53.4%から51.3%へと2.1%下落している。その分「投資者」の保有比率が上昇するが、表1で確認できるように、個人の保有比率は0.4%増にすぎないし、生命保険の保有比率は2.0%も下落している。それに対して、外国人保有比率の4.0%上昇がきわだっている。1949 年から95年までを対象とした大和総研の調査によると、90年代に入ってから持ち合い解消期にある。同調査は20大株主からみた保有状況を追ったものである。これによれば、95年度末において、上場企業間持ち合い比率が37.8%、これに生保を含めた広義持ち合い比率が49.0%となる。特に、後者の比率は24年ぶりに50%を割った。すなわち、事業法人も生命保険も持ち合いを解消しているという。しかし、より重要なことは、同調査が、事業法人の持ち合い解消を仔細にみると「関係の濃いコア部分の持ち合いが維持される一方、関係の薄い表皮の部分が解消売りにさらされている」と指摘している点である。ここで表皮の部分とは具体的には銀行株を指す。このことは、六大企業集団に代表されるように、集団内企業の持ち合いは維持されていることを示唆する。
(3)持ち合い株の自社株代替効果 株式会社が2社しかなく、株式保有者になりうるのはこの2社(AとB)と第三者である個人「投資者」(C)だけだとする。2社とも、発行価額1株5万円で1万株を発行し、払込金全額を資本金に計上している。「投資者」が2社の全株式を保有しており、その取得価額は 10億円である。以上が株式発行直後における株式保有構造である。つぎに、流通市場においてA社はB社株の4割を1株7万円で取得し、B社はA社株の4割を1株8万円で取得したとする。A社とB社で株式の取得・保有に関する一切の話し合いはない。「投資者」(C)は2社の株式をともに4割売却し、合計で6億円の資金を回収した。この状態で株式の保有構造が固定化したとする。すなわち、全株式の4割を株式会社が保有し、残りの6割を個人が保有する。 その後、A社、B社およびCの間で株式が売買されるが株式保有構造に大きな変化はないとする。3者間の資金のやりとりは株価に影響されるが、株式保有構造に大きな変化がない限り、先の6億円のすべてが再び会社に還流してくることはない。すなわち、会社が他社株を保有しつづける限り、株式保有に関して互いの了解がなくても、全社が発行市場で調達した金額の一定割合は「投資者」へ返還されたに等しく、実質的な資金調達総額が払込総額を大きく下回ることになる。 この状態は、購入した自社株(自己株式)を長期にわたり金庫株として保有している状態に近似する。会計処理において、長期保有の自己株式を資産として計上することが許されるなら、他社株式の資産計上と酷似する。もちろん、自己株式を「資本」控除として処理する場合であっても、実質的な資金返還に関しては資産計上されたる他社株と比較可能である。 以上要するに、会社保有の他社株は自己株式代替機能があると考えられるが、株式に表章される権利の保有者による制約、減資という法的手続きを経ないのにこれを擬制することの適否、自己株式を資産としてきたわが国の会計慣行の適否など検討すべき事項が多々ある。いまのところ他社株式を「資本」控除とする会計処理は会計理論上認められることはない。しかし、わが国ではこれまで例外的保有の自己株式につき資産処理を認めてきた経緯があるので、ストック・オプション導入に伴う自己株式保有期間制限の延長との関連で、資産処理と資本処理の妥当性が問われることになる。
(4)自己株式取得の会計課題 1994 年の商法改正により自己株式の取得規制が緩和された。しかし、自己株式の取得に乗り出す企業はわずかであった。その後、1997年5月にストック・オプション制度を導入するための商法改正が可決・成立し、自己株式取得規制が一段と緩和されたことから、また、97年に入ってからの株安も手伝ってか、自己株式取得に乗り出す企業が急増している。ただ、マイクロソフト社がストック・オプションを将来負担となる人件費コストとして算定すると試算では同社初の赤字になるとの情報開示を行なったことや、あいつぐ企業破綻が従業員持株も無価値になることを再認識させたこともあり、自社の株価が上昇しても下落しても問題のあることを思い起こさせたことから、自己株式取得が万能だというような論調はトーン・ダウンするのではないか。株式の発行者は、株主の権利の逐一を識別した上でそれら権利を財務的に表現する会計処理は行なわずに、会社と株主の関係を払込資本および稼得利益の変動という形で処理する。持分に関する会計上の定義は残余財産分配請求権を連想させるが、この権利の対象は継続中の企業では確定しがたい。