文書No.
980903
日本証券新聞1997年9月17日
ビッグバンは金融に限ったことではない。経済の半分はビッグバンをやらなければならないことは前に指摘した通りである。役所のかかえている許認可権をはじめ諸規制を撤廃して仕事を減らし「小さな政府」にすることが「省庁再編」の最大のねらいであらねばならない。第一次橋本内閣の案では省庁の数は半分に減った。これは評価できる。しかし局や課、そして人員は削減案がまだ出ていない。現在の状態では「巨大な省庁」となり役所の力がかえって強くなる。 「省庁再編」は民間のようにリストラクチャリング(=事業再構築)と同じで、単に許認可権を削除し民営化すべきものはして、仕事も人員もスリム化するだけのことである。いずれはその案も出してもらわねばならないが、まずその案を出してから省庁の名前と数をだしてもらいたかった。 かつ首相の権限の拡大でかつて中曽根元首相がねらった「大統領のような権限を持った首相」ができる。ぉれではますます中央集権的な政府ができることになる。地方分権葉何処へいった。これでは「日本共和国」になる。まさか本気で「国体」(国民体育大会ではない)の変更を来るべき憲法改正の一つとして考えているのではないだろう。ブラックジョークか?「お世継ぎがないこと」が国民に閉塞観をもたらしているとの見方がある一方千年単位の世紀末で「幕府」を思い出したのなら単なるアナクロニズムだ。 またよく「明治」、「戦後」を大改革の節目というが、「千九四0年体制」(野口悠紀雄著)によると戦後の日本の官僚体制は戦時中にできたのが戦後も継続・強化されたとしている。「戦争遂行」を「経済成長」に置き換えただけだという。たしかにメーンバンク制やカルテル(ミスター・カルテルもいた)は戦時中の「国家総動員法」(一九三八年、正しくは「一九三八年体制」、四0は野口氏の誕生年。ここでは三八年を戦時体制確立のとしとする)のもとで金融・産業統制が行われた。ナチス・ドイツの国家社会主義を真似たものだが、戦後これを強化したのなら戦後の日本の体制はさしずめ「国家資本主義」で実際そういわれている。 政府と自民党の「行革担当」が入れ替わったが、政府の方は「こわもて」なので「やるかも」知れないが、刑事事件の刑に服した犯罪人なので国民のためになる方向に持っていくか、その逆か注意する必要がある。来年の参院選挙まで「自社さ」体制がもつかもたないか第二次橋本内閣は短命との見方が早くも専門家の間でささやかれている。それを望む「長老」の目論見が見え隠れするのが自民党の政治の世紀末的症状だ。全体として改革の力は著しく減退したのではないか。「郵便貯金」・「易保険」の民営化も早くも怪しくなってきた。
(四条耕三) |