ディスクロージャー研究学会



(青空に物事を晒すと虫干しされ綺麗になる)

文書No.
981001

日本経済新聞98年9月3日「経済教室」

    山口大学経済学部教授 吉村 光威

     銀行のコーポレート・ガバナンスの転換 「官僚統治型」から「市場原理型」に 「情報の対称性」確保で再生とビッグバン両立 

(前文)
 ■バブル経済時、銀行はメーンバンク機能を利用して情報優位者として市場から巨額の超過利益を享受した■その崩壊で現在も市場原理にもとづき超過利益を吐き出している■グローバル化、証券化で金融の市場経済化は進み、これまでの官僚統制型コーポレート・ガバナンス(企業統治)から市場経済型への転換に迫られている。■このため本気でディスクロージャー(企業内容の開示)を行い、「情報の対称性」を図れば、金融再生と金融ビッグバンを両立できる。


(本文)
 金融のグローバル化と証券化で銀行は市場取引のウエートを急速に高めている。このため市場取引によるリスクが増加しており、その管理に躍起となっている。大手銀行の大半は「VaR」(バリュウ アット リスク=リスク量)のシステム的計測体制をほぼ整えた。

 しかし本業の貸付金の金額と金利を決める信用リスクの評価・予測システムの構築は遅れている。数万社にのぼる貸付先企業の信用リスクを測るのはもとより大変なことであり、これを予測し、システムを維持することはさらに困難である。早期是正措置で、一応「手作業」によるものも含め信用の程度によってその分類を終わったが、信用リスクの段階別の倒産予測や回収見込みまでは大半の銀行が組織的・理論的に計測できないでいる。貸し渋りでかえって不良債権が増加していることもあり、その処理問題の国会論議を分りにくくしている。不良債権の情報開示が銀行自身の手で正確に行われないでいると市場不信を増加させ、市場原理が「うむをいわせぬ」退場を求める段階にきている。また公的資金の注入もむずかしくなる。

 もともと貸付先の信用がどの程度か評価・推計に手間取っているのは、このような考え方でこれまで銀行はカネを貸してこなかったためである。これまで不動産を中心にした担保金融を主軸にしてきた。昭和初期の金融恐慌の教訓から担保原則をとって「モノ」にカネを貸してきた。企業そのもの、つまり企業の信用リスクを基準には貸してこなかった。

 担保金融はバブル経済時行き過ぎ、例えば百億円の土地を「地上げ」して二百億円にするため百五十億円を貸付たが、バブル崩壊で時価は二十億円になってしまったということである。このため返済不能に陥った。これが不良債権の実態である。

 これが今度は資産デフレもあって企業の信用状況に応じて貸し付ける「格付け主義」に転換せざるをえなくなった。これはいわば金融の市場化であり、安全な企業にはコストの低いカネを沢山、そうでない企業には少なく高い金利の資金しかまわらない市場原理に変わらざるをえなくなった。そうでないと銀行がもたない。貸し渋りはその前触れであるともいえる。

 信用リスク基準で貸付るための評価は非公開企業の場合、例えばアルトマン型の判別関数モデルは企業財務データが必要だがこれまで貸付先から収集、蓄積しデータベースが作成されていなかった。しかも先に倒産した三田工業の例でも見られるように粉飾決算が多いため、予測のための資料的価値は少ない。上場会社など株式公開会社は「株式オプション理論」を用いて株式時価総額(の変動率)などから倒産予測がか可能であるが、大手銀行を含め貸付先は非公開会社が圧倒的に多いため組織的・理論的に倒産予測するのはむづかしい。

 もともと銀行自身がディスクロージャーに熱心ではなかったことが響いている。昭和五十年代半ば五十年ぶりに銀行法が改正され、ディスクロージャーの規定が盛り込まれたが強制力に乏しく、有効でなかった。銀行法のディスクロージャーはいわゆるディスクロージャー誌と呼ばれるもので、証券取引法のディスクロージャーの中心である有価証券報告書とは大いに差があった。「誌」のほうは店頭の預金者に配布されるのに対し、「書」は証券取引所に提出する。