したがって、会計は、具体的な残余財産分配請求権ではなくて、抽象的な「社員の地位」すなわち抽象的な残余持分の確定を当面の任務とする。また、新株引受権など具体的な株主権を財務的に評価することがあるが、これは抽象的な残余持分のなかの具体的な払込資本との関連付けが可能だからである。このような場合を除いて、たとえば、議決権の経済的価値、帳簿閲覧権の経済的価値といった具合に自益権・共益権の逐一を評価することはない。 一方、株式の取得者は、取得当初において基本的には、株主の抽象的な権利の経済的価値を直接評価することはない。むしろ、取得者は、株式を一個の具体的な金融商品として認識し、その取得価額に基づいてこれを測定する。決算時に株式を原価で評価するか時価で評価するなら、具体的な財産として扱う会計が維持されている。もし、保有株式を持分法で評価するなら、持分という抽象的な「社員の地位」を評価する考え方にシフトしている。ただ、いずれの評価法を取るにせよ残余財産分配請求権の価値を示すわけではない。せいぜい言えることは、事業の継続を前提にすべての資産を処分価値で評価する一貫として株式も処分価値で示すなら残余財産分配請求権の暫定的な価値を示しうるのではないかということである。このように、会計は、基本的に、株式が表章する権利を分解することなく、発行者は資本の会計として、また、取得者は資産の会計として処理するのである。 ところが、自己株式については、資本会計の問題と考えるか、それとも資産会計の問題と考えるかによって会計処理も変わる。わが国の法制上は、自己株式の流動資産への表示を求めてきたため、会計上も資産説に根拠を与えている。しかし、ストック・オプションの導入に伴い、自己株式の保有期間が 10年まで認められることになったことから、自己株式を資産に計上するこれまでの実務の見直しが論点として浮上してくる。株式持ち合いのもとで他社株式が自己株式代替として機能するのであれば、自己株式の取得を資本減少とする考えは他社株式にも妥当する。逆に、自己株式の取得にあたり一切の規制を設けないなら、保有自己株式の処分を決定するまでは資産として計上し他社株式と区別する必要がない。これら極論も成立しうるのではないか。しかし、法的には他社株式と自己株式は同一でないし、自己株式の自由取得が認められているわけでもない。自己株式が長期にわたり保有されるなら「資本」控除の会計処理が望ましいし、他社株式は資産として処理する以外にないと思う。ただ、自己株式によるか他社株式によるかは別として、両者は「投資者」への実質的な資金返還という同質性を有する点を会計は一切考慮しなくて良いのかどうかという疑問が残る。つまり、持ち合い株が財産として資産計上されながらもその取得価額が実質において資金返還を意味するなら、自己株式の資産計上もまた同様に解される余地がある。 自己株式の望ましい会計処理を考えていく場合に突き当たるのは会計上の資本の位置づけである。すなわち、会計はまず資産と負債の決定が重要であり資本は純資産として確定されるのであって資本内部の区分経理は商法の要請に従っているにすぎないとみるのか、会計は資本と利益すなわち収益と費用の決定が重要であり、資本の分類も会計の考えが優先するとみるかのかによって、自己株式の表示の意義も変わってくると思われる。すなわち前者によれば、表示面では、資産の一項目、総資産からの控除項目、純資産からの控除項目などいずれを採用しても商法の要請に反しない限り問題はないことになる。他方、後者によれば、資本の確定こそが会計の出発点であるので、自己株式を資本の減少として扱うか否かは最初に議論すべきことになるので、資産に計上しても実質は同じだという議論は成立しなくなる。これらの点について十分議論を深める必要がある。
U 持株会社と少数株主
東京証券取引所の調べでは、 1996年3月期決算会社1,447社中76.4%にあたる1,105社が連結決算を実施している。また、三菱総合研究所の調べによると、調査対象会社の一社当りの平均子会社数は95年度(96年3月期)で39.4社となっており、年々増加の傾向にある。
表2 主要企業の1社当り所有会社と関連会社数(三菱総合研究所調べ)
出所 三菱総合研究所『連結・企業経営の分析 平成7年度』4ページ。 企業会計審議会は 1997年6月6日に『連結財務諸表制度の見直しに関する意見書』を公表した。この『連結意見書』によれば、連結財務諸表原則の改訂にあたり、「子会社の判定基準として、議決権の所有割合以外の要素を加味した支配力基準を導入し」「基準を設定するここと」された。これにより、今後、連結子会社数の増加が見込まれるところである。
(2)上場連結子会社 1997 年8月現在における上場会社2,370社のうち、筆頭株主の持株比率が50%以上の会社数は183社ある。このうち、50%保有が17社、50%超が166社である。さらに、後者のうち非会社保有の3社(JT、JR東海、NTT)を除く163社が50%超の株式を他社に保有されている。少なくともこの163社は他社の子会社であるから「上場子会社」とでも呼びうる。株式の50%を保有されている会社および50%未満を保有されている会社のうち、間接所有を含めて50%超を保有されている上場子会社は相当数あると思われる。上場子会社 163社のうち、46社は子会社がない。残りの上場子会社117社については、平均して子会社が9.0社(うち海外2.2社)および持分法適用会社が3.0社(うち海外1.0社)ある。また、117社中の25社は10社以上の子会社を所有する上場子会社である。
わが国では 1997年に、連結中心のディスクロージャーへ移行するため、連結財務諸表原則についても連結の範囲に関して持株基準から支配力基準へ変更するなどの整備が図られたところである。また、独禁法の改正により条件付きではあるが持株会社が解禁されることになった。事業持株会社ならびに純粋持株会社がその傘下に多数の会社を抱えて企業集団経営を行なう場合、連結財務諸表ならびにセグメント情報の一層の充実が望まれる。これら持株会社が上場会社の場合には上場連結親会社となるが、これは全上場会社の4分の3に達することはすでに述べたとおりである。 ところが、この上場連結親会社の中には同時に他社の連結子会社である会社(上場子会社)が少なく見積もっても 117社、特定できないがおそらく200社以上あると推定される。これら上場子会社の株主のうち、支配株主(支配会社)以外の株主は、当該上場子会社が親会社の立場で作成する連結財務諸表において「親会社の株主」でありつづけるものの、支配会社の連結財務諸表においては「少数株主」の立場に置かれる。この2重の立場は現行制度上でも同じであるが、連結中心へ移行し、個別の簡素化も予定される今後においては、微妙な問題が生じる。連結財務諸表原則改訂においては支配力基準が導入された。すなわち、財務諸表の作成以前の問題として実質的な支配が存在していることが明確に認識されたのである。とすれば、上場子会社の支配的株主以外の株主は、形式的は、上場子会社の連結財務諸表において「親会社の株主」とされていても、実質的には、彼らの地位が当該連結財務諸表で示されているわけではない。すなわち、彼らの地位は上位会社の連結財務諸表にこそ適正に示されると解すべきである。 かかる上場子会社が上場する意義があるか否かの議論は会計の領域を超えている。したがって、当該会社が上場する以上は、子会社・関連会社情報の充実のみならず、親会社情報の格段の充実を図る必要があると思われるし、当該会社の個別情報を簡素化してよいかどうかも議論の余地がある。というのも、当該上場子会社を親会社とする連結財務諸表では経営の行き詰まりの気配さえ感じ取れないにもかかわらず、当該会社の親会社ならびに兄弟会社の経営破綻の影響が突然襲ってこないとも限らないからである。 そこで、(1)上場子会社は、自社を親会社とする連結財務諸表公開することにかえて支配会社の連結財務諸表を公開する、(2)上場子会社を親会社とする連結財務諸表を公開するとともに支配会社等関係会社情報を格段に充実させ、場合によっては支配会社の連結財務諸表を添付するか参照を指示するなどにより、注意を喚起する必要がある。
V 株価の下落と清算価値情報
株式投資の際して株価収益率( PER)と株価純資産倍率(PBR)という指標が参考にされる。1971年から96年までの東証上場株式全体でのPERとPBRを示したものが図1である。この図が明らかにしているように、PERの上昇はいわゆるバブル期に特有の現象ではない。バブル期よりも株価は低い現在において当時以上にPERが高いということはそれだけ利益が低いということである。このようにPERは利益の多寡に大きく依存する特質を有する。これに対して、PBRはバブル期に突出していることが明らかである。この期を除けばPERは2−3倍程度に収まっている。純資産も変動するけれども利益の変動と比較すればより安定的である。したがって、株価の高騰時にPBRが異常に高くなるという現象が起きるのである。
バブル崩壊後は PBRも2−3倍程度に回帰しているが、97年11月に山一証券の自主廃業決定を受けて株価が大きく下落した段階で、PBRがどの程度まで小さくなったかを個別企業ごとに示したものが表3である。表3は96年末の時価総額上位10社を取上げている。昨年末の時価総額を直近の株主資本で除して下落前のPBRを求めた(C欄)。併せてこのPBRに一株当り純資産(D欄)を乗じて計算株価を算出した(E欄)。96年末の純資産額が得られないため直近の数値で代用しているから、計算株価と昨年末株価は一致しない。そして、全面安の展開となった11月最終週までの安値(F欄)で直近のPBRを算出した(G欄)。表3では、銀行株がかなり売り込まれた様子がよくわかる。6銀行の平均でみると、昨年末のPBRが3.170倍であるのに対して、安値水準では1.771倍である。率にすると44.2%の下落である。とりわけ、富士銀行の下落が著しく64.5%に達する。