 ところが「誌」は志しが低く、開示項目が任意でその定義もまちまちだった。マンデトリー(法制的)ディスクロージャーは一定の定義で、正確に、公正に且つ公平に開示されねばならない。そうでないと時系列的にも横断的(例えば銀行間・国際間)で比較できない。有価証券報告書はそれを求めているが、証券局(当時)が管理しており、位が高い(と自負していた)銀行局(同)は証券取引法のディスクロージャーの「治外法権」的存在だった(元証券局幹部談)。

 このため東京証券取引所に提出される米系銀行の有価証券報告書にくらべ著しく見劣りするものであった。今日の不良債権の開示もその後金融制度調査会で逐一且つ徐々に中身を決めるというやりかたで整えたが、後手後手であった。

 また銀行は貸付を通じて企業の監視機能を持っていた。エイジェンシー・コスト・アプローチによると銀行(債権者というプリンシパル)はエイジェンシー(経営者、代理人)を監視してエイジェンシー・コスト(機会費用、経営者が犯すリスク)を引き下げようとしてきた。ちなみに格付機関は直接金融面でエイジェンシー・コストをひきさげている。銀行は間接金融面でエイジェンシー・コストを引き下げる。

 しかもいまや銀行自身のエイジェンシー・コストが問題になっている。バブル経済時に不正・不法・過剰貸付が横行し、エイジェンシーリスクはいやが上にも高まった。不良債権問題はその後遺症で高いツケを払わせている。

 情報理論からみても、大いなる問題を銀行は起した。バブル時、メーンバンク制のもと系列企業との株式持ち合い強化を通じて「情報優位」の立場にたち「グループの巨大内部取引」で超過利益を享受した。確かにインサイダー取引防止規定がバブルの最中に制定されたが、取り締まられたのは「小粒」だけで「大がかりな」ものは見逃された。株式だけでなく土地にも同じ理屈が用いられ一時巨額の超過利益を獲得した。

 ディスクr−ジャーは理論的には、証券に関する情報が市場参加者に公平・公正に、理論的には「情報の対称性」が達成されるまでゆきわたらないと、「逆選択」が起き証券の価格形成が歪められ、やがて「情報劣後者」は市場から退出し、市場は崩壊するというもの。バブル崩壊過程はまさにこれが実証された。不良債権の償却は情報優位者の超過利益の吐き出しで、これはやむを得ないディスクロージャーの原理とみられる。不正な開示で得た利益は五倍にして罰金として支払わせるのが米国では普通である。それほどディスクロジャーは重大事であり、市場を大切にしている。

 ただわが国の場合、金融は大蔵省が許認可権を握り銀行の生殺与奪の力を持ち管理・監督してきた。大蔵省に報告することがディスクロージャーであるといまでも考えている銀行マンや野党議員は多い。まさにこれは官僚統制型コーポレート・ガバナンスの残骸といえる。金融監督庁の不良債権の発表は情報開示の問題ではなく、政府の情報公開法の問題である。

 産業界も通産省や建設省・運輸省など業界団体を通じ許認可権をもとに企業を統治し、需給から価格までを管理し、不況の度にカルテルを結成させ「日本株式会社」をつくってきた。戦中からこの体制は続いているとの指摘もあるが、戦後連合国総司令部の財閥解体・株式民主化を経ているので、戦後五十年の日本株式会社は「金融幕藩体制」と「カルテル体制」の二本柱で統治されてきたとみることができる。日本の規制経済のGDPに占める比率は四0%強にたいして中国は三0%といわれる。

 官僚統制型は経済の高度成長時代は通用してきたが、低成長からゼロ成長に陥った現在コストが高く、通用しない。いたるところでエージェンシー・コストが高まっており、官僚のエイジェンシー・コスト増加もこのところ目立つ。金融ビッグバンはそのために提言されており、実行されてきた、或いは無理矢理にも実行させられている。その原則は市場主義、市場原理による。

 正しいディスクロージャーで銀行の内容を市場に伝えることが一番の金融シツテム安定化の近道である。何故なら正しい情報開示で信用評価が正しく行われれば、証券の価格が公正に形成され市場に逆選択が起きないからである。開示しない銀行は市場から退出して貰うのが市場の効率性からいっても必要だからであるし、もちろん内容がお粗末なら存在そのものが問われる。



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