表3 主要 10社の一株当り純資産と株価
(*) 97年1月から11月までの安値(**)大蔵大臣所有の 1042万株(全体の65.5%)を計算外においていると思われる。これを調整すると( A)は140,174で一位となり、(C)は3.112、(E)は880,940となる。
(2)株価と一株当り純資産 PBR の1倍は買いのシグナルだという俗説もあるが、破綻した北海道拓殖銀行と山一証券はPBR1倍で売りが止まらなかった。両社とも、経営破綻後の株価急落は別として、ここ3年PBRは低倍率で推移していた(図2と図3を参照)。一般的に言えば、両社の株式は投資者に人気がなかったということになる。その結果が株価であり、市場は公表会計数値である純資産額すら認めなかったということになる。山一では2600億円にも上る簿外債務の存在が明らかになった。これがオンで処理されておれば、97年3月期の一株当り純資産は367円ではなく151円であった。株価はうわさを織り込んで下げ始めていた。PBR がどの程度の値になるかは純資産額に依存する。この純資産額は一定の会計制度を前提としている。会計制度に大きな変化がなければ、PBRは比較可能であり、どの水準が正常でどの水準が異常かは経験で判断される。これはPERでも同じである。よって、PBRやPERがどの程度であればよいかは会計が関知する問題ではないと一般には言える。しかしながら、どのような会計制度の下であれ、資本の部は抽象的にではあっても持分を示すのであるから、 PBRが1倍になることに無関心ではいられない。PER とPBRは一定の会計処理の産物である。その会計処理セットが利益の算定に重心を置いているときPERが、また、残余持分価値の算定に重心を置いているときはPBRが主たる指標となる。さらに、企業の成長時におけるPERと衰退時におけるPBRがそれぞれの環境下で有効な判断材料になる。したがって、利益の算定に重きを置く継続企業会計が算出する純資産から算出されるPBRは残余持分を適切に予想させえない。経営破綻に至る数年前からPBRが平均水準を下回り、さらに1倍を下回ってくるということは、市場が適切な残余持分価値ないしより切実には清算価値を模索しはじめたということを意味する。
図2 北海道拓殖銀行の一株当純資産と株価変動
図3 山一証券の一株当純資産と株価変動
継続企業の会計が財務諸表で示す残余持分は清算価値ではない。それでも、資産の含みを排除する会計を採用することにより残余持分の大きさに対する信頼度は高めることができる。しかし、その残余持分の計算に換金不能資産が含まれる余地がある。これを排除するには財産目録の提出を求める必要がある。そこで示される正味財産も解散時の残余持分を示すものではないが、企業が債務超過に陥いるまでのクッションの大きさを示しうる。 このように不況期の会計は清算価値の指標足りうる残余持分(ないし正味財産)に対する情報ニーズが高まるものと考えられる。 PBRの1倍割れは会計情報ニーズの転換点である。
おわりに
本稿では株式保有にかかる問題を、ごく限られた点に特化して議論した。まず、Tでは他社株式の自己株式代替機能を考察した。会計は他社株式を資本会計で扱うことはないからこれに対処できない。しかし、自己株式の処理を論ずる際に参考になろう。つぎに、Uでは上場子会社の地位を考察した。これは開示の充実で対応できる問題であるから、制度上の措置を講ずることができないか議論する必要がある。最後にVでは、市場が先行して清算価値を模索していることを考察した。処分価値による資産評価は株価の下限を示唆するという意味で有効である。現行会計においては PBR1倍割れが情報ニーズの転換点である。本稿は、自己株式の取得、株式持ち合いの解消、持株会社の導入、株価下落と金融不安という会計を取り巻く環境変化に対して、会計からいかなる接近が可能かを試みようとしたものである。ごく限られた論点に限定していること、接近のためのフレームが未開発であることなど残された課題が多いと自覚している。しかし、これら最近の制度改革や環境変化は株式の取得と保有に関する包括的な議論の必要性を示しているように思う。今回は素朴な疑問のいつくかを問題提起の意味で書いてみた。本稿での未成熟な議論は今後改めたい。 |